後編

「はぁ、疲れた」


 尾上さんが出版社へと戻ったあと、僕は病院で診察を受けてから、ホテルに戻りチェックアウト、そして帰宅した。周囲はとっぷりと日が暮れて夜になっている。

 診察の結果は、打撲やすり傷などの軽症はあったがそれ以外は異常なし。体に痛みは残るが、仕事道具の腕が無事だったことは不幸中の幸いだろう。あと、どうやら尾上さんが医師に脳波を診てもらうように執拗に依頼していたらしく、そちらの診察もあったが異常はなかった。


「まぁ、真実は僕にしかわからないってことだ」


 久々――のような気がする自宅は散らかっていた。片付けたい気持ちはあるが、今日はやめておこう。さすがに疲れた。僕はリビングにある椅子に腰をかけると、背もたれに溶けるように体を預けた。


「色々と大変だったな……『僕』も『マコト』も、そして――『アイ』も」


 こんなことになるとは思わなかった――それは言い訳になるだろうか。誰に対して誰が言っているのかはわからないけど。

 片桐誠の創作活動において、『マコト』も『夢カタル』も、そして、『アイ』も彼が創り出したアカウント……いや、もう一人の自分だった。ここで最初に『マコト』の名前を出したのは彼が最初に生まれたからだ。

 片桐誠はミステリー小説が大好きで、それを書く小説家に憧れた。作品をいくつも生み出し、賞レースにチャレンジするも敗退。薄々と自分には賞レースを勝ち抜くほどの突出した面白さを生み出す力がないことを悟った。

 諦めきれない片桐は創作活動を行っていく上で、中学生や高校生になら自分のミステリー小説は通じるのではないか、と甘い考えが浮かぶ。だけど、


「そんなに甘くはない。それにニーズも合っていない」


 ライトノベル、とジャンルを変えて賞レースにチャレンジするも敗退。この世代のニーズとして求められていたのは胸踊らせるようなファンタジーや青春モノだった。もちろん、ミステリーというジャンルが全く取り上げられていないわけではない。ただ、ニーズを度外視してでも世に出したい、と思わせるような突出した面白さがあれば良かった。まぁ、『マコト』にはそれは生み出せなかった。

 敗退を続け、まるで存在を否定されるかのような孤独な創作活動。片桐は逃げ場――いや、心の拠り所を求めた。

 それが『夢カタル』と『アイ』だ。この二つのアカウントを作成し、まるで別人のように存在させた。『夢カタル』はファンタジーのジャンルを中心に、『アイ』は恋愛のジャンルを中心に書くクリエイターとして活動させた。表向きは『マコト』でミステリー作品を書いて有名になりたいくせに、他のジャンルを書くことなんてプライドが許さないくせに、けど今人気のジャンルなら自分でも注目される、とか馬鹿げたことを期待していた。

 そして始まった寂しい寂しいお友達ごっこ。『夢カタル』にも『アイ』にも別アカウントでログインし、『マコト』の作品を褒めたり、コメントしたり、拡散したり、と『マコト』が他のクリエイターと交流しているようにみせた。まぁ、その輪に入りたがる似たような寂しいクリエイターは釣れて、本当の交流も出来るようになったのだから『マコト』としては良い結果を得られた、ということで終わるはずだった。一人三役は面倒だったから、『夢カタル』と『アイ』はゆっくりと創作の世界からフェードアウトさせ、忘れられる――はずだった。いや、片桐誠こと『マコト』は『夢カタル』と『アイ』の存在を忘れてしまっていただろう。


「けど、僕達の存在は消えなかった」


 何故そんなことが起こったのかは説明出来ない。可能性があるとしたら、片桐誠、という男の深層心理と潜在意識という他ないだろう。『他のジャンル』なら自分でも人気者になれるはず、という深層心理。そして、それが動かしたのが『夢カタル』と『アイ』という潜在意識だ。

 僕達は片桐誠が『マコト』として一日の活動を終えて眠ると、その眠っている間『夢カタル』と『アイ』として片桐誠の体を動かすことが出来るようになった。不思議な現象だった。しかも、僕達が片桐誠を動かしている間の記憶は残っていない。夢遊病に近いものだろう。僕達はこの僅かな時間を利用して作品を書き続けた。生まれた存在を残すように、必死で。

 結果として『アイ』としては上手くいかなかったが、『夢カタル』としては小説投稿サイトに投稿した作品が、そのサイト内で開催されている賞レースにエントリー出来て、受賞することが出来た。そこから――


「片桐誠の体に変化が起き始めた」


 僕は自分の両手を握りしめ、開き、コントロール出来ることを確認する。

 変化は徐々にだが起きた。『マコト』が眠っている時間が多くなったんだ。平日は夜更かしをするが、今までよりは早く寝る。土日は昼過ぎまで寝る。遅いときには夕方まで。寝ている間は僕の時間だった。その時間を利用して、担当者となった尾上さんと連絡をとったり、リモートで会ったり、近くに来てくれるときには実際に会ったり、と様々なことを行った。その結果、書籍化、アニメ化などが決まっていった。

 今思えば、片桐誠が『夢カタル』になろうとしていた、とも思える。僕もこのまま『夢カタル』が片桐誠にとって必要なクリエイターになり、『マコト』とすり替わるのではないかと思ったほどだ。

