第3話 2人分のお弁当


「あれ?シェリルも今からお昼?」


 こうして、昼食前に校内でカミユ殿下と顔をあわせたのははじめてかもしれない。


「はい。殿下も今からですか?」

「うん。これから食堂に行くところなんだ。よかったら一緒に食事しない?」

「あ……ごめんなさい、私は、その……」


 お誘いは正直、嬉しいと思った。できることなら、二つ返事で応じたいとも思った。

 けれど、私は今自分が持っている、そうすることができない元凶が入ったカバンを少しだけ持ち上げてカミユ殿下に見せた。


「あ、そっか、ごめん。シェリルはいつもお弁当なんだっけ」


 間違ってはいない、間違ってはいないのだけれど、なぜそれがいつもだとカミユ殿下は知っていらっしゃるのだろう。

 私は毎日のように自分でお弁当を作り、いつも1人中庭でそれを食べている。

 けれど、そんな話、カミユ殿下にお話した覚えはなかったのに。


「残念。実は急にシェリルにおすすめしたい本を思いついてね、その話もできたらいいなって思ったんだけど」


 また、後で話そうか、なんて言いながら離れていく殿下の手を、私は思わず引っ張って引き留めてしまった。


「あ、ごめんなさい。あの、その……」

「どうしたの?何か用があった?」


 突然皇子殿下の腕を引っ張るという無礼を働いてしまったのに、カミユ殿下は今日もとてもお優しかった。


「もし、よろしければ、その、これを一緒に、と……」

「え?そのお弁当?でも、それ、シェリルのお昼ご飯でしょう?」

「そうなのですが、いつもその、2人分作ってしまっていて、余ってしまうので、もしよかったら……」


 そこまで言ってしまって、ハッとする。

 カップケーキを何も考えずに渡してしまった時と、同じことをしてしまっている。

 あの時はまだ、調理実習という人目のある場所で作られた分、多少なりとも安全だったかもしれない。

 だが、家でどのようにして作られたかわからない、貴族令嬢の手作り弁当なんて、皇子殿下が食べられるはずもないではないか。


「ご、ごめんなさいっ、私ったら何言って……こんなもの、カミユ殿下がお召し上がりになれるわけ……」


 考えがあまりにも足りなさすぎて、恥ずかしくてすぎて、もうどうしていいかわからない。

 今にもこの場を立ち去ってしまいたい衝動に駆られる。


「待って」

「は、はい……っ」


 まだ、さすがに立ち去ろうとしてはいなかったはずだけれど。

 それでも、どこへも行かせない、とでもいうように、今度はカミユ殿下が私の腕を掴んでいる。


「それ、シェリルが作ったお弁当なんだよね。僕が食べたいって言ったら、シェリルと一緒に食べてもいいの?」

「えっと、その……」

「食べたら、ダメなの?」

「いえ、決してダメでは……」

「本当?なら、今日のお昼は君とそのお弁当が食べたい!」

「ですが、あの、毒見とか……」

「大丈夫だよ、シェリルが作ったんだもの。でも気になるなら、先に全部シェリルが食べてくれたらいいよ。僕はシェリルが食べて大丈夫だったものだけ、食べるようにするから。ね?」


 毒見ってそんなんでよかっただろうか、とか。

 皇子がそんな不用心で大丈夫なんだろうか、とか。

 きっと言わなければならないことはたくさんあるはずなのだけれど、私の心を埋めつくしたのは、ただカミユ殿下が食べたいと思ってくださったことが嬉しいという気持ちだった。


「カミユ殿下に食べていただけるなら、すごく嬉しいです」

「僕も、シェリルのお弁当が食べられるの、すごく嬉しいっ!待ってて、紹介しようと思ってた本、すぐに取ってくるから」


 本当に嬉しそうな表情をしてくださるカミユ殿下を見ているだけで、私もますます嬉しくなる。

 私は早く殿下に戻って来て欲しいと思いながら、駆け出して行った殿下を見送っていた。




「おい、どういうつもりだ?」


 殿下のお姿が見えなくなった直後、背後からフランツ様が現れた。

 またしても、明らかに怒っているということだけは、確かなようである。


「どういう、とは……?」

「その弁当は、俺と食べるために作っていたのだろう?」


 今さら、何を言っているのだろう。

 そう、確かにかつては、そうだった。

 これはまだクレアが入学する前、私たちがこの学園に入学して間もない頃にはじめた事だった。

 少しでもフランツ様に何かしたくて、そしてフランツ様と昼食を共にできるよう祈って、私は毎日のように2人分のお弁当を用意した。

 けれど、実際に一緒に食べて貰えたのは数えるほどしかなく、クレアが入学してからは1度もなかった。

 それでも、いつか一緒に食べて貰えるかもしれないと淡い期待を抱き、私は繰り返す人生の中で、毎日毎日2人分のお弁当を作り続けたのだ。

 しかし、それも全て昔のことである。

 今は、フランツ様と共に、お弁当を食べたいだなんて、微塵も思っていない。

 そんな願いは、それこそ4度目の人生にて、捨て去ってしまっている。

 それでも今も2人分作り続けてしまっているのは、単に長く続けてきた癖がどうにも抜けなくて、作るとどうしても2人分になってしまうからというだけである。


「かつては、確かにそうでした。でも、今はもう違います。フランツ様は、いつもクレアと食堂で召し上がるではないですか。私のお弁当を召し上がるはずがないと、私もよくわかっていますから」

