最終章 活動再開

前編

「う……」


 頭に鈍痛を感じながら、『僕』は目を覚ます。薄らと黒いもやのかかった視界が捉えたのは見覚えのない天井だった。状況がいまいち理解できない。とりあえず、体を起こすが、


「痛っ」


 脇腹に激痛を感じ、思わず顔をしかめた。


「あぁ、目を覚ましたんですね!」


 近くのドア付近に立っていた男が僕の様子を見て、駆け寄ってきた。彼は、そうだ――


「尾上さん、お久しぶりです」


 彼の名は尾上さん。エスポワール書房という出版社に勤めている。僕の担当者だ。


「夢カタル先生、お身体は大丈夫ですか?」

「はい、大丈夫です」

「良かったぁ」


 尾上さんは僕の返答を聞いて、糸の切れた人形のようにへにゃりと体を脱力させた。安堵、というものをここまで体全体で表現しているのも面白い。そして、そのままベッドの横に備え付けてある椅子に座った。


「ご迷惑をかけたみたいですね」


 僕がそう言うと尾上さんは、すくっと姿勢を正して前のめりに顔を近づけてきた。


「本当ですよ。一体、何があったんですか?」

「いえ、その……すみません」


 この質問に関しては、僕も回答に困ってしまう。本当のことを言うと、頭がおかしい奴に思われてしまうだろうし。とりあえず、辻褄合わせは相手と話しながら考えよう。


「尾上さんはどうやって僕のことを見つけたんですか?」

「あぁ、それは――」


 尾上さんが『マコト』を見つけた理由は非常にシンプルでわかりやすかった。受賞式の生配信を見たからである。『マコト』の担当者である立花とは同じ大学の同級生らしく、同業他社に勤める二人は仲が良かったらしい。その立花の担当する新しい小説家はどんなものかと見てみたら、僕が堂々と佳作を受賞していたから驚いたそうだ。


「夢カタル先生と連絡が取りにくくなってから我が社は大騒ぎでした。大事にしないように警察への連絡は避けていましたけど、そろそろそれも視野にいれるべきか議論していたときでしたからね、驚きましたよ」


 僕が失踪して一年と少しぐらいか。警察に連絡しなかったのは、日中の電話は出ることはなかったが切られる、という反応があったこと。そして、時折、隙を見て『マコト』ではなく『僕』が尾上さんにメールを送っていたからだろう。僅かな時間だったから、簡単な生存報告ぐらいしか出来なかったし、それに対する返信は『僕』がフィルター設定をして迷惑メール扱いにしていたから『マコト』が一括消去してしまっていたので出来なかったけど。

 まぁ、『マコト』を殺す為には余計な邪魔が入ることを避けたかったので、限られた時間の中での計画としては上手くいった、と考えていいだろう。


「あの、先生。もしかして、ミステリー小説が書きたかったんですか?」


 尾上さんは何かセンシティブな部分に触れるかのように尋ねた。そう聞いてくれるなら、それを利用しよう。


「えぇ、実は……ミステリー小説には以前から興味がありまして、それを書く、という夢が捨てられずにいました。ですが、これまでファンタジーを書き、エスポワール書房さんの指導の元、身につけた実力ならどうだろうか、と試してみたくなったんです」


 そこからの話はありきたりでつまらないストーリーだ。エスポワール書房からの連絡を絶ち、一年間ミステリーの執筆に集中。迷惑をかけていることはわかっていたが、一人の小説家としてチャレンジしたかった……そんな感じでどうだ?


「なるほど。相談していただければ良かったのに……」


 神妙な表情の尾上さんを見ると、どうやら信じてくれたようだ。小説家の気持ちに出来るだけ寄り添おうとする優しい担当者だ。少々心配になるぐらいに。


「ですが、今回の結果が僕の限界のようです。諦めがつきましたよ」

「いえ、素晴らしい結果じゃないですか。いや、むしろこの結果と経緯を公開するのはどうでしょうか? そうすれば夢カタル先生の作品が止まっていた理由の説明になりますし、我が社としては小説家の挑戦を応援する、ということを前面に出すことでイメージアップに繋がると思います。もちろん、もう片方の出版社の同意も必要ですが」


 優しいだけじゃなく、仕事も出来るらしい。頼もしい担当者だ。僕にとっても好条件だし、この流れには乗っておきたい。


「ご迷惑をかけた身なのにも関わらず厚かましいお願いになりますが、もし可能であるならば、僕もそうして頂けると助かります。あと、やっぱり僕はファンタジー小説が性に合っているようです。ミステリーはしばらく書かないで、ファンタジーに集中したいと思います」

「わかりました。では、そのように動いてみます。では、早速、俺は会社に戻って話をしてきます。先生は病院で診察を受けてから帰ってください」

「わかりました」

「では、失礼します。あっ――」


 一度は席を立った尾上さんはそのままの勢いで出て行きそうだったのに、急ブレーキを踏んだかのように前進しようとしていた体を無理矢理止めて、振り返った。


「次からは電話、出てくださいね」


 心配そうに尋ねる尾上さんに僕は微笑んで答える。


「はい。『もう』大丈夫ですから」

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