第9話 mocha13:15Hz
ゼロ先生…
いつだったか
お昼寝から目を覚ましたノワが
まだ半分夢の中にいるまま口にした
だれかの名前。
そばで本を読んでいた僕にしか聞こえなかったその名前に、
いや、その名前を呼んだノワの声に
心がぎゅっとした。
もう調律ができない音。
きっとノワが呼んだそのゼロ先生はもう
僕らが触れることができないところにいるんだろうな。
僕は聞こえなかったふりをしてまた本の中に綺麗に並べられている文字に目を落とした。
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モカさん、この音とても好き!
この星に来て数日のショコラが
caramelを煮詰める音にうっとりしている。
僕も、この音好き。
焦げないように時折
木べらで一緒にcaramelを混ぜながら
答えた。
好きな音が一緒だと、なんだか
くすぐったい。
いや、きっと、これは嬉しいって気持ちなんだ。
僕がそんなことを考えていると
同じ音、好きなのってなんだか
上手く言えないけど嬉しい気持ちです。
と、ショコラは笑った。
来た時よりもずっとずっと自然に笑った。
調律が狂っていない笑顔。
ショコラは数日で色んなことが自然になった。
泣くことも、笑うことも、
話すことも、歩くことも。
そこ、ここ、にいること自体が不安定な足元は
数日で調律された足音を鳴らした。
僕は調律されたものが好きだ。
調律の狂ったものは、
苦しい。
僕も、狂ってるものも。
でも世の中には完全に正しくないのに
美しいものがある。
蓄音機から聴こえる歌や音色みたいに。
caramelを煮詰めるような音と一緒に歌われる歌は、
時を経たsepiaがじんわり滲んでいて。
それは
当時そのままの正しい音ではないはずなのに
美しくて
僕らの鼓膜の記憶を
きゅっと掴んで離さない。
この星にはそういう
少し調子の不思議な美しいものが溢れているきがする。
数日前にショコラはノワと鏡の泉に挨拶に行ったらしい。
そのおかげか、鏡の泉が落ち着きを取り戻したのでノワが屋敷に帰って来れた。
ノワはほとんど屋根裏にいるか、
降りてきてもお昼寝をしていることがほとんどだったけれど、
少しショコラを気にかけてくれているみたい。
ショコラはノワといるととても調律される。
そして、ノワも響きが良くなる。
だから、2人が一緒にいるのを見ると
僕は心が落ち着くんだ。
今日は生キャラメルを作っているわけだけれど、これはこの星のみんなのお気に入り。
だから、初めて食べるというショコラも、
気に入ってくれたら良いな。
『ずっとこの星に、みなさんと、
いられたらいいのに。』
ふと、ショコラが独りぼっちの夕暮れのような声で漏らした。
あの時のノワの声と同じ。
僕の胸がぎゅっとする音。
僕にはどうすることもできない、
調律の効かない何かが
ショコラの中にもあるんだね。
みんなそうだ。
僕が調律できない何かを
みんなみんな、持ってる。
その度にぎゅっとするばかりの胸。
僕には何の力もない。
だからこそ
みんなで過ごせるお茶会で
みんなで好きなものを
好きだね、おいしいねって
ほんの一時のものでもいいから、
その調律の効かない苦しさから
するりと抜けられる時間を過ごしたいな。
少し寂しそうなショコラに
木のスプーンにすくった生キャラメルをのせて
味を見てもらった。
『記憶がどうにかなってしまいそうに
おいしい…!』
ショコラのお菓子に対する感想は
僕の張り詰めた頭の中を
ゆるめてくれる温度の言葉だ。
僕もショコラにずっといてほしい。
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