第20話 償わせる怪異探偵

 万屋さんがリビングの引き戸を開けた瞬間、大柄の男性に押し倒された内間さんと目が合った。


「たす、けて……」


 内間さんの声に弾かれたように僕達は走り出した。まずいと思ったのか、犯人が窓から飛び出した。この部屋は一階にあるようだ。


 内間さんを助け起こす万屋さんを横目に、僕は犯人を追いかけて外に飛び出した。


「待てセージ! 奴の中には悪魔がいる、殺されるぞ!」


「でもこのままじゃ逃げられます!」


 万屋さんに叫び返すと、僕は犯人の後ろ姿を追いかけて道に出た。マンションは住宅街にあるのに、今は人通りが少ない。おそらく犯人は内間さんをストーキングして、一番犯行しやすい時間帯に内間さんが一人になるタイミングを狙っていたんだ。


 怒りを足に乗せ、ぐんぐん犯人との距離を詰めていく。生憎万屋さんみたいに頭はよくないけど、体力や腕っぷしにはそれなりに自信がある。


 焦った犯人は道を間違えたのか、袋小路に逃げ込んだ。背丈より高い塀を前にした犯人は、しかし観念することなく、ポケットから出したカッターナイフを片手に迫ってきた。


 僕は軽く構えると、真っすぐ突き出された一撃を躱して刃物を持った手に手刀を浴びせた。犯人が取り落とした刃物を蹴り飛ばし、怯んだ犯人の片腕を掴んで背中に回すと地面に押し倒す。


 そこでようやく気付いた——犯人の皮膚の中を、何かが這っている。

 僕は咄嗟に飛び退くと、犯人の様子を観察した。犯人の全身からミミズのようなものが集まって、首から背中に山羊の顔を浮かび上がるのが見えた。それは皮膚をすり抜けて、夢魔として実体化した。


 山羊の頭にコウモリの羽、兎の足で立つそいつは、血のように赤い目で僕を睨んだ。


 ——動けない!?

 睨まれた途端、金縛りにでもあったかのように、体が言う事を効かなくなった。


 夢魔の手が伸びてくる。

『殺される』と言った万屋さんの忠告が、今更僕の頭の中を駆け巡る。


 夢魔が僕を掴もうとしたその一瞬——

 バクン。

 空から現れた黒い狼が夢魔を銜え、宙に投げ飛ばしたかと思うと、口から火炎を吐いて夢魔を灰にした。


 逃げようとした犯人を片足で踏みつけて気絶させると、狼は低い唸り声を上げた。


「GRRRRRRR‼」 


 普通なら、逃げなきゃいけない場面だろう。だけど僕は不思議と逃げようとは思えず、その場で狼を見上げた。


 狼の尾は鱗に覆われていて、蛇のようだ。毛並みと背中に生えた翼は夜闇のように黒く、赤い片目が篝火のように光っている。でも、もう片方の目は、見覚えのある深緑色の光を静かに湛えていた。


「万屋さん?」


 黒い狼の姿が一瞬にして掻き消え、代わりに、見慣れた万屋さんの姿が現れた。


「セージ……全く君という奴は、どうしてこういう時ばかり勘が鋭いんだ」


「本当に万屋さんだったんですか……」


 万屋さんは溜息を吐くと、不機嫌そうな視線を僕に寄こした。


「全く。だから待てと言ったのに……怪我はないだろうな?」

「ないです。すみません……助かりました……」


「ならいい」

 万屋さんは頷くと、犯人を見下ろした。


「万屋さん、内間さんは大丈夫でしたか?」


「彼女は無事だよ。大家に襲われてすぐ、私達が到着したからな。『あんな人だとは思わなかった』と、嘆いてはいたがね……。一先ずサガリに任せてきたが、今頃警察に保護されているはずだ」


