9話.砂時計
一体何が起きた、何が起きて今は何をしている。
これは現実か、夢なのか理解が出来ない。
目の前にはこちらを微笑みながら見つめる愛染さん、そして僕の手には眠ってしまったままの晴香。
突き刺さった包丁のようなものからは、赤く温もりのある赤い液体がとめどなく流れ出ていた。
これは血か?血なのか?
血ってどういう時にでるんだっけ。
なんで愛染さんは微笑んでいるんだ、なんで晴香は急に眠ってしまって起きないんだ。
呼びかけてるが反応がない、なんで。
こんなにも声をかけているのに。
「ばる゛が?…おい…おい…なぁ…おい…」
あれ、そういえば何でこんな所に愛染さんが?
愛染さん……愛染さん?愛染さんで合ってるよな?
顔をもう一度見上げるが、間違いない。
俺の知っている愛染さんで間違いない。
間違いない、間違いないが…間違いないなら何故。
「……なんで、」
「ふふふっ、何か言いましたか?」
「なんで!?なんで!?なんで!?なんで!?」
「なんで……とは?
「なんで晴香を刺した!なんでこんなとこにいる!」
「なんでっ……て、そうするしかないからですよ」
「いや、だから…理由はって、なんでかって!!」
そうしていると一歩こちらへと歩み寄ってきた。
思わず体がうしろに下がる、でも晴香を抱えている以上これ以上は下がれない。
足が目の前にくる、上から見下ろすようにこちらを覗いてくる、その笑顔は崩れる事なくこちらに向けられていた、その瞳は嫌悪感さえ覚えさせるように。
「貴方の事が好きだからですよ、新良誠さん」
「へっ……?」
「貴方の事が好きだからですよ、新良誠さん」
いや、こいつはさっきから何を口から吐き出している。俺の事が好きだから?
だから晴香を刺したのか、いや、だから?
「それがなんで晴香を刺す事に?」
それが、自然と口から出た言葉だった。
聞いたところで理解はできない、したくもない。
それでも何故か、普通に聞き返してしまった。
「えぇーっ?新良さんと琴浪さんが付き合う事になったのがいけないんですよ」
「だからって急に刺したのか?」
「ふふふふっ、急に刺すなんて…そんな快楽殺人者みたいに思わないでくださいよ」
「いや、急に刺し……」
「前から殺してやりたかったに決まってるじゃないですか」
言葉が出てこない、何も言い返せない。
「だって、私の長良さんをずっと…ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと!!誘惑して!長い事側にいて!
ずっと何を言っているんだこいつは、それで晴香を刺して殺し……「う、う゛ぅ…」
「っ!? 晴香!晴香っ!おいっ!!」
今、微かに声が聞こえた。まだ生きているかもしれない、まだ助かるかもしれない、手を口元に当ててみると微かだが呼吸を感じる、晴香はまだ死んでいない。
急いでスマホを取り出し電話をかける、また
「救急です、通り魔に襲われたので急いでお願いします、はい、はい、はい、場所は……」
「包丁、抜くと良いらしいですよ?」
「……黙れ」
「抜いて傷口を圧迫させると……」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!」
「あら良い顔と目ですね、私の事を真っ直ぐと見つめてくれている」
ゆっくりと手を伸ばし俺の頬を触れようとする。
それを殴り飛ばすように手ではたき、拒絶する。
触れられるのも嫌だ、話しかけられるのも嫌だ、見られるのも嫌だ、同じ空気を吸ってると感じるのも嫌だ、俺の側にいられるのも嫌だ。
「ふふふふっ、ふふふふっ……今、私の事を見て嫌だなーって考えてますよね?新良さんの頭の中は私の事で埋め尽くされているのでは無いですか…いや、今はまだ琴浪さんが生きているかもという事を考えていますね?」
「だから何だよ」
「こんなにも私は新良さんの事で頭の中がいっぱいだというのに、それって寂しくはありませんか?」
「……もうすぐ警察も救急車も来る、これ以上喋りかけないでくれ」
「ならせめてこれだけは伝えておきますね?私は高校一年生の時から長良さんの事が好きだったんですよ」
「……………」
「初めて見た時から、この人は私のこれからの長い時間の中で共にあるべき人だと感じました」
「……………」
「でも、私って人見知りで恥ずかしがり屋さんなので、なかなか声をかけられないで、遠くから二年間も眺めるだけの日々になってしまっていたのですよ」
