第27話 SOS

 仲間の救難信号。ジャックさんはたしかにそう言った。


 どういうことだろう? メールを書いた人はどう翻訳したら良いか困っていたようだけど、それを救難信号って言っていいのかな。それに、ジャックさんが言う仲間って、たぶんのことだよな。じゃあこのメールを書いたのは、あやかしなのか?


 ——そんな馬鹿な。


 僕が悩んでいる間に、万屋さんは例のメールを読み終えていた。それから、同じメールで溢れかえったメールボックスを一瞥し、ジャックさんにスマホを渡した。


「この凄まじい量のメール、グレムリンの仕業か。ジャック、至急場所の特定を」


 ジャックさんは頷くと、両手でスマホを包み込んだ。その途端、画面は数列やカラフルな図形をめまぐるしく映していった。


「グレムリンがこのメールを書いたんですか?」


 僕が聞くと、万屋さんは首を振った。


「このメールを書いたのは、人間の留学生だ。でも送信者は、おそらく彼がホストファミリーの家で見ただよ」


 そう前置きして、彼は暗記したメールの文章を声に出した。


『誰もいない部屋でテレビが付いたり、一晩中何かが家中を駆け回る音が聞こえたり、バスルームが手跡だらけになったりしてるんだよな』

『でもさ、バスルームの手跡見たらそう思えなくてさ。人間の霊じゃないんだわ、ここにいるの』


「彼が見た物が何か、これだけでは私にも分からない。しかし、同族からすれば何か感じるものがあるのだろう」


 万屋さんはスマホ画面を睨み付けるジャックさんを一瞥した。


「グレムリンには様々な種族がいる。ここにいるジャックは、仲間との繋がりを一際大事にする種族だ。彼は、私達には分からない何かをこのメールから感じ取ったらしい。つまり、このメールはグレムリンからグレムリンに宛てられた救難信号だったという訳だ」


「で、でも、このメールを最初に受信したのは十年前だって聞きました。そんなに長い間、救難信号を送り続けていたってことですか⁉」


「何か事情があるようだな。話してみたまえ」


 僕が状況を説明すると、万屋さんは僕が見た写真に添えられていた文章も見た通り教えるようにとメモ帳を渡してきた。”Finally :)”と書き終えると、万屋さんは難しい顔をして僕を見つめた。


「グレムリンは文章を変えずに同じメールを十年も同じ相手に送り続けていたということか。おそらく、それしか助けを求める方法がなかったのだろう」


「一か八かグレムリンに届くと信じて送り続けていたってことですか。……何があったんでしょう? 留学生とホストファミリーは行方不明になってるし」


「こう考えてはどうだろう。彼らは、何者かに攫われて今も監禁されている」


 驚いた僕が目を見開くと、万屋さんは「友人から、溶けた知り合いの写真を見せられたのだろう?」と続けた。


「君の友人が犯人じゃないなら、その写真を撮影して、君の友人へ送った人物がいるということになる」


「良介はそんな奴じゃありません!」


「確認の為だよ。気を悪くしないでくれたまえ」


「じゃ、じゃあ、僕も念のため聞きますけど。グレムリンに人を溶かす能力は?」


「ないよ。君の友人の知り合いは、グレムリンがメールを送信した相手だと犯人にバレた所為で、標的にされてしまったんだろう」


「……理不尽な話ですね」


 暗い気持ちになったのは、万屋さんも同じらしい。

「そうなる前に、介入できていたら良かったのだが」

 と、悔しそうに唸っていた。


「あれ。つまり、このメールの送信先が犯人の標的にされるなら」


 ——良介が危ない。


 僕の不安を感じ取ったのか、万屋さんは杖を手にすると強く頷いた


「犯人が送ったグロテスクな写真は、おそらく犯行予告のつもりだろう」


 そう言って、彼はさっき僕が書いた犯人のメッセージ、”Finally :)”を杖で差した。


 僕は首を捻って考える。


「『Finally』は『ついに』って意味でしたっけ。でも『:)』は?」


「英語圏で『笑顔を意味する顔文字』だよ。日本にもあるだろう」


 つまり日本語に直すと『ついに(^^)』ってところかな。

 万屋さんに確認すると、彼は別の解釈を思いついたらしい。ペンをメモ帳に走らせていた。


「犯人はこう言いたいんじゃないだろうか」


 "I finally did it :)"『ワタシはついにやり遂げた(^^)』


「おそらく犯人は被害者を探すのに、てこずっていたんだろう。囚われのグレムリンは、メッセージの送信と受信先がバレないように犯人を妨害していたはず。犯人が救難信号にいつ頃気付いたのかも、どれくらい時間をかけて捜索したのかも分からないが、十年経ってようやく受信者を見つけ出した。わざわざ”:)”などと書くくらいには浮かれていたようだ」