「それでも、あわよくば俺と食べたいと、期待しているから2人分あるのだろう?」

「いいえ。それもあくまで昔のことです。今はもう2人分作る必要がなくなったけれど、かつて2人分作っていた癖が抜けなくて、不要だとわかっていても2人分作ってしまうだけです」


 結局、毎日毎日、半分は捨ててしまうことになってしまって、もったいないと思っている。

 それでも、1度目の人生から繰り返し続けて身につけた習慣とは恐ろしいもので、気づいたら翌日もまた2人分のお弁当を作ってしまっているのである。


「意地を張らなくていい。俺と食べたいと、今もそう思っているのはわかっている」

「いえ、そうではないと……」

「そして今、俺に食べてもらえないからゴミになってしまう弁当を、おまえは殿下に押しつけようとしているんだろ?」

「なっ!?決して、そんなつもりは……っ」

「やめておけ、おまえだって不敬罪で捕まりたくないはないだろ?」


 確かに、フランツ様に差し上げる気は、フランツ様に召し上がっていただこうなどという気は、さらさらないけれど。

 捨ててしまうことになるなら、とカミユ殿下に押し付けてしまっている状況は、否定ができない。

 言われてみれば、皇子殿下相手に、とてつもなく失礼なことをしているかもしれない、そう思うと私は反論ができなくなった。


「僕はそんなこと、気にしていないし、不敬罪などと言うつもりもない」


 突然、その場に響いた凛とした声に驚いて、私もフランツ様も声の主の方を見た。

 私と目が合うや否や、カミユ殿下はとても優しい表情で、微笑んでくださった。

 その表情が、大丈夫だと、そう言ってくれているような気がして、私はほっとした。


「彼女のお弁当を食べさせて欲しいと言ったのは僕で、彼女はそんな僕のわがままを聞いてくれただけにすぎない。不敬など、あるはずもないだろう?」


 フランツ様にそう声をかけると、カミユ殿下はにっこりと笑って私の手を取った。


「待たせてしまって、ごめんね。今日は暴力は振るわれてない?」

「はい、大丈夫です」

「よかった、では行こうか」


 フランツ様はただ呆然とその場に立ち尽くすだけで、今回は私たちを引き留めるようなことはなかった。

 けれど、私はフランツ様が言っていたことを、カミユ殿下がどこから聞いていたのかが非常に気になっていた。

 たとえ今は違うとしても、元々はフランツ様のために作っていたものだったということは、否定できない。

 そして、捨ててしまうものであることも、否定することはできない。

 不敬だとは言わないとおっしゃってくださったとはいえ、不快な思いはされているかもしれない。


「あ、あの、カミユ殿下、その、どこからお聞きになって……」


 あれやこれやと考えをめぐらせていたためか、中庭にたどり着くのはあっという間だった。

 私の横に腰をおろしたカミユ殿下に、私はおそるおそる問いかけた。


「ん?ああ、たぶん、だいたい聞いちゃったかなって思うけど、シェリルが心配するようなことは何もないよ」

「え……?」

「君は僕を不快になんかさせてないし、僕は本当に嬉しいと思っているだけだから」


 そう言うと、カミユ殿下は、ほら早く食べようと急かしてくる。

 私は慌ててカバンの中からお弁当を取り出した。

 そして、それを広げると、カミユ殿下から感嘆の声があがる。


「これ、本当にシェリルが作ったの?」

「はい」

「1人で?」

「はい」


 最初のうちは家の使用人たち、主に厨房で働くものたちに少し手助けをしてもらうこともあった。

 でも、今ではすっかり慣れていて、1人でだいたいのものは作れるようになってしまった。

 とはいえ、手の込んだ料理が入っているわけでは、ないけれど。


「お弁当用の、簡単に作れるようなものばかりで、お恥ずかしいですが……」

「ううん。どれも美味しそうだ。シェリルのおすすめはどれ?」

「そう、ですね……」


 まるで、本のおすすめでも聞くかのように聞かれているのに、その対象がお弁当のおかずというだけで、なんだかとってもドキドキするような気がした。


「私はこれが気に入っているのですが……」

「そうなの?ホントだ、おいしそう!それ、食べたいから、ほら、シェリル早く食べてみて」


 ああ、そういえばそうだった。

 毒見の代わりに、私が食べて大丈夫だったものを召し上がることにしたんだった。

 私が食べないと食べれないのだとわかって、私は慌てておすすめしたおかずを口に入れ、急いで飲み込んだ。


「大丈夫だった?何ともないよね?」

「は、はい、大丈夫です」


 急ぎすぎた所為か、それとも緊張のためか、いつもより味がわからなかった以外は、何の問題もないはずだ。

 私の返答を聞くとすぐに、カミユ殿下もそのおかずを召し上がった。


