後編-5-
俺は趣味部屋へと駆け込み、ノートパソコンを立ち上げて、自分が書いた物語を読み返した。
あの悪夢で見た誰かを――夢カタルであろう人物を殺害した部分は素手だった。そして、その生々しい感触は覚えているが周囲の光景やその相手に関しては真っ暗だったので何も見えていなかった。それほどまでに興奮状態で我を忘れていたのかもしれない。自身のことなのにそんな経験をした覚えがない。殺害した、ということは相手に苦しみを与えたはずなのにその相手の顔すら覚えていない。必死、とは自分のことばかりで相手のことなんて考えないことをいうのかもしれない。
この当時のことを思い出せないのはもういい。今は諦める。それよりも、あの悪夢の次の場面だ。俺が山に死体を埋めている場面については妙に周囲の風景などを覚えていた。何も見ずとも思い出すことも出来るが、一応、文字にした内容も見ておきたい。記憶は時間が経過しているが、物語で書いたのは今よりも新鮮な状態でアウトプットしたものだ。しかも、当時の俺はこれに関しては無駄な脚色はせず、そのままの方が臨場感があると思って書いたはずだ。
だから、これを読めば――
「俺が死体を埋めたところがわかるはず」
それを無意識に呟いたとき、俺は込み上げてきた吐き気を堪えて、トイレへと駆け込み吐いた。吐き出されたものに固形物はなく、口の中に広がる酸っぱさが気持ち悪くてまた吐き出す。便器の中の水が自分の胃液で濁り、唾が白く泡立っていた。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い――何で俺がこんな思いをしないと駄目なんだ。目に涙をためて、また嘔吐する。その反動で溜めていた涙は勝手に零れた。
数分間、トイレに籠もり吐き出すものがなくなり、空打ちのようなえずきを数回繰り返したあと、呼吸が落ち着いたらトイレットペーパーで口を拭いて、それを一緒に流してからリビングに戻った。だけど、パソコンの置いてある趣味部屋には行かず、まずはキッチンへ。蛇口をひねって水を出すと手で器を作って、溜めて、口へと運ぶ。口内にまとわりつく不快感をゆすいで、吐き出す。それを数回繰り返した。冷蔵庫から何か出して飲もうかとも考えたが、甘いジュースも苦いコーヒーも無味無臭の水ですら体内に取り込むとまたトイレに直行してしまいそうな気がしてやめた。
「くそ……」
先程の嘔吐の繰り返しで、回復していたはずの体力が根こそぎ消費してしまったような気がする。体が重い。だけど、だけど、いつまでもこのまま現実から逃避し続けるわけにはいかない。じっと待っているだけだと、気が狂ってしまいそうだ。
趣味部屋へと体を引きずるように歩き、パソコンと向かい合う。マウスを動かすとスリープ状態だった画面が起動し、海外の綺麗な風景のスクリーンセーバーが映し出されると、海外逃亡、という文字が頭に浮かんだ。まぁ、それを決行出来るほどの勇気も度胸もまだない。最終手段だろ、それは。まだ、まだ、気のせいだって可能性もゼロじゃないはずだ。
俺はパスワードを打ち込み、ログインすると開いたままになっている小説を再び、読み始めた。
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