第8話 ふゑありを祀る訳

「チ゛ュー!」

 小さなネズミが床の上で威嚇の声を上げている。あれはたしか、万屋さんが連れていた……たしか、ミスターとか呼ばれているネズミじゃないか。


「『いい加減にしたまえ』と、このミスターは訴えているのです」


 襖を開け放って現れた万屋さんが、ミスターの声を翻訳した。


「誰だ君は!」


「私は怪異探偵、万屋覚よろずやさとり。そしてこのネズミの彼は、あなた方が存在を否定した魂達の内一つが飼っていたネズミの霊。彼はふゑありの眷属として、私に助けを求めてきたのです」


 眷属って……。あのネズミ、ふゑあり様の使いだったのか。


「村長、このままふゑありを放置すれば、村は祟りに見舞われます。セージはこの村を救うため、あなたに助けを求めているのですよ。

 あなたが村を護りたいという気持ちを持っていることは理解しています。そのためにも、今こそふゑありという過ちをみとめ、腐敗を正すべきではないですか」


「怪異探偵でしたっけ? あなたが何者かは知りませんが、よその人に口出しされるほど、この村は腐っておりませんよ」


「セージはこの村の若者ですよ。私は彼と眷属に助力しているだけです」


「お願いします村長、力を貸してください。ただ蔵の戸を開けてくださるだけで終わることなんです」


 それでも村長と彼が連れてきた役員が力を貸してくれることはなかった。彼らはただ、僕達に睨むような視線を浴びせ続けた。


「そうか、ならば仕方がない」


 万屋さんはそう言って僕を立たせると部屋の外へと引き摺った。






「まさかあんなに話が通じないなんて……。すみません、せっかく来てもらったのに」


「気にすることはない。あの木像を見て、説得は難しそうだと思っていたさ」


 駄目元だったんだ……。


「というか、最初の依頼主はそのネズミだったんですか。しかもふゑあり様の眷属って……。道理で一度も村に来たことのないあなたが、ふゑあり様の正体を知っていたはずですよ」


「ネズミのミスターは色々教えてくれた。ふゑありが生前どんな人物だったか、どのように亡くなったか。入れ替わろうとして失敗したことも」


 万屋さんはネズミを撫でながら、僕を一瞥した。


「居場所を失ったふゑありが次に何をするか、君は予想できるかね」


「居場所がなくなったら、他の場所に移るとか? でも、ふゑあり様は蔵に閉じ込められていたから、蔵から外には出られないはずですよね」


「今は、な」


 僕が首を傾げると、万屋さんは言葉を続けた。


「生まれたことを祝福されずに、閉じ込められた者達が、なぜ神として祀られていると思う?」


「えっと、『蔵の中に閉じ込められた子供はふゑあり様に会うといい子になる』って言い伝えがあるからですか?」


「それは祀られた後、ふゑありがそこにいる理由を村人でっちあげたときにできた話だ。本質を見たまえ。君が子供の頃、ふゑありを見ていい子にならなきゃと思ったのはどうしてだ?」


「……怖かったからです」


「なぜ?」


 言葉に詰まってしまった。

 あの時はただ怖くて、閉じ込められたくない一心で親の言う事を聞いていた。でも成長して、周りが見えるようになって、ふゑあり様の正体に気が付いた。でも、気付かないフリをしてしまった。


