天ノ川

緋盧

天ノ川

日付にしてみればたった一日。しかし、その一日のうちに世界が大きく姿を変えたことは、心華という名前の少女しか知り得なかった。ただし、これは説明の仕様のない転生物語ではなく、時間旅行だ。




臓器は機能として存在していたし、機械人間は知能があり、物を覚える事ができた。そこに人並みの感情はない。機械に心は生まれなかった。


再現できたのはあくまで体までだった。


言われるがままに、科学者の命ずる雑務を熟す機械人間は、ますます科学者の心を刺激した。完成した人間に心がない事が、彼女を欠陥品たらしめていた。そして、その科学者は彼女に一封の封筒を手渡した。


「この封筒の中には、君の設計図が入っている。君が未来に残りたいなら、誰か人に渡しなさい。」

「残りたいとはどういう意味ですか?」


聞き返しても、科学者は何も言わなかった。未来に残りたいとはどういうことなのか、彼女にはその意味が、皆目検討がつかなかった。科学者はそのまま、彼女の方を一切見ずに、赤い錠剤を差し出した。どうやら、この錠剤を飲むと、時間旅行へと向かえるらしい。

「心華。君は今から心を探しに行きなさい。」




どうやら、心華は時間旅行で心を見つけなくてはいけないらしい。


「あの…大丈夫ですか……?」


そう言って手を差し伸べてきたのは、一人の少年だった。地面に手をついたまま、じっと下を見つめていた彼女を見かねて声をかけてきたらしい。


「大丈夫です。問題はありません。」


彼女は徐に、その手を掴み、想定外の熱量に反射的に手を離した。中途半端に起き上がっていたその体は、そのまま地面に吸い寄せられて、鈍い音を立てた。


「ご、ごめんなさい!!!」


焦ったように、再度彼女の手を取ろうとする彼が、肩からかっぽりと外れて地面に転がったその両腕を見て絶叫するまで、そう時間はかからなかった。




それなのに、その腕が両腕とも義手であり、彼女が時間旅行でここまで来た未来人であることを説明し、納得させるのには随分時間がかかった。


「というわけです。驚かせてしまってすみませんでした。」

「こ、こちらこそ……。さっきは腕が、その、取れてしまって、すみません……。」


すっかり怯えてしまったようで、少年はたじたじとしながら、頭を垂れるばかりだった。腕はネジが緩んでいただけのことで、少年が家から持ち出してきたドライバーを使えば、すぐに取り付けることができた。少年の父親の仕事上、家に工具が多々置いてあったことが、不幸中の幸いだった。


「それはそうと、あなたはどうするんですか…?」


少年は今度は頭をあげて、興味津々に聞いてきた。コロコロと表情が変化する様子を見ながら、彼女はわからないとだけ告げた。


「心を見つけなくちゃいけないんでしょう……?」

「おそらく、それまでこの旅行から帰ることは不可能だと考えられます。」


手がかりは何もない。そもそも、彼女は自分に心がないなんてことは全く思わなかった。今もこうやって、生きて動いて考えているのだから、それを心と言わないのならなんと呼べばいいのだろうか。


「じゃあ、心を見つけるまで、うちにいればいいですよ!」


少年はキラキラとした目で、そう言うと返事も聞かずに、家まで彼女を案内した。見知らぬ人を勝手に家に上げてしまうほど、少年が危機管理能力に劣っていたのは、少年がまだ幼かった事もあったが、それ以上に孤独を嫌っていたからだった。




「まるで生活感のない家ですね。部屋の隅には大雑把な掃除のせいで取りこぼしたのか、埃が溜まっています。その上、キッチンには片付けられてない食器が、そこかしこに捨てきれていないゴミが散乱しています。」


彼女は容赦なく、少年の家を分析し始めた。


「し、失礼です…!!これでも、僕一人で頑張ってるんですよ!」


顔を真っ赤にして少年は言い放った。そんな少年がふっと目線をやった先には、少年にどことなくそっくりな女の人の遺影があった。


「父さんは、仕事で家に中々帰ってこれないんです。母さんは……。」


彼女は心華である以上に『天ノ川初号機』だった。人でありながら、科学者の手により生み出された”からくり”だった。そこに人並みの感情はなく、ただ彼女の中にはその状態を見て、掃除をしなくてはならないという思考だけが生まれた。


「家事全般は、彼の最初の発明品としてこなしてきました。」




空が暗く落ちる頃には、少年の家は見違えた。少年が自室にて、彼女を待っている間に部屋の埃は片付けられ、散らばったゴミはまとめて捨てられるように集められていた。そして、少年の質素だった食卓には豪勢な食事が並んでいた。


