第19回 古臭くステレオタイプなものの見方が露見します
さて、本創作ノート第19回目でございます。
今回は自分の感覚が古いなと感じたエピソードをご紹介しますよ。
先日ですね、下記の句をカクヨムに投稿し、またまた俳句教室の先生に見ていただきました。
どちらの句も自分なりの感情や面白いと感じた視点を描けているかなと思った句です。
①カツサンド買ひし女のサングラス
②夕立や女教師の姓変はる
【①に対するコメント】
・女性がカツサンドを買うのも、サングラスをかけるのも当たり前ではないか?
・当たり前の情景を詠んでも面白い句にはならない。
・何に感動したのか、そのポイントが分からない。
【②に対するコメント】
・今時、「女教師」などという言い方はしない。
・姓が変わったことが自分にとって何を意味するのか、自分と教師との関係が描けていない。
指摘を受けて、確かにそうだよなと感じました。
私の頭が意識しないうちに古臭く、ステレオタイプな見方に凝り固まっていたのだなと。
①は、パン屋でカツサンドを買って、サッと立ち去っていく女性がかっこよかったのですよね。
②は、子どもの頃の女性の先生への淡いあこがれを描こうとしたものの、中七にうまく言葉を収めるために、自分でも違和感を抱きながら「女教師」という語を使ったのです。
ただ、結果として、時代錯誤も甚だしい、自分の感覚の古さを晒してしまいました。
そして、自分が、女性はカツサンド買わないでしょ?サングラスする女の人、カッコいいでしょ?みたいなステレオタイプで無礼なものの見方をしているということを痛感しました。
恐らく母を詠んだ句なども、事実であったり、私の感情ではあるのですが、自身のステレオタイプなものの見方を押し付けている内容になっているだろうと思います。
そして日常生活でも、きっとそういう言動を無意識にしているのでしょう。
本句をお読みになり、ご不快に思われた方がいらっしゃいましたら、心よりお詫びを申し上げます。
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