「人を殺しておいて、こんなメッセージを添えて送ってくるなんて……。犯人が人間なのか、化物なのかも僕には分かりませんが、イカれているのは確かですね」


「そして執念深い。『たとえ何年かかっても良介を殺す』そんな意味にもとれる。しかし……」


 万屋さんは真剣な顔で僕を見据えた。


「私の怪異探偵としての勘が、犯人の次の標的はセージだと告げている」


「……万屋さんの勘を疑う訳じゃないですが、先にメッセージを受信したのは良介ですよ。順番的に、僕はその次なんじゃ?」


「メールの受信頻度が違う。セージは以前ジャックと顔を合わせていたから、メールを送信したグレムリンは、その僅かな気配を感じ取ったのだろう。そして、メールの送信先を君に定めて大量のメールを送信し続けている。犯人もこの変化に気付いているはずだ」


「じゃあ犯人は、僕がジャックさんと接触するのを恐れて優先的に殺しにくる?」


「そう思う。しかし……」


 万屋さんはどこか腑に落ちないようで、表情を曇らせた。


「犯人が何を考えているのか分からないんだ。グレムリンを攫った事実を隠したいなら、救難信号に気付いた時点で止めさせればいいだけの話だ。だが犯人はそうせず、わざわざ救難信号の受信者を探し出して殺している。どう考えても効率が悪い」


 その時、僕のスマホが新しいメールを受信した。スマホを弄っていたジャックさんが真っ先にそのメールの中身を見て、絶句した。


 僕と万屋さんは横から画面を覗き込む。


 メールには短い動画が貼られていた。

 初めに、三人の人間が映された。中年の男性と彼と歳の近い女性、それから二人と人種の異なる青年。彼等は怯えたように身を寄せ合い、こちらを見つめていた。

 次の瞬間、三人はドロドロに溶けてピンク色のスライムに変貌してしまった。


 その悍ましい光景に、僕は頭の中が真っ白になった。でも、動画は僕を置き去りにして進み続ける。


 そして、動画の最後に文字が浮かび上がった。


“I’m Pink Melt. Let’s play hide and seek XD”



 繰り返し流れる動画から、僕は目が放せなくなった。恐ろしくて、身動き一つできないんだ。


 しばらくして、冷静さを取り戻した僕の頭は、動画の中で殺害されたのは、行方不明の留学生とホストファミリーだろうと、結論を出した。

 犯人を捕まえたら、三人を助けられるかもしれないと、仄かに期待していたけれど、その期待は最悪の形で裏切られてしまった。


「『ワタシはピンクメルト。かくれんぼしよう(大笑い)』だとよ。どう思う?」


 くしゃ。

 短い乾いた音がした。

 万屋さんが、手に持っていたメモを握り潰したようだ。拳は震えており、激しい怒りを感じる。


「そうか。『ピンクメルト』というのか。人を四人も残酷に殺しておいて、『かくれんぼで遊ぼう』だと?」


 そう言って彼は動画から、こちらを振り返ったジャックさんに視線を移した。


「ジャック。たった今、私は犯人を理解した。こいつは遊んでいたんだよ。グレムリンをいたぶり、助けを求めた相手を探し出して面白半分に殺す……それを遊びにしていたんだ。そしてセージに標的を変えたのは、彼の友人を狙うよりも妖精と接点を持つセージの方が遊びを楽しめるとでも思ったからだろう。大した自信じゃないか」


「探偵、『ピンクメルト』は何者だ?」


「お前達妖精が恐れる悪い魔法使いだ。そして、私の敵だ」


 万屋さんの目を見て、僕は緊張のあまり息を呑んだ。

 目が赤く光っている。

 七尋幽霊事件で悪魔を召喚した犯人を追い詰めた時と同じ、禍々しい気配を感じる。


「さあ、ジャック。調査結果を教えてくれ。ピンクメルトは今、この国にいるんだろう?」

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