第22話 その後の内間さんと、箱のこと(2章終)

 後日、万屋さんが警察との仕事を終えて、探偵局が落ち着きを取り戻した頃。僕はずっと気になっていたことを聞いてみることにした。


「そういえば、天井裏にあったあの箱には、どんな意味があったんですか?」


「使い魔の報告通り、あれはただの古い箱だよ」


「なんでそれが天井裏から出てきたんです? 人が入った痕跡がなかったのに、どうやって業者が回収できたのかも、わからないままだし」


「箱はんだよ。


 大家は内間さんに天井を叩く霊の事を相談された時、業者に部屋を調べられたら、いくら魔法で隠していても、盗撮用の隠しカメラがバレると思ったんだろう。もしそうなったら、幽霊が天井を叩いていたことから、内間さんが部屋の真上に住む大家じぶんに疑いの目を向けるんじゃないかと考えた。


 だから大家は業者を呼んだと嘘を吐いて、古い箱を内間さんに渡し、それが天井裏から出てきたと言い張ったんだ。天井裏から出てきた不気味な箱と怪異が内間さんの中で結び付いてしまえば、七尋幽霊が出る原因はあの箱にあると考えてしまう。


 そうして大家はまんまと、彼女の目を真上にある自分の部屋ではなく、天井裏と箱に向けさせたのさ」


「なるほど、だから黒カビと同じって言ったんですか……。どちらも怪異と関係ないから」


 僕は——だったら、最初からそう言ってくれたらよかったのに——という気持ちを飲み込んだ。


「箱が回収されたあと、七尋幽霊が天井をより強く叩いたのは、『危険はまだ去ってない』というメッセージだったんですね。そして引っ越した先で窓を引っ掻いたのは、『大家に覗かれている』という警告だったという訳ですか」


「その通りだ。さらに彼女はあの部屋にいた私達に、内間さんが危険だと知らせに来てくれた」


「被害者を増やさないように、内間さんを守ろうとしたんですね。……無事に成仏できるといいですけど」


「成仏?」


「だって彼女、あの犯人に殺されたも同然じゃないですか」


「たしかに彼女は深く傷ついた。しかし、君は思い違いをしている」


 誰かが探偵局の玄関を叩く気配がした。急いで迎えに行くと、玄関の前にいたのは内間さんだった。


「お礼を言いに来ました!」

「そんな!わざわざすみません。でも、よく迷わず来られましたね」


 万屋探偵局は、ここを必要とする人が、必要な時にしか辿り着けない場所だった気がするんだけど。


「迷ったけど、途中で親切な人に送ってもらえたんですよ」


 彼女の後ろで、地面に足を着けて二足歩行をしているサガリさんが手を振っているのが見えた。何だかんだ面倒見が良いのかもしれない。


「それから、もう一人お礼を言いたいって人がいるので紹介します」


 ドアの影から現れた女性を見て、僕は目を見開いてしまった。浴衣は着ていないけど、彼女はまさしく生きた——七尋幽霊その人だった!


「はじめまして、六ツ間と言います」


「被害者の会で知り合ったんですよ。探偵さん達の話をしたら、ぜひお礼を言いたいって」


「どうぞ中へ」

 いつの間に来たのか、万屋さんが二人を中に迎え入れた。


 彼が書斎に二人を案内した後、僕は部屋に入る前に万屋さんを引き留めて事情を聞いた。


「七尋幽霊は生霊だったんだ。犯人への怒りと、被害者を増やしたくないという願いが、あの怪異を成した」


「最初からそう言ってくださいよ!」


「悪い、気付いているかと……。ところで、コーヒーを頼んでおいたから、また持って来てくれ」


 僕はまた喫茶店でコーヒーを四つ受け取とると、全員に配ってから席に着いた。


 内間さんの隣に座った六ツ間さんは、コーヒーを見て首を傾げた。


「前にもこんなことあったかな? 初めてここに来た気がしないんです」


「それはきっと、内間さんから私達のことを聞いたからだろう」


 万屋さん、彼女が生霊になってここに来たって事は伝えないのか。


「そうかも。とっても頼りになる探偵さんと助手さんだって、最近ずっと話してたから」

 内間さんが笑った。

「あれから幽霊が出なくなったんです。やっぱり探偵さんの言う通り、あの大きな幽霊は私のだったんですね。あの時は怖かったけど、急に頼もしく思えてきました」


「しかしだね、今回の件で守護霊は疲れてしまったと思う。守護霊を困らせないように、内間さんはもう少し人を疑うべきだ」


「わ、わかりました」


「私からもお願い。内間さん、そそっかしくて心配になるから」

 六ツ間さんは真剣な眼差しを内間さんに向けている。守護霊ではないけど、内間さんを心配してくれているのが伝わってきた。


 どうやら、彼女に七尋幽霊だった時の記憶はないみたいだ。万屋さんが七尋幽霊の正体を守護霊だとごまかしたのは、その為か。


 六ツ間さんはコーヒーを一口飲んでから、ポツポツと近況を聞かせてくれた。


「ずっと、犯人が許せませんでした。どうしてあんな酷いことされたんだろうとか考えちゃって。でもその内、私と同じように辛い思いをする人が出ないように、助けなきゃって思うようになったんです。でも被害に遭った事、誰にも相談できなくて……」