「警察の到着が早過ぎる気がするんですけど……」


「知り合いの警察がいると言った。探偵を続けていると、人脈の幅が嫌でも広がるのでね。歓迎はされないが、お互い利用し合うことはある。私が入り込めるように、ドアに隙間を作っておいてくれるんだ」


「ううぅ」

 犯人がまた呻き始めた。彼は僕達を見上げると、悔しそうに歯を剥いた。

「どうして邪魔をしたんだ。あと少しで彼女と一つになれたのに! お前達は何なんだよ!」


「そういう君はあのマンションの大家だな。住人を食い物にしていたなんて、管理人の風上にも置けない奴だ」

「内間さんは嫌がっていましたよ。どうしてこんなことをしたんです」


「俺が偉いからだ」

「「は?」」


「俺のマンションに来るのは、金のない奴らばかりなんだ。男も女も全員、みんな俺を頼って部屋を借りるんだ。特に内間はずぼらだから、俺がいないとダメなんだよ。それなのに、あいつは出ていきやがった。せっかく可愛がってやろうと思ってたのに、恩知らずだよなぁ。それが悔しくて、わざわざこんなところまで」


「何を言ってるのかわかりませんが、内間さんには頼りになる友人がいるらしいので、あなたがいなくても大丈夫だと思いますよ」

「罪を犯した自覚はあるかね?」


「罪? 何も悪い事してないだろ! 部屋を格安で貸してやるんだから、これくらい許されるだろ! それに、同意の元でやったんだ! ちょっと殴っても笑えって言ったら、全員笑ったぜ。喜んでる証拠だろうが!」


「お前が被害者を脅したからだろ! 万屋さん、どうしましょう。この人話が通じません」

「このまま警察に引き渡しても、依頼人に危害を加える恐れがある。それにこいつが喚き散らせば、私達を頼って依頼してくれた彼女達の名誉を傷つけることになるだろう。そして何よりこいつのせいで私は——依頼人を裏切ってしまった」


 万屋さんの雰囲気が変わった。

 彼の足元から伸びた影が蛇のように男に巻き付いて、犯人を宙に浮かび上がらせた。


 犯人と視線を合わせた万屋さんの深緑の目は赤色に変わり、妖しく光っている。

 遠巻きにその光を見ただけで、僕の肌がびりびりと痺れ、脳は警鐘を鳴らし始めた。


「私は怪異探偵の肩書に懸けて、これ以上恐ろしいことは起こさせないと依頼人に誓ったというのに、私はお前の蛮行を許してしまった」


 言葉と共に黒煙と火の粉が彼の口から溢れ出した。


 怯えきった犯人が必死に彼から逃げようとするも、絡みついた影がそれを許さない。狼を前にした子羊のように震える哀れな大男に向かって、万屋さんは——


「償え」


 たった一言、そう命じた。


 それだけで犯人は白眼を向き、口から白い泡を噴き出しながら意識を失ってしまった。


 万屋さんは犯人を解放すると、何事もなかったかのように大して乱れていないネクタイを締め直した。


 タイミングを見計らったかのように、警察官達が走ってきた。連れて行かれる犯人を横目に見れば、髪は白く抜け落ちて、気絶した顔はまるで死人のようだった。


 パトカーに乗せられる前に、犯人は意識を取り戻した。僕達の方に怯えた目を向けると、


「悪魔だ! 悪魔を飼い慣らしたせいで、復讐に来たんだ! 助けてくれ! 助けてくださいいいい!!」


 犯人は叫びながらパトカーの座席に飛び乗った。


 「万屋さん、犯人に何をしたんですか……」


「何もしていない。ただ、狼に食われないようにアドバイスをしただけだ。残念ながら、意図はうまく伝わらなかったようだがね」

 赤い瞳のまま、ゾッとするような声色で万屋さんは呟いた。。


 警察官の一人がこっちを向いた。事情聴取されるかと思って身構えたけど、「ご協力ありがとうございました」って軽く会釈して帰って行った。警察に知り合いがいるって話は本当らしい。

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