第29話 生贄

 先頭を歩いていたジャックさんは、六階のある部屋の前で足を止めた。


「この中だ。ここに仲間がいる」


 ドアを見れば、66と表示されていた。たぶん、606号室の0が劣化の所為で取れてしまったんだろう。


「6階の66室、666か。私への当てつけか」

 万屋さんが引きつった笑みを浮かべた。


 そういえば、666は悪魔を指す数字と聞いたことがある。けど、このドアは偶然だろう。


「さすがに、6階の66室で666は考えすぎじゃないですか?」

「……そうだな。しかし、ここまで来るのに罠らしい物は見当たらなかった。もしかするとピンクメルトは、この部屋で勝負を決めるつもりかもしれない」


 万屋さんは僕とジャックさんを下がらせると、杖を体の前に構えたままドアを蹴開いた。


 僕とジャックさんは、万屋さんの背中越しに部屋の中を覗き見た。今までも木の枝が生い茂っているせいで薄暗い部屋はいくつもあった。でもこの部屋の中は真っ暗で、何も見えない。

 僕は万屋さんの指示でバックから人工太陽照明灯を取り出し、部屋を照らした。これもふゑあり様の事件で使ったやつだ。今日は何かとあの日の出来事と縁がある。


「あ、それ。俺が探偵に作ってやったやつ」

 ——さすが機械に強いグレムリン。

「あの時も、今回も大活躍してますよ」


 照らし出された部屋の窓は板で留められていて、光が入り込まないようになっていた。これのせいで暗かったのか——そう思っていると、部屋の中で何かが光を反射した。


 鏡だ。

 部屋の中央には祭壇のようなものが置かれていて、鏡はその上に飾られていた。


 気が付くと、万屋さんはその鏡と祭壇を近くで観察していた。

 少しして、一通り調べ終えた彼は部屋のある一点を眺めた。


「何か見つけたんですか?」

 呼びかけると、万屋さんは手招きした。危険はないってことなのかな。


 照明を持ったまま、僕はおそるおそる部屋の中に足を踏み入れる。


「セージ。あの『666』やはり私への挑戦状だったよ」


 彼が指さす先には、ドアがあった。場所からして、おそらく浴室だろう。


「ドアを開けた瞬間、この鏡にかかった魔法が解ける。合図をしたらドアを開けてくれ」

「わかりました」

「そして、これが一番大事な事だが……閉めろ、と言ったら直ぐに閉めるんだ。一歩遅れると罠が発動する」

「責任重大ですね……。ちなみに、罠ってどんな?」

「マジで責任重大じゃないですか!」

「そうだよ。ピンクメルトはこの罠一つで私達を仕留めるつもりのようだからね」


 そう言って万屋さんはバッグの中を探った。何か準備があるんだろう。


 僕は深呼吸すると、ドアノブに手をかけた。


 そこでふと、ジャックさんが異様に静かだと気付く。

 床に視線を走らせると、彼は鏡を見上げたまま微動だにしない。いや、微かに震えていた。


 様子が気になって、声をかけようと口を開いた——が、そんな暇はなかった。


「開けてくれ」


 万屋さんの声を合図に、僕はドアノブを捻った。浴室にあった鏡と、祭壇の鏡が向かい合ったそのとき——。

 祭壇の鏡からピンク色の液体が流れ出した。

 万屋さんは素早くそれを零さないように瓶に収めると、「閉めろ!」と叫んだ。


 僕は体当たりする勢いでドアを押した。でも、なぜかドアは鉛のように重く閉まらない! 両手を当てて両足で踏ん張っても、びくともしない!


