第3話 一人と一匹の依頼人

「私は万屋よろずやさとり。ここ、あわい横丁の管理人だが、皆は親しみを込めて怪異探偵と呼んでくれる」


 彼が自己紹介したので、僕も名乗っておくことにした。


朝霧あさぎり醒司せいじです……。えっと、気付いたらここにいました」


「セージか、いい名前だ」

 イントネーションが違う気がする。それじゃハーブみたいだよ。別にいいけど……。


「セージ、君の疑問に答えよう。私が私の家のドアとこの店のドアをつなげたんだ。依頼人にこの店を探す手間をかけさせるのははばかられるのでね」


 さっきルナさんも同じようなことを言っていたけど、ドアをつなげるってどういう意味なんだろう。普通に考えれば、僕は後退った拍子に家のドアを開けてしまっただけだと思うんだけど。


「私を訪ねて来たという事は、君は人に話しても信じて貰えないような、奇妙な悩みを抱えているんだろう。のも、そのせいだったりするのかな」


「どうしてそのことを!?」


 心臓が跳ねた。

 ——僕はまだ、自己紹介しかしてないはずなのに!


「私はこの暗さと狭さが落ち着くんだけどね。気になるなら席を移動しよう」


 もしかして、万屋さんは僕の態度を観察していたんだろうか。きっとこの店の暗さとボックス席の狭さに対しての不安感が態度に出てしまっていたんだろう。

 この観察力、怪異という不穏な文字が付いているけど、さすが探偵と呼ばれるだけはある。


 ——でもどうしてだろう。何か違和感があるような……。


「席はこのままで大丈夫です。最初は気になりましたが、これくらいなら……」

「そうかい? ああ、そのようだな」


 なんとなく、彼の自信の源は、優れた観察力の他にもあるような気がする。


「お待たせしました」

 ルナさんがコーヒーカップを万屋さんと僕の前に置いた。

「探偵さんの奢りだそうですよ。お仕事のお話をされるときは、必ず依頼人さんの分も頼まれるんです。それから、こちらはサービスですわ」


 ルナさんはクッキーが乗ったお皿を僕達の前にそれぞれ置くと、「ごゆっくり」と言い残してまたカウンターの方へと歩いて行ってしまった。


「ウィンナーコーヒーはクリームが蓋になって冷めにくいから、長い話をするにはもってこいの飲み物なんだ」


 どうしよう。このマイペースな探偵と二人きりにされるのは、ちょっと心細い。ルナさんの事も良く知らないけど、誰か近くにいて欲しいと思ってしまう。


 徐に目の前に置かれたコーヒーとクッキーに視線を落とす。コーヒーカップの上には白いクリームの小さな山ができていて、クッキーからは香ばしい香りが漂ってくる。贅沢な組み合わせだと思ったけど、状況が状況なだけに手を付けづらい。


 視線を上げれば、万屋さんは上品にカップを傾けていた。


「えっと、長い話って何でしょうか?」

「当然、君の抱えている悩みについてだ。探偵の仕事を始めるには、まず依頼内容を聞かないとだからね」


 ……やっぱり、やめておいた方がよかっただろうか。あの看板を見た時は相談してみたいとも思ったけど、あの恐ろしい出来事をどこまで信じてもらえるかわからないし。


 溜息が聞こえた。


「この店に入る前に、逆さまに生えた男を見ただろ。その他にも人の言葉を話す野兎、左右の目の色が異なる銀髪の女性、それから私、怪異探偵という奇妙なもの次々見た訳だ。君にとっての非日常はもう既に起きているじゃないか。これ以上何を拒む必要がある?」


「そう言われても……」


 徐にコーヒーに手を伸ばそうとした時だった。手のひらサイズのネズミが僕のクッキーを頬張っているのを見て、驚いた僕はテーブルを派手に揺らしてしまい、カップがガシャンと大きな音を立てた。


「おっとミスター、人の物を盗るのはいかがなものか」


 万屋さんが指でテーブルを叩くと、ネズミは僕のクッキーをくわえたまま万屋さんの方へと逃げていく。ネズミは彼の腕を駆け上がると、肩に乗ってクッキーをサクサクやり始めた。


「ごめんなさいね。私ったらうっかりしていたわ。お客様はいらっしゃったのに」

 そう言いながら、ルナさんが新しいクッキーを持ってきてくれた。


 ということは、もう一人の客はこのネズミのことなんだろうか。

 肩のネズミが物欲しそうな顔をしていたので、ルナさんが最初に持ってきてくれたクッキー皿を万屋さんの方へスライドさせてやる。するとネズミは遠慮なく皿に飛び乗ってクッキーに齧りついた。


「このネズミは万屋さんのペットですか?」


「いや、彼とは今朝知り合った。彼の話を聞いた私は、もしかすると彼と同じような悩みを抱えた人がいるかもしれないと思い、その人の為に横町への道を開けておくことにしたんだ。そしたら予想通り、君がここに来た」


 顔を上げれば、万屋さんの深緑の目が僕を真っすぐ見つめていた。


「奇妙な夢を見なかったか?」


「っ……」

 思わず息を呑んだ。彼の言う通り、今朝僕は子供の頃に見た怪異の悪夢で飛び起きたんだ。


「怪異探偵は、怪奇現象を解決する名探偵という意味だそうだ。私はあわい横丁の管理人として、皆がくれたこの肩書に恥じぬ働きをすると決めている。話してみたまえ。それが真実なら、私は君の力になると約束する」


 今日は本当に不思議なことばかり起きる。今日みたいな非日常の中でなら、話してみてもいいのかもしれない。きっと目の前の探偵にとって、僕があの日体験した恐ろしいできごとは、日常の範疇はんちゅうなのだから。


「僕の悩みは、子供の頃に体験した出来事が元になっているんです」


 そう前置きして、僕はあの日のできごとを話し始めた。

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