第4話 op.14:50





頬に葉が落ちてきた感覚と気高く優しい金木犀の香りで目を覚ますと、

私は森に落ちていた。

夢の入り口で落ちたうさぎの穴はこんなところに繋がっていたのか…と、

辺りを見回すと、金木犀の周りをぐるりと木々が囲いその奥へ森が広がっていた。

不思議な森だった。

木々が何かサワサワと囁き合ってるような、

心に入ってこようと手を伸ばしてくるようなそんな気配がする。

こんなに人みたいに生きている森に出会ったのは初めてだった。

森に挨拶をしようと立ち上がろうとした時、

『おい!おまえ、大丈夫か?!』と

血相を変えて帽子を深く被り大きな犬を連れて走ってきた人にひょいっと体を持ち上げられた。

『ごめんな!話は後だ!お茶会に遅れる!!走るぞ!!』

と、そのまま私を抱え森を走り抜けていった。

森は森で、なぜか私たちの方を掴むような気配で枝葉を伸ばしてザワザワ、ザワザワ。

すごい振動で声が出せないまま、一気に走り抜けて森から出たと思ったらそのまま降ろしてもらえず屋敷に連れて行かれてしまった。


ひどい息切れをしながら帽子の人はドアをノックした。


『クレム、おかえりなさい。

今日こそ間に合わないかと思いましたよ』

強いお茶や甘い香りと共に柔らかく茶色い癖っ毛の人がドアを開けてくれた。


『み、みずが欲しい…!!

こんなに走ったのは久しぶりすぎて膝が…』と

帽子の人は私を降ろしながらフラフラと中へ入っていく。


『あ、あの…私…』

いつもよりも展開が早すぎてどうしたら良いかわからない私を

『私はラテです。ラテ、と呼ばれています。

その様子だといきなり連れてこられたみたいですね。とりあえず、お茶を飲みましょう。ここでは3時にお茶会を開くことだけは絶対なんです。』

と、優しく手を引いて部屋に案内してくれた。


部屋に入るともう1人、黒髪に少し強い瞳をした人がテーブルにティーセットやお菓子を並べていた。


『彼はモカ。そして、あなたを連れてきたあの帽子のあわてんぼうはクレムです。』

ラテさんがそう紹介してくれた。

モカさんは椅子を引いて

『ここ、座ったら。』

と、小さい声で勧めてくれる。

『ありがとう、ございます…』

何も言い出せないまま、私はぎこちなく椅子に座った。


ラテさんやモカさん、クレムさんも席につくと柱時計がオルゴォルのような音で3時を知らせてくれた。


『あれっ?!俺の時計また15分早まってた…!!』と、クレムさんは時計の竜頭を摘んで時間を合わせている。

『あなた思いの時計ですね、毎回毎回、遅れないように早く時間を知らせてくれている。』

紅茶をゆっくり注ぎながらラテさんはクレムさんの懐中時計を褒めた。

“どうぞ”

と、隣に座ったモカさんは小さい声でお菓子を勧めてくれた。

『あ、ありがとうございます…』


『では、お茶会を始めましょう』

紅茶を注ぎ終わり、

みんなの前にお茶がそろうと、

ラテさんがそう切り出してお茶会が始まった。


初めてのことに不安になりながら、

みんなと同じ事をしようと様子を見ていると

『大丈夫…?』と、モカさんが小さい声で言葉をかけてくれた。

そして

『この子、緊張してる。頭が痛くなっちゃうよ、先にこの子のお話きいたり、聞きたいことに答えてあげたいよ。』

と、また小さい声でモカさんはみんなに話してくれた。

『あ、ごめんな!時間がなくて慌ててたから、驚かせたよな。』

とクレムさんがお茶に入れる蜂蜜や角砂糖やミルクを私の前に並べながら。

『あの、でも何から話したら良いか…』

私はあまり上手く人と話せない自分を恥ずかしく思いながら、まずは病のせいで勝手にこの世界に入ってしまった自分のことを話さなくてはと思い口を開きかけて、言葉にまた詰まってしまった。