「怖かったんです。ふゑあり様がそこにいることが、怖くてしょうがなかったんです」


 思わず万屋さんから顔を逸らしてしまった。そんなつもりはないだろうけど、彼の目に責められているような気がしたから。


「先祖達が犯した罪なのに、僕自身が犯した罪だと責められているようで、怖かったんですよ。

 罪を償うにはどうしたらいいのか考えて、入れ替わって、あんな場所に閉じ込められなきゃいけないのかとか、悩みまくって。

 でも、そんなの嫌だと思って村から逃げたんです」


 呟きを皮切りに、今まで胸の中に蟠っていた想いが、喉元を抜けていく。

 逃げる事しかできなかったのが悔しくて、でも恐ろしくて……。

 気付けば涙が溢れていた。

 呆れてしまう。散々目を逸らして、ふゑあり様から逃げてきた癖に。万屋さんがいなければ、今もまだ逃げ続けていた癖に……。


 ふと、膝の上に何かが乗った。

「チュー」

 膝に乗ったミスターが僕の顔を見上げている。


 どういうつもりか、ミスターは前足で見覚えがあるクッキーを抱えていて、おずおずと僕に差し出してきた。


「『何の権力も持たない人の子が、我が主を思い権力者に向かって吠えたことは評価に値する』だそうだ。『この美味な菓子を褒美として賜はす』らしい」


「僕には、チューしか聞こえませんでしたけど」


「彼らは短い言葉で色んなことを伝えられるんだ。興味があれば教えてもいいが、習得に軽く十年はかかる」


「じゃあ、代わりに伝えてください。そのクッキーは受け取れませんって。たぶんこれ、ミスターがゑあり様にあげようと思って喫茶店から持ってきたやつだと思うので」


 通訳を介さずミスターは僕の言葉を理解したらしい。クッキーをみつめ、「とっておいて」とでも言うように万屋さんに渡した。


「……泣かせるつもりはなかった。嫌なことを聞いて悪かったな」


「僕だって、そんなつもりじゃなかったです。でも、ふゑあり様を怖がって逃げたのが悔しくて」


「それだよ」

 万屋さんが人差し指を立てて、指摘する。

「ふゑあり信仰の根底にあるのは、恐怖だ。村人達は、ふゑありに祟られることを恐れていた。だから神様として祀り、怒りを鎮めようとしたんだ」


「じゃあうちの蔵が潰されて、信仰が潰えたら……」


「村は祟りに見舞われる。死後も尊厳を壊され、その上居場所を奪われたふゑありは最早蔵にいる神ではいられず、災厄を成す祟り神に変わってしまうだろう」


「もう一度村長を説得しましょう。何も悪くないのに、僕達村人のせいで祟り神になっちゃうなんて、そんなの嫌です!」


「いや、説得は不可能だとわかった。別の手を使う」


「何か策が?」


「この村で蔵は座敷牢として運用されていた。だが、全部の家が蔵を持っている訳じゃないだろう」


「そりゃそうですけど」


「座敷牢の場所は蔵だけじゃない。たとえば部屋の一角や一部屋そのものが使われることもあった。それでも蔵がふゑありの居場所になったのは、村人がふゑありを蔵にいる神として祀ったからだ」


「村人が、ふゑあり様を蔵にいる神だと言っていたのは、居場所を蔵に限定するためだったんですね。でも、どうして蔵なんですか?」


「ふゑありという怪異は、もしかするとその昔、家の中の座敷牢として使っていた場所にも出現したことがあったんじゃないだろうか?」


「家の中で怪異が起こると困るから、村人はふゑあり様の居場所を蔵に限定したってことですか」


「そうだ。すると、ふゑありの元の呼び名は納戸神なんどがみだった可能性が高い。

 納戸神は蔵や納戸など財産を保管する場所に宿る神だ。田の神として崇拝される恵比寿や大黒天を祀ることが多いが、隠れキリシタンが聖画像を祀っていたこともあった」


「昔の村人達は、ふゑあり様を生んでしまったことを後悔して、納戸の神様として迎えることにしたんですね」


「いや違う。村人達は、彼らを恐れたものの、受け入れてなどいない。あの木像がその証拠だ」


「あの、大黒様に似せて作られたふゑあり様の木像ですか?」


「そうだ。あれがあれば、万が一外の人間にふゑありを祀る神棚を見られても、それは田の神として祀られる大黒天だと言い張れる」


「……まさかあの木像は、村の外の人間にふゑあり様の事を悟られないように、カモフラージュする為!? 罰当たりにもほどがあります!」


「その通りだ。あの神棚と木像を納戸神として蔵で祀ることで、ふゑありを蔵に閉じ込め、外からも村の問題を隠した。村人はふゑありを恐れたものの、生み出したこと後悔したことなんて一度もなかったんだ。

 そして入れ替わろうとする彼らをふゑありと呼び始め、今はふゑありそのものを忘却しようとしている。この村は昔からそうだったんだ。だから説得して平和的に解決することは出来ないと悟った」


「ふゑあり様が、どうして子供を襲うのに神様と呼ばれていたかわかりました。そんな理由で祀られていたからだったんですね……。僕も怒りますよ、そんなことされたら……」


 悍ましいものを感じた僕は吐き気を覚え、俯いてしまった。


 僕は、僕が生まれ育ったこの村が好きだ。それなのに、この村は腐っている。それがあまりにも悲しくて、悔しい……。


「この村の腐敗を正そうじゃないか」


「でも、説得は不可能なんですよね?」


「私には不可能だ。しかし、ふゑありは村人を許さない。その恐怖を忘れたなら、思い出させるまでだ」


 そう言った万屋さんを見上げれば、彼はとても探偵とは思えない悪い顔をしていた。


「村人が言うには、ふゑありは納戸神らしい。そこを利用して、灸を据えてやろう」

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