「うわぁ、おいしいっ!カップケーキを貰った時も思ったけど、シェリルは本当に料理上手だね。きっといいお嫁さんになるよ」


 残念ながら、いいお嫁さんどころか婚約者にまともに振り向いてもらえず、婚約破棄されるような人間なのだけれど。

 でも、カミユ殿下が本当に美味しそうに召し上がってくださるので、素直に嬉しいと感じることができた。


「次は、これ!これを食べてみたいなっ!」

「あ、はい、むぐ……っ」


 言われたものをすぐに口に入れようとしたが、その前にカミユ殿下に口に押し込まれてしまった。


「おいしい?ねっ、おいしいよね?」


 そこは、大丈夫、と聞くところでは?と思ったけれど、口の中がいっぱいの私はただこくこくと頷くことしかできない。

 その頷く様子を見て、カミユ殿下はそれもまた召し上がってしまう。

 私が飲み込んでしまってから問題ないことが確認できないと、毒見が成立しないのでは、と思ったけれど、にこにこと嬉しそうに笑いながら私の作ったおかずを召し上がる殿下を見ると、何も言えなくなってしまう。


「うん、これもすごくおいしいね!じゃあ、次はこれっ」

「で、殿下……私は自分でっ、むぐっ」


 またしても食べたいものを私の口に放り込もうとしている殿下が見えて、慌てて止めようとしたのだけれど、それよりも前に殿下に放り込まれてしまった。

 また、飲み込む前においしいか聞かれ、頷けばまた殿下もそれを召し上がる。

 そんなやり取りが、全ての料理に対して1度ずつ順番に行われた。

 これでカミユ殿下はどれでも自由に食べれられるようになったということで、私はようやく普通にお弁当を食べられるようになってほっとした。




「あー、おいしかった!」


 お弁当はあっという間に空っぽになった。

 カミユ殿下と食べるお弁当は、いつも通りの中身でしかないのに、いつもより美味しく食べられたような気がする。


「ごめん、僕、たくさん食べちゃったよね。シェリル、足りなかったんじゃない?」

「いえ、そんな。私はおなかいっぱいです。男性の方がたくさん食べると思っていましたし、たくさん食べていただけてとても嬉しいです」


 食べた量は確かにカミユ殿下の言う通りお互いに半分とはならず、おそらく三分の二ほどがカミユ殿下のお腹の中におさまった。

 けれど、私は足りなかったとは思っていないし、何よりそれほどたくさんおいしいと食べてもらえた事実に満たされている。

 フランツ様は一緒に食べても、こんな幸せそうな表情なんて見せてはくださらなかった。

 カミユ殿下はきっと、ついお弁当を一緒にとお誘いしてしまった私に惨めな思いをさせないため、付き合ってくださっただけだとわかっている。

 きっと、他の貴族令嬢に対しても、同じ反応を見せてくださる、お優しい方なのだ。

 それでも、私はこの瞬間幸せだった、こんな風にお弁当を食べてもらえたのははじめてだったから。

 だから、それだけで、十分だとそう思った。


「そうだ、はい、これ!今なら、ちょうど、おいしいお弁当のお礼、になるかな?」


 カミユ殿下がそう言って差し出してくださったのは、一冊の本だった。

 いつも貸してくださるおすすめの本とは違って、それはまだ誰にも読まれていない、一目で新品だとわかるものだ。


「これ、は……」

「実は昨日、本屋で偶然見つけたんだ。以前シェリルがおすすめしてくれた本の中に、この作者の本があったから、もしかしたらこれも気に入るんじゃないかと思って」


 表紙に書かれたタイトルと、美しい絵だけで、興味を惹かれるには十分すぎた。

 その上、私が大好きな作者が書いた本だなんて、ますます心が踊らさせる。


「これ、新作、ですか?もう、随分書かれていなかったのに……」

「そうみたい、昨日出たばかりみたいだったから、もしかしたらシェリルもまだ持ってないかもって思って」


 そんなこと、全然知らなかった。

 随分書かれていないから、もう新しい作品を書かれていないだろうと決めつけていて、新作が出ているかどうか確認することさえしていなかったから。


「で、でも、これ……まだ殿下も読まれていないのでは……?」

「うん。それはシェリルにプレゼントしたくて買ったものだから。もし面白かったら、今度僕に貸してくれる?」

「いただいて、よろしいの、ですか……?」

「もちろん。君のために買ったんだから」

「嬉しいです、ありがとうございます」


 大好きな作家の新作の小説を手にできたことも、もちろん嬉しかった。

 けれど、この本を見つけたカミユ殿下が、私のことを思い出して、私のためにこの本を手に入れてくださったという事実がそれ以上に嬉しすぎて、おかしくなってしまいそうだ。


「大切にします」


 私はいただいた本を、宝物のようにぎゅっと抱きしめた。

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