第26話 怪異探偵とグレムリン
廊下の奥、右側の部屋から光が漏れている。
僕は靴を揃えると、スリッパを履いて廊下を歩き始めた。
昼間だというのに、廊下は薄暗い。木でできた床は時折軋んで音を立てた。そういえば以前、万屋さんからこの探偵局は築百年以上だと聞いた気がする。
僕はバッグからスマホを取り出して画面を見た。やけに静かだと思ったら、さっきまでひっきりなしに届いていたメールが途切れたようだ。
——さて。万屋さんに何て言い訳しよう。
この間悪魔に襲われたばかりなのに、また危険に首を突っ込んだと言えば、怒られるだろうか……。
言葉が浮かんでは消えていく。どう切り出すべきかも分からないまま、僕は光が漏れる部屋を覗いて——絶句した。
万屋さんは、椅子に座って兎を撫でていた。
「……あの。さっき、手が放せないって聞いたんですけど?」
万屋さんは人差し指を口の前で立てて、静かにするよう僕に合図した。それから小声で、「見ての通り接待中だよ」と、また膝に乗せた兎を撫で始めた。
「接待って、この兎の?」
よく見れば、それはただの茶色い毛並みの兎じゃなかった。赤い上着を着ており、頭には角が生えている。もしかすると、あわい横丁に住むあやかしなのかもしれない。
「彼は【グレムリン】という、機械いじりが好きな妖精だよ」
万屋さんに紹介されて、僕はまじまじと兎に似た妖精を観察した。僕の村には【ふゑあり様】と呼ばれた幽霊達がいたけど、本物の妖精を目にするのは初めてだ。まさか、実在したなんて……。
「妖精って、羽が生えた小人のことだと思っていました」
「色んなのがいるよ。知名度の高いゴブリンやトロルも、妖精の一種といわれている。まあ、このあわい横丁には色々な種族がいるからね。妖怪も妖精も、あやかしという大きな括りでいいんじゃないだろうか」
——万屋さんのような魔法使いや、サガリさんのような妖怪が実在したんだから、妖精がいてもおかしくはないか。
そう答えを出したところで、僕は素朴な疑問を口にした。
「でも、妖精と機械って珍しい組み合わせですね。妖精って、自然の中にだけいるのかと思っていました」
万屋さんが「あっ」と声を上げた。口を閉じるように合図された気がしたけど、間に合わなかったらしい。
「おい!」
ドスの効いた声が響き、万屋さんの膝の上で茶色の塊が立ち上がった。それはとても兎とは思えないような、寧ろ肉食獣のように獰猛な目付きで僕を睨んだ。
その迫力に、思わず僕は後退りする。
「おいコラ! 誰がお前ら人間の発明を手助けしてやったと思ってる? 俺達グレムリンだろ!」
「うわっ喋った! って、あれ? どこかで会いましたっけ?」
この声、この態度。どこかで見たような気がする。たしか、僕が横丁に迷い込んだ日。天井から逆さに生えたサガリさんと一緒にいたような……。
そう思ったのは、あっちも同じだったらしい。凶暴な妖精は、「んん?」と僕を見つめてきた。
「お前。よく見れば、ふゑあり事件で探偵に協力した人間じゃねえか。ってことは、お前が探偵の助手?」
「あっはい! そうです。
「ったく。しょうがねえな。そういうことなら、今回は見逃してやる」
妖精は「よっこいしょ」と座り直すと、万屋さんの手を自分の頭に押し付け、マッサージを続けるよう要請した。
「おい、新入り。探偵の助手になったなら、よーく覚えとけ。俺はグレムリンのジャック。探偵が杖の一振りで機械を操作できるのは、俺のおかげだ」
万屋さんの顔を見ると、苦笑しながら頷いていた。この妖精、ジャックさんが言う事は本当らしい。
「俺の爺さんは勇敢な飛行機乗りだった」
唐突にジャックさんが語り始めた。
「爺さんの飛行機を見て、ライト兄弟は飛行機を完成させたんだ」
万屋さんは首を左右に振っている。そうだろうなとは思ったけど、やはりこの情報は嘘らしい。
「そんな爺さんの血を継いだ俺は、当然命知らずなグレムリンに育った。相手が悪魔と契約した魔法使いでも恐れずに力を貸してやる妖精なんて珍しいだろ?」
——万屋さんの地雷を踏み抜いていった気がするんだけど⁉
ジャックさんが命知らずという点は本当らしい。
おそるおそる万屋さんの様子を窺うと、不服そうにジャックさんを撫で続けていた。
「感謝しているよ。ジャックのおかげで、捜査が捗る」
「だろぉ? それに悪魔に頼むより確実だ! もっと褒めていいぞ探偵」
気のせいか、さっきよりもジャックさんを撫でる万屋さんの手に力が籠っている気がする。仕返しのつもりだろうか?
