第4話 理不尽な婚約者


 あの日の1回きりで終わるだろうと思っていたのに、あの日以降私とカミユ殿下は毎日一緒に私の作ったお弁当を食べるようになった。

 毎日毎日お弁当の中身を楽しみにしてくださるカミユ殿下を見ていると、自然と日々のお弁当に力も入る。

 どんな料理が気に入ってもらえるだろう、そんなことを考えながら、使用人たちの手を借りつつ新しい料理にチャレンジしてみるのもまた、最近の楽しみの1つとなった。


「おい、あまり調子に乗るなよ」


 ああ、またか、と思う。

 今回の人生では、私の目の前に現れるこの人は、いつだってその目に怒りを湛えていた。


「フランツ様……何のことでしょう?」

「婚約者がいる身で、殿下と親しくするなど、恥ずかしくないのかっ!」


 それを、あなたが言いますか。

 今にも飛び出しそうだったその言葉を、私はなんとか飲み込んだ。

 自分だって毎日、婚約者の妹と行動を共にしているではないか。

 それこそ、私とカミユ殿下の関係なんかよりも、よっぽど親しげに。

 それなのに、おそらくいずれは婚約破棄をすることだって考えているだろうに、私には他の男性と仲良くすることは許さないと言うつもりか。

 何とも自分勝手な人だ。

 なぜ、私は今まで、人生を何度繰り返して尚、この人に振り向いて欲しいだなんて考えていたのだろう。


「そういうフランツ様だって、これからクレアと食堂に行かれるのでしょう?」

「クレアは、君の妹だろう!いずれ家族になる者と、赤の他人とではわけが違う」


 そう思っている人間が、果たして何人いるだろうか。

 婚約者はそっちのけで婚約者の妹ばかり構う様子を見て、婚約者の妹だから大切にしているのだと考える人なんて、さすがにこの学園のどこを探したっていないはずだ。


「毎日毎日、俺のために作った弁当を殿下に貢いで……」

「あなたのために、作ったものではありませんっ!」


 自分でも、信じられないほどの大きな声が出た。

 フランツ様に対して、こんな風に声を荒げたことは今まで一度もなかったはずだ。

 フランツ様も驚いていらっしゃるようだけれど、正直なところ、私だって自分自身にとても驚いている。


「これは、カミユ殿下のためにお作りしたものです。明日も食べたいとおっしゃってくださったカミユ殿下に、少しでも喜んでいただけるように、カミユ殿下がお好きなものを思い浮かべながら、必死にメニューを考えて……」


 フランツ様にお作りしている時は、そこまで考えたりしなかった。

 最初のうちは考えていたかもしれないけれど、考えれば考えるほど食べて貰えなかった時のショックが大きくなってしまうような気がして、なんとなく当たり障りのない似たようなメニューばかりだった。

 けれど、今は毎日カミユ殿下のことを考えて、カミユ殿下が特に気に入ってくださったものを思い出しながら、それならば次はこれも入れてみようなんて考えたりしている。

 殿下の好みも少しずつわかってきて、お弁当もだいぶ殿下の好みのもので埋めつくせるようになってきたはずだ。


「ですから、この中に、あなたのために作った料理なんて1つも入っていませんっ!」

「婚約者の前で、生意気な……っ」


 叩かれるっ、そう思って反射的に目を閉じた。

 けれど、いつまで経ってもその衝撃は訪れなくて、もしかしたら目を開けた瞬間に叩かれるのかもしれない、なんて不安にもなりつつ、それでもおそるおそる目を開けてみた。


「カミユ殿下!?」


 そこには私を叩こうとしたフランツ様の腕を掴みあげるカミユ殿下と、顔面蒼白なフランツ様がいた。


「フランツ・エルドレッド、君は本当に学習しないね。たとえ婚約者であっても、女性に暴力を振るっていい理由にはならないはずだ」

「ち、ちがいます、殿下、これは……」

「何が違うんだ?こうして僕が止めなければ、今頃シェリルの頬は腫れあがっていたかもしれないじゃないか」


 気のせいだろうか、フランツ様の腕をつかむカミユ殿下の手の力が、先ほどよりも強くなっているような気がする。

 カミユ殿下はしばらくそのままフランツ様の腕を掴んだままだったけれど、フランツ様が何も言わないためか、まるでゴミでも放り捨てるかのように、冷たい表情でフランツ様を振り払った。

