夢破れた子馬はかがやきを求む【金創女医事始メ①】

栗木麻衣

比良の早馬

 雲ひとつない久々の晴れ空は、まさに天の恵みといえた。今日のようなお天道であれば、しめった布団も着物もすぐに乾くに違いない。だけど、おれは今、のんきにお天道様がどうのこうの言っていられるほど、悠長ゆうちょうにしてはいられなかった。


 地面に転がる大小の石が、わらじのすき間から入り込んで、足を刺激しげきしてくる。時折であればここちよくても、何度も同じところをつつかれれば、だれでも痛みがつのるに違いない。


 おれは今、走っていた。ほおを風が叩き、ひりひりと痛み出す。前には筋肉質な馬がかけており、追いつこうとやっきになるが、一向に追いつく気配はない。


 胸につく両の乳が走るたびに痛む。思わず、悪態あくたいをつきそうになるが、口を開けたら、馬の土ぼこりが口に入ってしまう。


 おれは十四の女子おなごだけど、そんなことは周りには言ってない。きっと周りに言ったら、「なんで女なのに戦場いくさばに出るのか?」なんて聞かれるんだろうな。おれが戦場に出なかったら、家族全員が養えないんだし、そもそもおれは家にいることなんて大嫌いだ。なるだけ、外でかけ回っていたいんだから、男子おのこの方が都合がいいだろう? 


 おやじは四年前の稲生いのうの戦いで、足の筋を切られてしまったから、歩くのさえ大変そうだ。弟のすえいちは戦場に出るには早い年だ。おふくろはいない。


 普段は畑を耕して食べていけても、それだけでは生きていけない。だから、戦に出て生き残り、ある程度まとまって、金を受け取る必要がある。


 おれの特技は、比良城下一の速足はやあしだったから、女子でも誤魔化して戦場に行けた。足が速ければ、ひげが生えていなくても誤魔化ごまかせる。


 速足であれば、人間の「早馬はやうま」になれるんだ。


 戦では、味方に情報を伝えるときに、早馬を使う。早馬は、馬に乗っていることもあれば、足が速い人であることもある。おれは遣いっ走りで、隣の村まで走っていたら、お偉方の目にとまって、「比良の早馬」として申しつけられることになった。ありがたいことだ。


 伝令として働くにも、まずは戦場に出なくては話にならない。そう、おれは今、戦場に向かう途中なのだ。


 普段であれば、戦場にいく時は歩いて向かうことが多いのだが、今回は急を要するようだ。かけ足で進むとなると、早く戦場につきたいという殿様の意思があることは、おれにもわかる。


「あんた、比良の早馬だろう。わしゃ、井関いぜきの早馬だで」


 隣から声をかけてきたのは、一見ただの歩兵にみえる中年の男だ。しかし、余分な肉のついていないしなやかな体つきは、普段から運動していることが見受けられる。


 井関とは、比良城から北にしばらく歩いたところにある、井関城のことだ。比良の若殿様の兄君“井関の殿様”が治めている。井関の殿様は、あぶらがのった妙齢みょうれいの殿様で、城下の者たちの信頼もあつい。複数人の早馬を抱えていることは、噂で耳にしたことがあった。


 まとまって移動している二つの軍は、井関の殿様、千秋の殿様の二人の殿様が率いている軍である。比良の若殿様は井関の殿様に助力されるため、比良城下から集められた者たちは軍の中でも一番後ろにいる。


 ということは、この男は前を歩く井関の軍から離脱して、わざわざ後ろに下がってきたということだ。


「井関の軍に戻らなくて、大丈夫なんで?」

「わしの役目はこの軍に配置された予備の早馬だで、構わんて。おみゃさん、敵方の殿様がどこに本陣を張っているか、知っとりゃあすか」


 おれは、まゆをひそめると「知るわけないでしょう」とつぶやいた。だが、おおよその目算はついてはいる。敵の今川方が駿府すんぷ城から尾張おわりに向かうには、東浦ひがしうら街道かいどうという大きな道を通る必要がある。街道にはそれぞれ要所があるので、そのどこかに陣を張っているに違いない。山も多いので、見晴らしがよいところはいくらでもあるだろう。


 男はおれの返事に満足したのか、得意げに「話してやろまい」と下品な笑みを浮かべた。おれは、ふんっと鼻息を立てると、「いんや、おれはまた聞きは好きじゃないから、聞かなくても大丈夫だ」と目をそらした。男は不服な様子で舌打ちをすると、後ろの列へと下がっていった。別のやつに声をかけて不安をあおりたいのだろう。


 前をかける馬が急に足を止める。おれもあわてて、足を止めた。しばらくして後ろからバラバラと歩兵の足音が聞こえてくる。みな、走った後だからか、息が荒くなっている。歩兵が長時間走ることなんてないから、息切れするのは当たり前だ。


中島砦とりでだ」歩兵のだれかがつぶやいた。 

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