 だけど、それに抗ったのが『マコト』だった。

 これまで気にしてなかった夢カタルの投稿を頻繁に見るようになり、そこに激しい嫉妬心を露わにするようになった。本人は僕達の存在を覚えていたのか、思い出したのかはわからない。それでも当初はまだ良かった。その嫉妬心を原動力として創作にぶつけていたのだから。僕達だってこの『マコト』なら共存出来るのではないかって思ったよ。だから、祝勝会と称した対面を望んだんだ。


「だけど――叶わなかったなぁ」


 少し寂しく、悲しくなって呟く。

 潜在意識、として対面した僕達に会話なんてなかった。『マコト』は僕を殺し、消滅させることを望んだ。結果、不意をつかれた僕は『マコト』に負けて、心の深い深い場所に埋められた。一人ではどうしようもなかったと思う。けど、そこで助けてくれたのが『アイ』だった。片桐誠には辛うじて忘れられておらず、『マコト』には忘れられた彼女は僕をその場所から救い出してくれた。それは『アイ』としてもこのまま『マコト』に全て委ねるのは危ない、という気持ちと片桐誠がまだ恋愛というジャンルに未練があったのかもしれない。

 一方で『マコト』は僕を殺した――勘違いだけど、そう思うことで意識が暴走しだした。最初は創作への原動力に上手く転換出来ていたようだけど、『夢カタル』を無意識に求めるようになった。おそらく、片桐誠としてもう一人の自分を殺したことによる自我の崩壊のようなものだった、と思う。『夢カタル』としては成功の道を歩もうとしていたからこそ、その存在を諦めることが出来なかったんだろう。

『マコト』が『夢カタル』の情報を頻繁に見て自分が殺したのではないかと思うようになったこと。不眠症になったこと。これらは自我の崩壊に対する彼の認識とその対抗だった。事実、『夢カタル』の失踪騒ぎは世間を賑わすほどの炎上ではなく、一部のファンが気にしていただけ。それを『マコト』が疑心暗鬼に囚われて頻繁に見るから、自分の中で大きな騒ぎだと勘違いしていた。不眠症になったのは寝ている間に『夢カタル』が活動していたことを無意識に理解していたんだと思う。だから、その時間を極端に短くすることで万が一でも『夢カタル』が出てくることを避けたかったんだろう。

 さて、この状況になったことで僕と『アイ』は『マコト』という存在を消す方向で結託した。未遂とはいえ、僕を殺そうとした『マコト』は危険な存在であり、その危険性は僕や『アイ』を認識すれば再び牙を剥くだろう。情緒不安定な『マコト』はこのまま自滅しそうではあったけど、確実に消す為に状況を利用して拍車をかけることにした。狙うは『マコト』の崩壊と消滅、そして『夢カタル』を中心とした片桐誠の再構築だ。

 主に動くのは『アイ』にお願いした。

 それは『夢カタル』が動けば、『マコト』に僕が生きているという安堵感を与え、再び僕を消す為に動き出す可能性があるからだ。それも今度は確実に。

 片桐誠の僅かな睡眠時間で『アイ』は見事に動いてくれた。不安を煽り、効果的なダイレクトメールと沈黙。『マコト』はボロボロになっていった。そして、次の一手は別の策を考えていたが、予想外の尾上さんの登場は『マコト』を崩壊させる決め手となった。もしかしたら、尾上さんが引っ越した家の場所を知っていたなら、彼ならきっと心配して訪ねて来てくれただろうから、もっと早く『マコト』を追い詰め、崩壊させていたかもしれない。

 そして、僕と『マコト』は潜在意識、として再び対面した。今度は逆の立場ではあったけど、弱り切った『マコト』を殺すことは容易く、同じように心の深い深い場所に埋めた。

 全てを終えた僕達に不安がなかったわけではない。『マコト』という一つの自我を殺すことが片桐誠にどのような影響を与えるかは不明だ。もしかしたら僕も『マコト』が経験したように自らを苛むようなことをするのかもしれない。

 それでも『マコト』とは違うことがある。僕は『マコト』を殺したことを忘れない。一人の小説家として生きていく為に、覚悟をもって実行したのだから。


「もちろん『アイ』――キミのことも忘れない」


 今回の功労者でもある『アイ』も今後は僕が休んでいるときに活動してもらおう。きっと彼女も書きたい物語があるはずだ。この片桐誠では『夢カタル』と『アイ』が中心となって創作を続けていくことだろう。仕事は――辞めてもいい。『夢カタル』の作品は好調に売れているようなので、生活には困らないはずだ。


「さてっと……」


 僕は趣味部屋へと移動する。そして、少し懐かしくも感じるパソコンを立ち上げた。まずは、あと一つだけ残っている後片付け。『マコト』の受賞作についてだ。担当者にはきっと尾上さんからも説明がいくだろうが、それに付け加えて、書籍化は拒否する旨をメールで送信する。佳作かつ書籍化検討ならばこの時点で拒否してしまえば無駄なコストを発生させないので相手方のダメージも少ないから受け入れられるだろう。

 そして――


「ただいま」


 僕は簡単な文章を作成し、SNSへと投稿した。

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