第2話 カップケーキの行方


「フランツ、おまえはいいよなぁ……婚約者がいるから、貰えるだろ?」

「ああ、まぁな」


 フランツ様とご友人のこの会話も、もう聞くのは今回で5度目だった。

 今日は私のクラスの女子生徒は、家庭科の調理実習でカップケーキを焼く日である。

 そしてできあがったカップケーキを女子生徒たちは1人2個ずつ、持ち帰ることになるのだ。

 このカップケーキの行方は男子生徒たちの関心の的となっており、あわよくば1つ貰って食べてみたいと思う生徒も多いようだった。

 作った女子生徒たちの中には、それを意中の男性に渡す人もいれば、自分で全部食べてしまう人もいた。また持ち帰って家族と食べる予定の人もいるようだ。

 けれど、婚約者がいる者はだいたい、婚約者に渡すようである。

 私も過去4回の人生では、全てフランツ様に渡した。

 けれど、私と他の婚約者がいる女子生徒とでは、決定的な違いがあった。

 自身の婚約者からカップケーキを受け取った男子生徒たちは皆、2つあるそれを見て一緒に食べようと婚約者を誘うのだ。

 そして、各々、中庭だったり、屋上だったり、使っていない教室だったりで仲良く食べていたようだった。

 でも、フランツ様は違った。私が2つ差し出しても、2つとも受け取るだけで、私を誘うようなことは決してなさらなかった。

 散々2人の邪魔をした3度目の人生を除いては、全てクレアを誘って、2人で食べていた。

 そして、唯一クレアと食べなかった3度目の人生でさえも、私と食べることはなく、友人と食べていたのだ。

 私は4回もこの調理実習を経験したというのに、まだ1度も自分で作ったカップケーキを食べられてはいないのだ。

 それでも私が何度もフランツ様にカップケーキを渡してしまったのは、渡したその瞬間だけは確かに私に笑顔が向けられたからだった。

 それは、婚約者がいない者や、カップケーキを貰えない者たちへの優越感から来るものでしかなく、決して私から貰ったことを喜んでくれているわけではない。

 少なくとも2度目の人生以降は、それがわかっていたはずなのに、それでもたった一瞬のその笑顔のために、私は愚かにも同じことを繰り返してしまったのだ。


「さすがに、今回はもうやめよう」


 できあがった2つのカップケーキを抱えながら、私は気づけばそう呟いていた。

 以前のように、フランツ様に振り向いて欲しいという気持ちは、もうない。一瞬の笑顔も、今の私には不要だった。

 こうして調理実習でカップケーキを作るのも5度目なのだ、そろそろ自分で食べたって許されるはずだ。


「あれ?シェリル?」


 またしても、1度目の人生と違うことが起きるはずがないと思っていた状況で、カミユ殿下の声がした。


「ああ、そうか。シェリルのクラスは調理実習だっけ?男子生徒が騒いでたよ」


 カミユ殿下が私の抱えた紙袋を見ながら言う。

 中にはカップケーキが入っているのは間違いないのだが、カミユ殿下からは見えないはずである。

 紙袋を抱えているだけでそうだとわかるほど、生徒たちの関心が高い、ということだろうか。


「カミユ殿下も、どなたかから、いただいたのですか?」

「まさか。残念ながら、くれるような知り合いも、いないしね」


 残念ながら、ということは、貰いたいというお気持ちはあるのだろうか。

 私が食べる分は1個あればいい、それならもう1個は、いつも素敵な本をおすすめしてくれるお礼に、殿下に渡してしまってもよいのではないだろうか。


「その……、もし、よければ、お一ついかがでしょうか?」

「えっ?」


 私は、勇気を出して1つ差し出した。

 けれど、カミユ殿下は非常に驚いた様子でまじまじとカップケーキを見つめるだけで、動こうとされる様子がない。

 やっぱり、いくら本を通じて仲良くしていただいているとはいえ、これは失礼すぎたのかもしれない、と手を引っ込めようとしたところで、カップケーキごと私の手が掴まれた。


「いいの?僕が貰っていいのっ!?」


 ずいっとカミユ殿下のお顔が近づいてきて、慌てて距離を取ろうとしたけれど、手を掴まれているため上手くいかない。

 私は上手く声も出せなくて、ただこくこくと頷くことしかできなかった。


「本当に?僕でいいの?」

「は、はい。上手くできているか、わかりませんが、その、本を紹介していただいた、お礼になれば、と……」


 食べてみたことはないけれど、フランツ様とクレアは食べて顔を顰めるようなことはなかった。

 楽しそうな表情はおいしかったからではなく、ただ2人で過ごしていたからにすぎないかもしれないが、食べても表情が変わらなかったのだから、さすがに食べられないほど不味いものにはなっていないはずである。