 その勢いにより、盛大に尻もちをついたフランツ様には目もくれることなく、カミユ殿下は私の方へ笑顔を向ける。

 それは先ほどまでの冷たい表情が幻だったのかと疑いたくなるほどの、優しい笑顔だった。


「ごめんね。僕が遅くなった所為で……」

「と、とんでもないです」


 むしろ婚約者同士のごたごたに、何度巻き込んで、何度助けていただいたことか。

 感謝してもしきれないほどである。


「じゃあ、行こうか」


 こうして差し出されるカミユ殿下の手に私の手を重ね、一緒に中庭に行くのもいつしか当たり前のことになったようだ。

 私はそんなことを考えながら、カミユ殿下とお弁当を食べるため中庭へ向かったのだった。




「嬉しいな、これが、僕のために作られたお弁当だなんて」


 お弁当を広げた瞬間、そんなことを言われてしまって、私は顔が熱くなるのを感じた。


「聞いて、いらしたのですか……?」

「ごめんね、聞こえちゃったんだ。でも、すごく嬉しかった」


 その言葉に私の顔はますます熱くなってしまって、カミユ殿下を直視することができない。

 私はごまかすように、お弁当の中のある一品をカミユ殿下に薦めた。


「これ、殿下はお気に召すのではないかと思って、はじめて作ってみたんです。よかったら、召し上がってみてください」

「え?ホントに?僕のためにはじめて?嬉しいっ」


 そう言うと殿下は、まさかの毒見なしでそれを食べてしまった。

 元々毒見として成立していなかったかもしれないけれど、それにしたってあまりにも不用心だ。


「おいしい!うん、僕、これすごく好きだよ!」

「殿下、私が食べてからでないと……」

「いいんだ。シェリルが僕のためにはじめて作ってくれた料理だ。シェリルにだって先に食べられたくないもの」

「そんなことを言って、もし何かあったりしたら」

「毒が入ってたって、絶対に食べたいと思ったんだ」


 ようやく落ち着いたと思ったのに、私の顔はまた熱くなっていく。

 絶対に今の私の顔は赤いはずだ、そんなことを考えている傍で、殿下がまたお弁当を食べたような気がして、私はまた顔をあげた。


「シェリルどうしたの?食べないと、僕が1人で全部食べちゃうよ?」

「そうではなくて、私がまだ食べてないのに……」

「もういいよ、毒見なんて。そんなことしなくたって、大丈夫だよ」


 信頼してくれた、ということなのだろうか。

 それとも、直前に私が食べたところで、すぐに症状が現れるとも限らないし、結局何の意味もなさない行為にすぎなかったからだろうか。

 いろいろ思うところはあったけれど、おいしそうに食べてくれるカミユ殿下を見ているうちに、いつの間にか全部吹っ飛んでしまった。






 今にも雨の降りそうな曇り空のある日の放課後、私はフランツ様に屋上へと呼び出されていた。


「お話とはなんでしょう」


 いつ雨が振り出すかもわからない中、屋根のない屋上へと呼び出すなんて。

 そんな思いを抱えつつも、相手は一応婚約者であり、侯爵家の人間でもある。応じないという選択肢を取ることは、私にはできなかった。


「おまえに1つ忠告をしようと思ったんだ」

「忠告、とは?」

「おまえが何をしようと、おまえの婚約者が俺であることは変わらない」


 何を言っているのだろう、この人は。

 その婚約を破棄しようと考えているのは、他でもない自分だろうに。

 最初はそんな風に思いながら聞いていたが、どうもそれは違うようだった。


「確かにおまえはクレアと違って地味で、何の面白みもない。興味なんてまったく湧かないし、一緒にいるならクレアの方がずっといいに決まっている」


 言われなくても、そんなことわかっていたはずだった。

 けれど、こうして面と向かってはっきりと言われてしまうと、やっぱりその言葉は鋭利な刃物のように私の胸に突き刺さり、胸を抉られるような感覚を覚えた。


「わかっています。ですからこれ以上フランツ様には……」

「だがっ!婚約者は、おまえでないとダメなんだ」

「は……?」

「俺が侯爵家を継ぐには、侯爵夫人としてのおまえの存在が必要不可欠だ」

「あなたは1人息子です。誰と結婚しようとも、侯爵家を継げるでしょう」


 何をおかしなことを言っているのやら、非常に馬鹿馬鹿しいったらない。

 そう思ってこの場を立ち去ろうとしたが、強い力で腕を掴まれ、それを阻まれてしまう。


「痛いです。フランツ様……」

「俺には、従兄がいるんだ。俺よりも優秀で、なんでもできて、両親もとても気に入っている……」


 痛いという私の訴えは、フランツ様の耳には届いていないようだ。