「これ、全部うちの冷蔵庫にあるもので作ったんですか…!?」

「そうです。一つの食材からでも、あらゆる料理を作ることができます。」


並べられた料理を、食い入るように端から食べ尽くす少年を横目に、彼女は洋服のポケットに入っている封筒に手をやった。


「お礼……。」


一通り、料理を食べ終わり、二人で洗い物をしている時、少年はふと口を開いた。


「お礼がしたいので、僕の宝物を見せます……。」


そう言うと、まだ洗い途中の皿を置いたまま、彼女を連れて少年は家の外へ飛び出した。街頭の明かりが薄気味悪く道を照らす中、二人の前に小高い山が見え始めた。


「ここはただでさえ田舎だから、灯りなんて、殆どないんです。」


少年は山の入り口を示しているであろう看板の裾の部分にしゃがみ込んだ。そこには何かを掘り返した跡が残っており、少年はそこから懐中電灯を取り出した。


道を照らしながら、段々と上へ上へと歩いていく。照らされていない場所は真っ暗で、彼女はどこへ向かっているのか検討もつかなかった。頭上は木々で真っ暗に塞がれていて、たまに葉と葉の隙間から、月明かりが漏れていた。


「着きました。」

「星…。」


彼女は本物の星を始めて見た。電灯を消しても、空はまるで明るかった。無数の光の点が空一面を覆っており、濁りのない空はまるで作り物のようだった。さっきまで漏れていたあの灯りは、月だけではなく星の明かりでもあったのだと気付かされた。


「ここから見える星空は、僕の母さんの好きだった空です。」


そう言って、少年は地べたに座り込む。彼女も、少年の隣に座ると、同じようにして目線をまっすぐ上へ向けた。



「あれはもしかして、天の川ですか…?星と星が連なって、大小構わず並んでいる、まるで川のような…。」

「そうです。星と星を結んでいる、本当に美しい川なんです。」


彼女の、心華のもう一つの名前。『天ノ川初号機』。不思議と、彼女は自分の名前を思い出して、天の川と重ね合わせていた。


「不思議ですね。名前も知らないのに、どことなくあなたは僕の知っている人のような気がします……。」


そう言って顔を空から落とした少年を横目に、ふと、彼女の頭に封筒が浮かぶ。


「君を残したい人に渡しなさい。」

天ノ川の設計図の入った封筒を渡せば、この少年は天ノ川を作ってくれるのだろうか。この美しい天ノ川のように彼女自身を作ってくれるのだろうか。


「この封筒、これを受け取ってください。」

「これは……?」


彼女は中身は後で見てほしいとだけ告げると、封筒をそのまま少年に手渡した。そして、そのまま彼女の意識はだんだんと薄くなっていった。




「心は見つかりましたか?」


目の前で科学者は首をかしげながら尋ねてきた。どうやら、封筒を渡したことで、そのまま元いた世界に戻ってきてしまっているらしい。


「心が見つかったかはわかりませんが、あなたがあなたの母親を大切にしていて、その母親が大切にしていた天ノ川を作りたかったことはわかりました。」


少し間を空けてから彼女は続けた。


「私は彼に、私を天ノ川のように作ってほしくて、彼に設計図を託しました。しかし、彼、いえ、あなたは私を結局天ノ川にはできませんでした。」


彼女は”天ノ川”なんかではなかった。あの空を見て、今の自分を知って、改めて自分には似合わないと思った。私は作られるべき存在だったのだろうか。私はあの少年にとって、科学者にとって必要だったのだろうか。という思考が何度も彼女の頭の中を巡った。


「私は天ノ川ではありません。」

「君の存在は、この世界を大きく変えることになる。心さえ手に入れれば、僕の母さんを生き返らせることが可能なんだ。あの天ノ川のような人間を生み出せば、今度は決して失わずに済むんだ。」


科学者は焦るように言葉を並べた。それでも、あの時見せてもらった、あの世界でみた天ノ川に、私という存在が釣り合うとは思わなかった。彼女の中には一つの考えが芽生え始めていた。


「心なんて関係ありません。人の手によって作られて、人の手によって自然に偽せられることをあなたの母親が望むとは思いません。」

「心華、君に母さんの何が分かると言うんだ。」


すっかり憤って、顔を真っ赤にした科学者を、変わらない表情で彼女は見つめ続ける。勢いづいた科学者を叱るわけでも、慰めるわけでも、笑うわけでもない。全てを許す、まるで母親のような表情で見つめていた。


とうとう科学者は言葉を失って、床に膝をついた。彼もわかっていた。心華を作ること、『天ノ川初号機』を残すことが、誰のためにもならないこと。どんな状態で、設計図をたくそうと、心を持った機械人間を作ることは彼には不可能だということ。


臓器は機能として失われ、知能がなく、物を覚える事すらできない。それでも、そこに人並みの感情は存在する。死者は生者の中に心を生む。


「先程の言葉を訂正します。どうやら私は心を見つけられたみたいです。人の心は人の中に生まれます。私の心はあなたの中にずっと前から生まれていたんです。」


彼女はそれだけ残すと、机の上に予め用意されていたのか、無造作に転がった赤い錠剤を一思いに飲み込んだ。




日付にしてみればたった一日。しかし、その一日のうちに世界が、何十年分の進化と退化を遂げていることは、天ノ川初号機という名前の少女しか知り得なかった。


いや、もしかすると、その少女さえ知り得ないのかもしれない。

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