二人の様子を眺めていると、万屋さんと目が合った。
何を思ったのか、彼は目を逸らすと「魔法使いが使う魔法は、本来そういうものなんだ」と呟くようにいった。
「そういうものって、どういうことですか?」
そう聞くと、万屋さんは押し黙ってしまった。
代わりにジャックさんが口を開いた。
「魔法使いは二種類いるんだ。一つは悪魔と契約した悪い魔法使い。もう一つは、俺達妖精に敬意を払う善い魔法使い。今は魔法使いって言えば、妖精はみんな悪い魔法使いを想像するけどよ。昔は善い魔法使いしかいなかったんだぜ」
「昔の魔法使いは、草木に囲まれ妖精と共に生きていた」
ようやく万屋さんが口を開いた。
「昔は、妖精に力を借りて魔法を使ったんだ。彼等はきまぐれだから、振り回されることは少なくなかったけどね。それから、稀に知恵を求めて森を訪れる村人とも交流した。……静かな暮らしだった」
彼の表情は穏やかで、昔を懐かしんでいるようだった。
「でも、それを不便の一言で片づけてしまう奴等もいた」
嫌な事を思い出したかのように、万屋さんは表情を曇らせた。
「奴等は魔法を自由に使いたがった。だから悪魔と契約して、強力な力を手に入れる代わりに
「何があったんです?」
「……忘れてくれ」
万屋さんはそう言って目を閉じた。これ以上話す気はないようだ。
「馬鹿な過ちを思い出してしまった。いくら彼等を恨んだところで、最終的に悪魔と契約してしまったのは、私自身なのにな」
その時、大きな溜息が聞こえた。視線を下げると、ジャックさんが呆れたように万屋さんを見上げていた。
「探偵は口を開けばそれだよな。たしかに横丁の外にいる奴等は、悪魔憑きは恐ろしいから近寄りたくないって言うけどよ。探偵がドアの魔法を使えるのも、転移できるのも、探偵に力を貸す仲間がいるからだって忘れんなよ」
なるほど、と僕はひとり頷いていた。
「なんだ。やっぱり万屋さんは善い魔法使いじゃないですか。普段は悪魔の力、全然使ってないみたいだし」
「お? なんだ。助手の方が分かってるじゃねーか。探偵は悪魔憑きだけど善い魔法使いなんだよ。腕も確かだしな」
すると、万屋さんは居心地悪そうに咳払いした。
「セージ。今日は出勤日じゃないだろう。私に何か用があるんじゃないのかね?」
「あっ。そ、そうです! 実は……」
バッグからスマホを取り出したその時、スマホが振動し始めた。また例のメールを受信し始めたらしい。
突然、ジャックさんが耳をピクッと動かした。そして、目にも止まらぬ速さで跳び上がって万屋さんの頭を踏み台にすると、僕の顔目掛けて飛び掛かってきた。
椅子ごと後ろにひっくり返った万屋さんと、床に背中から倒された僕は、ほとんど同時に呻き声を上げた。
何事かと腹の上にいるジャックさんを見上げれば、彼は僕のスマホを奪って、猛獣のような目で睨んでいた。
「おい新入り。何でコレを黙っていやがった?」
「えっ。す、すみません! 言うタイミングを逃したっていうか、何て切り出していいか迷ってたっていうか……」
ジャックさんに睨まれた僕は萎縮してしまい、言葉に詰まってしまった。
「どうかしたのかね?」
万屋さんは立ち上がって服の埃を払うと、怪訝な視線をジャックさんに向けた。
すると、ジャックさんは険しい顔でスマホを万屋さんに突き出した。
「これ、救難信号だ! 俺の仲間が酷い目に遭わされてる!」
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