 私の腕を掴む力は弱められることはなく、フランツ様は聞いてもいない自身の話を勝手にはじめている。


「クレアでは、ダメだと言われたんだ。クレアでは侯爵となった俺を支えられない、それならば従兄に爵位を譲ると」


 そんなの、私の知ったことではない、そう言えたらどんなにいいか。

 今この瞬間、どんなにフランツ様に疎まれようとも、結局婚約者であることには変わりのない私は立派な当事者の1人と言えてしまうことだろう。


「それで?」

「君が侯爵夫人として俺を支えるなら、爵位は予定通りに俺に継がせるそうだ。つまり、俺が爵位を継いでクレアと幸せになるには、おまえが侯爵夫人でなければならないということだ!」


 なんと自分勝手な言い分なのだろう。

 爵位を継いで、クレアと悠々自適な生活を送るためだけに、結婚は私として、私にただ侯爵夫人として必要な役目だけをこなせと言っている。

 けれど、一番悔しいのは、そう言われたことではない、この理不尽で自分勝手なフランツ様の言い分を、跳ね除ける力が私にはないことだ。


「だからおまえが何をしようと、この婚約が解消されることはない。俺は決して解消を申し出ることなどないし、おまえが申し出たところで伯爵家からうちとの婚約を解消させるなど、無理だろう」


 そう、フランツ様の家は侯爵家、私の家は伯爵家、フランツ様が頑なに婚約を解消しないとおっしゃる以上、私にはもうフランツ様が提示する未来を受け入れるほかないのである。

 どうして、こんなことになったのだろう。

 何度人生を繰り返しても、フランツ様は私に振り向いてくれることもなく、私との婚約を歓迎している様子を見せてくれることもなかったのに。

 もうフランツ様のことなんてどうでもいいと、ようやく思えた今回の人生に限って、フランツ様はこの婚約に執着し、私は逃げることができないだなんて皮肉なものだ。

 1度目や2度目の人生の時の私だったら、たとえそこに愛がなくとも、決して婚約を解消しないというフランツ様のこの態度を、非常に喜んだに違いないのに。


「わかったら、これ以上変な真似はするな。殿下に不必要に近づくのも、許可しない」


 フランツ様はそれだけ言うと、屋上を立ち去った。

 1人その場に取り残された私は、そこから動くことができなかった。

 ああ、そうか。1度目の人生の時から、フランツ様とクレアのことは噂になっていた。

 フランツ様は、地味な婚約者よりも、天真爛漫でかわいらしいその妹の方がお気に召しているらしい、と。

 だから、婚約者が姉から妹へと変わるのも、時間の問題だろう、と。

 一方で、私の知らないところで、私とカミユ殿下も噂になってしまっているのかもしれない。

 婚約者にかまってもらっていない伯爵令嬢が、最近第3皇子殿下の周りをうろちょろするようになったのだ。

 フランツ様とクレアの噂とあわせて、おもしろおかしく広まっていても不思議ではない。

 自分はよくても、自分の婚約者が自分に目もくれず他の男性に夢中らしいという噂は、まるで自分が魅力がないとでも言われているようで、歓迎できなかったのかもしれない。

 もし、噂が本当に広まってしまっていたら、カミユ殿下には大変ご迷惑をかけてしまったことになる。

 それだけが、ただただ申し訳ない、とそう思った。


「あ、雨……」


 とうとう、降り出してしまったようだ。

 そう思ったけれど、やっぱり私の足はそこに縫い付けられたかのように、その場から動くことができない。

 これから先のことを考えても、絶望しかなくて、目の前が真っ暗になるような気がした。

 雨足がどんどん酷くなり、周囲の景色がどんどんぼやけていく。

 それが、雨のせいだけではない、私の目からも涙が流れていたせいだ、とようやく気づいたとき、なぜか屋上のフェンスの向こうに見える景色だけが、とても鮮明に見える気がした。


「そうだ、本当なら、もう、終わっているはずだった……」


 1度目の人生で自ら死を選んだあの瞬間、私の人生は終わったのだ。

 この先の幸せを望む必要なんてない、全て終わらせてしまえばいいのだ。

 きっと、卒業の日まで、待つからいけなかったんだ。

 今、この場で、死を選べば、今度こそ全て終わりにできるような気がした。

 私は何かに引き寄せられるように、屋上のフェンスの向こう側へと足を伸ばした。

 後は、重力に身を任せ、この身を投げれば全てが終わる、そう信じて私は屋上から身を投げた。

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