「嬉しいよ!ありがとう!でも、食べてしまうの、もったいないなぁ」


 私からカップケーキを受け取ったカミユ殿下の喜びようは、今にも踊り出しそうなほどだった。

 なんとも大袈裟だと思うけれど、フランツ様にあげた時よりも、ずっと喜んでもらえていて気分がいい。

 フランツ様と違って、優越感ではなく、純粋にカップケーキを貰った、という事を喜んでくれている笑顔に思えた。


「あ、でも、シェリルのはあるの?」


 こんな心配も、フランツ様にはしてもらえなかった。

 私はどうしてあんなにも、フランツ様に振り向いて欲しかったのか、今となっては本当に不思議でならない。


「安心してください、ちゃんと私の分もあります」


 カミユ殿下の心配を払拭するように、紙袋からもう1つのカップケーキを取り出して見せた。

 それはよかったとカミユ殿下が笑ってくださったことに安堵した時、その手が後ろから強く掴まれた。

 カミユ殿下の時とは違い、強い痛みを伴うそれに、私は小さく悲鳴をあげる。


「フランツ、様……?」


 なぜ、今、彼がここにいるのか、私にはわからない。

 唯一わかったのは、彼がものすごく怒っているということだった。


「何を、している」


 それは私を殺した時のフランツ様を思い出すほど、低く恐ろしい声で、私の身体は震えを止められなかった。


「何、と言われましても……」

「答えろ。ここで、何をしてるんだ!」


 先ほどより強くなる口調にあわせるかのように、私の手を掴む力もまた強くなる。

 痛みのせいで、持っていられなくなったカップケーキが、床に落ちた。

 1つ1つ袋に入れているから、食べられなくなったりはしていないけれど、少し潰れたりはしてしまったかもしれない。


「やめろ、フランツ・エルドレッド」

「これは俺たちの問題です。殿下は黙っていてください」

「君たちが婚約しているとはいえ、か弱い女性にそのような行為、この国の皇子として見過ごすわけにはいかない」


 第3皇子であるカミユ殿下に反論したフランツ様にも非常に驚いたが、それ以上にカミユ殿下が私を助けようとしてくださったことに驚いた。

 婚約者同士のごたごたなど、見て見ぬふりをしてこの場を離れることだって、できたはずである。

 しかしながら、それがフランツ様の怒りをさらに増幅させているのか、フランツ様の力はますます強くなり、私は痛みに耐えるのも限界になりつつあった。


「いいかげん、その手を離せ!」


 カミユ殿下がフランツ様の手を振り払ってくださり、私の手はようやくフランツ様から解放された。


「これは酷いな。すぐに保健室へ行こう」


 見れば掴まれたところに痣ができており、腫れあがっている。

 今も痛みが続いているが、それ以上にそんな私の手を見つめるカミユ殿下の表情の方が、なんだかとても痛そうな気がした。


「殿下のお手を煩わせるわけには……1人で行ってきます」

「心配だから、迷惑でなければ、付き添わせてほしい。それに……」


 殿下はそこまで言うと、私が落としてしまったカップケーキを拾い上げた。

 差し出されたそれを、私は反射的に受け取る。


「これ、その後で一緒に食べられたら嬉しいなって。その、本の話でもしながら……」


 そうおっしゃったカミユ殿下は、どことなくお顔が赤くなっているような気がした。


「嬉しいです。是非、ご一緒させてください」

「待てっ!」

「まだ、何かあるのか?」


 そのまま2人でまずは保健室に向かおうとしたけれど、フランツ様に引き留められてしまう。

 カミユ殿下のおかげで、少しずつ治まりつつあった身体の震えが、またぶり返していくような気がした。

 カミユ殿下は、そんな私を庇うかのように、私とフランツ様の間に身体を割り込ませた。


「彼女の婚約者として、彼女と話があります。殿下はどうか邪魔しないでください」

「その婚約者がこんな酷い怪我をしているというのに、心配をすることもなく、手当てよりも話を優先させろと?そんな薄情な婚約者に気を使って、2人きりで話をさせる必要などないだろ?」