 突然、指先に痛みが走った。


 離れろ、と万屋さんが叫んだ気がした。でも、足が動かない。まるでこの場所に固定されたかのように、指先一つ動かせない。


 視界に何かが映る——。


 骨だ。

 白骨化した手がピンクの液体を滴らせながら後ろから伸びて、ドアに触れた。一本、二本、三本……いくつもの手が僕の後ろから現れて——ドアを押した。


 ドアが閉まるその瞬間、隙間から大勢の絶叫が聞こえた。

 耳を劈くその絶叫は、僕に悪夢のような幻を見せた。



 最初に、廃墟のように荒れた部屋が見えた。

 オレンジの照明の下に、正装をした人間達が映し出される。


 その人達の中心には、薄いピンク色の髪の青年がいた。

 人間達は彼を教祖と呼び崇め、彼はその人間達を天国に連れて行くと約束した。

 人間達は彼に心酔し、言われるがまま魔法陣の上に横たわり——。


 彼に溶かされた。


 断末魔に満たされた室内で、僕は咄嗟に口に手を当てて悲鳴を押し殺した。


 その時、青年が僕の方を向いた。

 その顔は彫刻のように整っており、それが余計に恐ろしい。


 ——どうして、こんな恐ろしい事をした後なのに……こいつは顔色一つ変えないんだ。


 血のように赤い目が、僕を見て笑った。


「ピンクメルト」

 僕の体を使って、誰かが彼をそう呼んだ。


「そうだよ。ワタシがピンクメルト。今から君が魂を捧げる魔法使いだ」

「話が違う。こんなの聞いてない……」

「うん。わざと教えなかった。君は半端に善人だったから」


 笑うピンクメルトの手が、僕に向かって伸ばされた。


「でも、良い働きをしてくれた。君のおかげでワタシは完成した。ご苦労様」


 ピンクメルトの姿が異形に変わる。

 化物の手が僕の顔に触れる瞬間、世界が緑色の光に包まれた。



 気が付けば、僕はあの廃ホテルの部屋の床に座り込んでいた。


「セージ。怪我は?」


 僕が首を振ると、万屋さんは浴室を睨みながら僕の手を引っ張って立たせた。


「何か見たか?」

「はい。とても嫌なものを……」

「だろうな。悪魔が召喚されそうになった時、この部屋に残る怨恨が膨れ上がって召喚を阻止した。そして、君を連れて行こうとした」


「怨恨の正体が分かりました。沢山の人がこの部屋で、ピンクメルトに殺されたんです。遺書を残した全員が、悪魔の生贄にされたんですよ。でも溶けてしまったから、遺体は見つからなかった」


 観たものをそのまま伝えると、万屋さんは「そんな事だろうと思った」と静かに呟いた。


「戻ろう。救出したグレムリンを医者にみせたい」

「そ、そうだっ。グレムリンはどこに?」


 万屋さんは足元を指差した。そこには大事そうに瓶を抱えたジャックさんが居た。瓶は、さっき万屋さんが収めた液体で満たされていた。悲しげに頬を瓶に押し当てるジャックさんは、まるでガラス越しに液体を抱きしめようとしているかのように見えた。


 まさか、この液体が探していたグレムリンだっていうのか⁉


「まだ生きているよ」

 体のつくりが人間とは違うからね、と説明する万屋さんはまだ辺りを警戒している。僕達を部屋の入口に連れていくと、後ろ手にドアを開いた。


 見慣れた探偵局の玄関が見え、僕は少し安堵した。


 僕達を先に中へ入れると、万屋さんも後ろ向きにドアを潜った。

 閉まるドアの隙間から、『その子ちょうだい』とノイズのような声が聞こえた気がした。


「セージ。もし今のが聞こえたなら、すぐに忘れた方がいい。生贄にされた者の恨みは、ピンクメルトが死ぬまであの場所を彷徨い続けるしかないんだ」


「彼らは天国に行きたかっただけなのに……酷い話ですよ」


「……君の優しさに救われた者は多いが、自分自身を大切にすることも学ぶべきだな」


「さすがに、彼等の仲間入りはしたくないですよ」


 僕が苦笑いすると、万屋さんは「そういえば」と思い出したように口を開いた。


「ピンクメルトはhide and seek《かくれんぼ》に誘ってきたが、どちらが鬼かは指定しなかったな」


「あいつも僕達も、鬼のつもりで探してましたもんね。きっと、あいつはあの罠を使ってゲームに勝つつもりだったんです。ドアを閉めてくれた人達の手は、僕を助ける為に伸ばされたんじゃない。あの空間に、奴が来ることを阻止したんです」


「バスルームの鏡から出てこようとした悪魔は、ピンクメルトだったのか」


 魔法使いは悪魔に気に入られると悪魔になる。万屋さんはその所為で苦しんでいるのに、ピンクメルトは生贄を捧げて悪魔の機嫌を取り、進んで悪魔になったのか……。


「hide and seekは私達の勝ちだな」

 空気を変えようとしたのか、万屋さんが不敵に笑った。

「奴はまだ君を見つけていない。しかし、私はグレムリンを見つけて薬草の瓶にいれ、君は生贄にされた者達の思念を通して、ピンクメルトの姿を見たようだ」


 僕が頷くと、万屋さんは閉めたばかりのドアを別の場所に繋げた。開いた空間から消毒液の香りが漂ってくる。医者を迎えに行くらしい。

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