なんで俺はこんな事を聞かされているんだ、目を離せば晴香に何をするか分からないからずっと見続けるしかない。聞きたくもない、耳が汚れていく様な話を。
「長良さんが痴漢から守って助けてくださった時は、運命だと感じました!!……まぁ、隣にあの晴香さんもいたわけですが」
早く来てくれ、頼む。
これ以上は俺も晴香ももう限界だ、頼むから早く。
お願いだから……。
「それかれ私が話しかけようもんなら睨んできてたんですのよ、許せますか?せっかく訪れた私と長良さんの時間を横から邪魔しようとしてたんですよ」
俺は我慢の限界だった、怒りに身を任せて勢いよく胸ぐらを掴みに行く。そのまま、愛染が後ろに倒れ込みそうになったので押し倒す。
「それ以上喋るなぁっ!!!」
怒りを乗せた声は、高架下にひどく反響する。
呼吸も荒くなり、俺が俺自身を抑えれそうにない、このまま殺してしまいたくなる位に憎い。
「ふふふふふ…あははははははっっ!!」
「笑うんじゃねぇよ黙れっ!!!」
「やっと私だけを見てくれましたね、あぁ…いいですねその瞳どんな想いであれ私を見てくれている、頭の中は私の事だけでいっぱいになっている事でしょう」
「黙れぇっ!!!」
俺は拳を強く握り、愛染の頬に向かって振り下ろす。
初めて人を殴ったそれも女子を、ただもう止まれそうにない、殺意ってこんな風に湧き出るものだと初めて知ってしまったから。
「あぁ、私の顔に長良さんの拳でできた傷ができてしまったかもしれませんね…長良さんの拳で出来た…」
「黙れぇっ!煩いぃっ!!喋るなぁっ!!!」
何度も何度も往復して顔面を殴り続ける、人を殴ってもここまで心が傷まない、何も感じないものか。
何も考える事は出来なくなっていた、ただただ怒りに身を任せて拳を握り、殴り続けるしか。
この、笑い声の収まらない愛染の顔面を。
意識が戻ったのはサイレンの音が耳に入ってきた時だった、気がつけば赤く腫れ上がり口や鼻から血が流れるほどに殴り続けていた。
少しだけ冷静に戻って愛染の顔を見ても、それでもなお心の中には何も残らなかった。
「ふふふふふふっ、もう終わりですか?」
「終わりだよ聞こえたろ?」
「そうですね。終わりですね」
俺は立ち上がり、晴香のもとへと駆け寄る。幸いな事にまだ呼吸はしていたが、先程よりかは弱くなっている気がする。
サイレンの音が大きくなる中、横に寝転がったままはずの愛染からなにかしているような音が聞こえたので、振り返ってみる。
懐から何かを出そうとしているようだ。
大丈夫、今更何か出来るはずもない。
愛染が懐から出したのは、手のひらに収まる砂時計。
不思議に思っていると、口を開いて声を発する。
「長良さん?砂時計って、砂が落ちるまでの時間が決まっていてそれをタイマー替わりにするんですよ」
こんな時に何を言っている、頭がおかしくなって訳の分からない言葉を吐いているだけだろうか。
「そしてこれを逆さにすると、また時間が一からスタートして時間を計り始めます」
「こんな時に何が言いたい」
「いえ、この砂時計は少々特殊でしてねある日ポストに入っていたんです」
もう会話すらしたくない。
「落ちた砂時計を戻すと、新たに時間を計り始めるのではなく今まで落ちていた時間を元に戻すらしいですよ?」
サイレンの音が大きくなり近づいてきたと安心していると音が止まった、どうやらこの付近に到着したらしい次第に足音も聞こえてくる。
「長良さん?」
近づいてきた足跡は、その姿を見せる。
タンカーを持った救急隊員と、警察官だ。
これで安心する、助かったんだと実感できる。
「
愛染が僕の手をに握りながらそう答えた。
近づいていた事にすら気づかなかった、その時はこちらに向かっている警察官と救急隊員に手をあげてこちらに呼びかけていたから。
最後に見えていたのは、別の手に持った砂時計を逆さにひっくり返していた所だった。
その瞬間に、景色が反転して歪み始める。
高い空の下から落とされたような感覚、どこまでもどこまでもこの体が落下を続けているような。
その感覚がしばらく続き、地面に落ちた瞬間。
また視界が開けていた。
辺りを見渡すとそこは、いつも通りの自室だった。
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