 カミユ殿下がそう言うと、フランツ様は無言になった。

 本当にカミユ殿下の仰る通りだ。私の手にこんな痣をつけたのは他でもないフランツ様なのに、私を心配する様子など微塵もない。

 私を心配するのも、すぐに手当てしようとおっしゃってくださるのも、婚約者でもなんでもないカミユ殿下ただ1人だ。

 もっとも、カミユ殿下はこの国の皇子だから、これが私でなくとも同様に心配してくださるのだろうけれど。


「行こう」


 カミユ殿下が、優しく私の手を引いてくださった。

 今度は、フランツ様に止められることはなかった。




 私はカミユ殿下と中庭に腰をおろし、カップケーキを頬張った。

 痣は保健室できちんと手当てをしてもらったおかげで、痛みもだいぶひいた。

 これで心置きなくカップケーキが食べられると、うきうきしながら包装を解いた。

 5度目にしてようやく食べることができたそれは、ふんわりとしてほんのり甘くて、我ながらなかなか上手くできていると思う。


「うん、おいしい!シェリルはお菓子を作るの、上手だね」


 どうやらカミユ殿下にも、気に入っていただけたようだ。

 嬉しくて、二口、三口、と食べすすめ、そこではじめてあれ?と思った。

 皇子殿下って、こんなに簡単に人が作ったものを口にしてよかったのだろうか。

 毒見とか、必要なんじゃなかっただろうか……


「あ、あの、殿下……その、今さらなんですけど……」

「ん?どうかした?」

「その、食べて、大丈夫、なんでしょうか……?」

「うん、大丈夫だよ。すごくおいしい」


 私が聞いたのは、味のことではなかったのだけれど。

 カミユ殿下はそれだけ言うと、黙々と食べ進めていく。

 私よりもペースが早く、先に食べ終わってしまいそうなのが、さらに不安にさせる。

 毒なんて盛っていないし、カミユ殿下を害そうなんて気もさらさらないけれど、今この瞬間を誰かに見張られていて、殿下が食べ終えたその瞬間、殿下に手作りのものを食べさせたと不敬罪で捉えられてしまいそうな気がして。


「どうしたの?何かあった?」

「い、いえ、何も……」


 ついつい辺りをキョロキョロと見渡してしまう私を、殿下が不思議そうに見ている。

 挙動不審になって、カミユ殿下に変な奴だと思われてしまっては困るので、私もカップケーキを食べることに集中することにした。


「シェリルの手作りのお菓子が食べられるなんて、本当に夢のようだ」


 全て食べ終えたカミユ殿下を見て、誰も私を捉えに来ないことに安堵する私とは対照的に、カミユ殿下は大袈裟なほど感動した様子でそう仰った。

 相手は皇子殿下だから、きっとそのような優しい言葉を、どの貴族令嬢にだってかけているはずだとわかっている。

 それでも、それならまた作らせて欲しいと、言ってしまいそうになるほど、その言葉は嬉しいものだった。

 自分の手作りのものを、こんなに喜んでもらえたことなんて、今まで1度もなかったから。




 本の話ばかりだったカミユ殿下と私の会話も、最近は少しずつ変わってきた。

 お互い、授業のことや、本以外で興味を抱いたこと、日常のちょっとした出来事なんかについても話をするようになってきた。

 カミユ殿下と過ごす時間はいつもとても穏やかで、心地のよいものだった。

 また、私自身にも、変化があった。

 4度目までの人生ではクレアが入学してから1冊も読んでおらず、5度目の現在も殿下におすすめされたものしか読んでいなかった小説を、新たに自分でも探して読むようになった。

 読んだことのない面白そうな本を探すという時間も、見つけた本も、とても心弾む楽しいものだった。

 そういった時間を過ごすことができたおかげだろうか。

 いつしか私はフランツ様とクレアが仲睦まじく談笑する様子を見ても、辛いとか苦しいとかいったような負の感情を、何も抱くことがなくなっていた。

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