前編-8-
「では、改めて受賞式の流れを確認しましょうか」
「は、はい。宜しくお願いします」
「では、段取りですが――」
受賞式が始まる一時間前。俺は控え室で椅子に座りながら担当者から最後の説明を受けていた。
受賞式の為にスーツを新調してから二週間後、ついにこの日がやってきた。場所は都内のイベントスペースで、先程受賞式が行われる場所を下見させてもらったが豪華な飾り付けがされており、
「テレビで見たことがある」
と思わず呟いて隣にいた担当者に笑われた。担当者はこれまで何度かメールや電話でやり取りをしたことはあったが、今日が初対面だった。
よく見聞きする『立花』という姓に『葵』という名だったので、メールだと男女の識別はしにくいだろうな、というのが彼女の名前に抱いた感想だ。実際は電話でのやり取りが最初だったので、ハキハキとした聞き取りやすく常に少し大きめで早口な声は厳しそうな印象を受けたが会ってみると二十代中頃で若く、小柄でショートヘアのボーイッシュではあるが可愛らしい女性だった。
「――以上が段取りになりますが、何か質問はありますか?」
「あ、はい。大丈夫です」
紙に描かれた概要図を見ながら二度目の説明を受けた。一度目はリハーサルのように実際に会場を歩きながら説明を受けていたので説明はすんなり理解出来た。
「少し緊張するかもしれませんが三十分ぐらいで終わりますから、頑張りましょう。終われば豪華なごはんが待っていますよ」
担当者は俺の前で小さな両拳を握って笑顔で激励してくれる。彼女の言う通り、式自体は短くて、終わったあとは立食パーティーがあり歓談する時間があるらしい。
「は、はい」
俺も笑顔で返すが、ぎこちない自覚があった。緊張しているのだろう。これまで会社ではもっと大きな会場で、もっと賞金も高い賞を多くの人の前で受けたことがあるのに何故だろうか。
いや、俺は本当に受賞式に緊張しているのか? 実は別の――
「トイレとか大丈夫ですか?」
担当者の言葉で別方向に流れそうだった思考が止まる。あれこれと考えたところで、今は何も出来ない。だからこそ、今は憧れていたこの世界の入口を楽しむべきだ。
「はい、大丈夫です」
俺は担当者に笑顔で返事をすると一つ深呼吸をした。そして、座ったまま背筋を伸ばしたり、腰を捻ったりして強張った体をほぐす。新調したスーツは馴染んでおり、服が突っ張る感覚もない。だいぶ体調を戻したとはいえ、以前持っていたスーツは痩せてしまったせいで、着てみるとだぼっとしてしまい鏡で見たときにこれで受賞式に、しかも、ネットで生配信されるなんて恥ずかしくて耐えられないと思ったものだ。
「楽しもう、今は。ずっと憧れていた世界なんだから」
俺はそう呟き、受賞式が始まるのを待った。
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