 涙を流しながら打ち明ける彼女の想いを、僕達は静かに受け止めた。犯人が捕まっただけじゃ彼女の傷は癒えないかもしれない。あの犯人が与えた恐怖と屈辱は、彼女の魂からも言葉を奪ったんだから。


「でも、あのクソ野郎、自白したんですって」

 内間さんがニヤリと笑った。

「被害者にはもう絶対に近づきません、できるだけ厳しい罰を与えてくださいって、泣きながら震えてたんだって」


「探偵さん達が犯人を諭してくれたんじゃないかって、二人で話していたんです。おかげさまで、気持ちが少し晴れました。本当に、ありがとうございました」


 諭したっていうか、脅したっていうか……。

 万屋さんの顔を見ると、彼は涼しい顔でコーヒーを飲んでいた。



 しばらく話をして、玄関まで見送った時には、二人に少し笑顔が戻ったように見えた。


 犯人が逮捕されて、怪異も消えた。これで事件は解決したはずだ。


 でも……。


「どうした、セージ? 難しい顔をしているじゃないか」


「あの箱の事を思い出していました」


「あの空箱が何か?」

 自分でコーヒーを淹れ直した万屋さんは首を傾げた。


「犯人が自分の罪を隠す為に用意したあの箱の中身は、きっと空なんかじゃなかったんですよ。

 中身は欲望です。あいつは、多くの人を傷付けても満たされることのない異常な欲を、あの中にも詰めていたんです。それでも溢れるくらいだから、悪魔を招き入れてしまったんだ」


「……詩的な表現だが、一理あるかもしれないな。人の欲は際限がない。特にあいつの欲は底なしだった。だから悪魔に心を読まれて、付け込まれたのさ。


 召喚するまでもなく、悪魔はどこにでもいる。宗教が変わろうと、国が変わろうと、必ず存在する絶対悪、それが悪魔だ。つまり人は誰しも、悪魔に取り憑かれる危険と隣合わせだ。


 だから上司として、悪魔に打ち勝つ方法を教えておこう」


 そう言って万屋さんは、コーヒーに真っ白なミルクを注いだ。ミルクは瞬く間に黒と混ざって、元の白さを失ってしまった。


「悪魔と取引をしないことだ。それがどんなに魅力的な提案でも、頷いたら最後、地獄に引きずり込まれる。

 魔女と魔法使いにも関わらないように。奴らは悪魔と契約して力を得たつもりでいるが、実際は悪魔に使われている傀儡に過ぎない。特に悪魔に気に入られた魔法使いは余計にたちが悪い。なぜなら、悪魔になりかけているからだ」


 悪魔は邪悪の権化、それは否定できない。今回の件で良くわかった。


 でも悪魔になりかけている万屋さんの事まで、悪人だと思いたくない。

 彼が何も語らないから、彼を信じるために、前にサガリさんと万屋さんが言い合っていた内容を思い出して、調べてみたんだ。


 『悪魔は招かれぬ所へは出向かぬ紳士である』――サガリさんが口にしたのは、アメリカ大統領エイブラハム・リンカーンの名言の内の一つだった。(※16話)


 サガリさんは冗談で言ったけど、本来は――人は悪魔に誘惑されて破滅するというけれど、その人が望まなければ悪魔はやって来ない――というような意味らしい。


 悪魔になりかけている万屋さんは、悪魔を招く声には応えない。代わりに探偵局に人を招き入れて、探偵と依頼主という契約を交わすんだ。

 怪異探偵は、依頼主に使役される悪魔なのかもしれない。でも、それは決して依頼主を破滅させる為じゃなくて、以前の僕のように、悩みを抱えている人を救う為だと信じている。


「折角の忠告ですけど、全部は聞き入れられないですよ。善い魔法使いもいるって、知ってますから」


 コーヒーを混ぜる万屋さんの手が止まった。


「その信頼は心地良いがね、私は前より君のことが心配になったよ」


 ミルクはコーヒーと完全に混ざって、もうどちらも元の色がわからないようになっていた。それがまるで、悪魔になりかけている万屋さん自身のようだと、僕は思ってしまった。

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怪異探偵—覚— 木の傘 @nihatiroku

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