自己紹介を、と思ったのに私には名前がなかったからだ。


『私、名前が、まだなくて、その…』

と、会話の入り口からなかなか踏み出せない私にモカさんが小さい声で話しかけてくれた。

『これ、今日僕が焼いたんだ。食べてみて。』

と。

甘い香りのするそれを勧められるまま、フォークを刺してみると、中からとろり、とチョコレートが流れ出してきた。

口に入れると、甘さが心いっぱいに広がって、不安な気持ちが溶けて鼻から抜けるような、そんな感覚に陥った。

『おいしい…』

『これ、フォンダンショコラ。

僕が1番好きなお菓子。

君のこと、ショコラって呼んでいい?』

モカさんは名前がなくて困ってる私がもう困らないよう、1番好きなものの名前を私に預けてくれたのだ。

『ありがとう…ございます。その、嬉しいです。』

表情は、変じゃないかな、

声はぶっきらぼうになってないかな、

色んなことが気になったけれど、

みんなはそんなこと何も気にしてないように

『ショコラ、よろしくな』

『ショコラ、良い名前ですね』

『もっと、食べて良いよ』

そんなふうに受け入れてくれた。


だから、少し勇気を出して話をしてみた。

『私、ショコラです。

あの、上手く説明できないのですが、

普段私の体は眠っていて、

体が眠っている間、

私はこうしていろんな世界に飛ばされたり落とされたりしていて、

今回はウサギの穴に落ちて目が覚めたら

森の中の金木犀のそばにいました。

次に私の体が目覚めるまでの間、この世界からは出られません…

ご迷惑かけないようにします。

手伝って良いことがあればなんでも手伝わせて欲しいです…

この世界の時間の流れがどのくらいかまだわかっていなくて…

私の体の世界では約3ヶ月くらいの期間なのですが…

どうかこの世界にいさせてください…』


話し始めるとまた緊張で、今度は一気に話を詰め込み過ぎてしまった。

きっと変なこと言ってると思われる…と、話し終えてからは下を向くことしかできません。


『あなたがここにくることをこの星は予感していて、数日前から森も草原も海も泉もその話題でひっきりなしだったんです。』

ラテさんはゆっくりと話してくれた。

『あなたの全部の事情はわからないけれど、

大丈夫。

人も世界もそんなものでしょう?

この星のことも私自身のことも、あなたの世界のことも他の世界のことも。

全部をわかるなんてできなくて大丈夫。

全部うまく説明しなきゃなんて、思わないでいいんですよ。』

そう言ってお茶を飲むラテさんに

『俺たち、

みんな違う世界からこの星に来たんだ。

こうして暮らしてるけど、

お互いの全部を知らないし、

この星のこともわかんないことばっか!

決まりは一つ、この星で下手しないよう、

こうしてお茶会を開いて、

今日はここは危ないとか、

ここは落ち着いてるとか、

そんな話をしたり、

今日は調子悪いから寝るとか、

気分が良いからこれしない?とか、

他愛のない時間を過ごすこと!

だよな?合ってるよな?』

とクレムさんが自信満々に不安がる。


『この星を作ったノワ以外みんな、

たまたまこの星に辿り着けただけの居候。

ラテもクレムも君も僕も、事情は違うけど立場は似てる。そんなに、心配いらない。』

モカさんが2個目のフォンダンショコラを食べながら小さく教えてくれた。


不安がらなくていいんだ。

いままでの長い長い間、

初めての場所で毎回毎回、不安になりながら、

邪魔にならないよう、迷惑にならないようなんとか体に戻される日までを過ごしてきたけれど、


『もう一個、あげるよ。』

モカさんが2個目のフォンダンショコラを私の前に勧めてくれた。


くしゃり、ぐしゃり、

顔が乱れるのがわかる。

安心すると、顔ってこんなにぐしゃっとしてしまうんだと、知った。


そんな1日目だった。

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