第4話 即席の相棒
子供の頃、蔵の中で恐ろしい物を見ました。
僕の生まれた村には、悪い事をした子供を蔵に閉じ込める習慣があるんです。蔵の中には【ふゑあり様】という神様が住んでいて、その神様に会った子供達はみんないい子になると信じられていました。
ある時、僕は父を怒らせて蔵に閉じ込められました。
そして——彼に会いました。
蔵の中には、僕そっくりの子供がいたんです。双子だとか、そういう次元の話じゃありません。背丈も声も、顔にあるほくろの位置さえも全く同じ、もう一人の自分がそこにいたんです。
「代わって」
彼がそう言った途端、一つ二つ三つと僕そっくりな顔がそこら中に浮かび上がって、たくさんの手が伸びてきたんです。
「代わって、代わって、代わって代わって代わって代わって」
一本の腕が僕の手を掴みました。
——奥に引きずり込まれる。
そう思った僕は咄嗟にその手を振り払って、逃げ場を求めて狭い蔵の中を走りました。でも、暗くて何も見えなくて……。
ガシャン! という大きな音が聞こえて、ぶつかった拍子に何かを倒したのだとわかりました。
同時に、小さなうめき声が聞こえました。
様子を見に来た母が蔵の戸を開けたのはその時でした。僕そっくりの顔をした彼らは、戸の隙間から差し込む光から逃れるように部屋の隅の暗がりへと逃げていきました。
でも、倒れた棚の下敷になっていた彼は逃げられなかったみたいです。光に当たると、ドロドロに溶けて消えてしまいました……。
「大人になっても忘れられないんです。ふゑあり様とは、あの時見た彼らの事だったんでしょうか」
僕が話し終えると、万屋さんはどこか腑に落ちない顔をしてコーヒーカップを傾けた。
「本当にそれが君の悩み?」
「え?」
「まあいいさ。約束は約束だ。一先ずその内容で依頼を引き受けよう」
彼がクッキーを口に運んだのを見て、僕もカップを手に取った。コーヒーの苦みの中にクリームの仄かな甘みが広がる。どことなく居心地の悪さを感じていても、美味しいと思えた。
「ふゑありとは、
「もう正体がわかったんですか?」
「ああ。元は別の名前で呼ばれていたが、昔の村人がチェンジリングの伝承を聞いて、妖精の仕業ということにしようとしたんじゃないだろうか」
「チェンジリングって?」
「取り替え子を意味するヨーロッパの伝承さ。妖精が人間の子供を攫う際、用意した身代わりとすり替えることを指す」
「でも、僕の村は日本のド田舎にあるんですよ」
「元は別の名前で呼ばれていたと言った。それは妖精と呼ばれているものの、本物の妖精じゃない。その土地に昔からいるものだ」
「昔からいるものって……。僕の先祖達は怪物か何かを蔵に閉じ込めていたんですか?」
「そうじゃない。さっき、君は『悪い事をした子供を蔵に閉じ込める習慣がある』と言ったね。その習慣は、昔はもっと酷いものだった。蔵を座敷牢として使い、私的な理由で人を閉じ込める因習。それが躾として閉じ込める、という形に変化したんだ」
僕は内心ギクリとした。僕の村の習慣は、彼が今言った通りの因習が形を変えたものだったからだ。
「それがどうして、ふゑあり様の正体に繋がるんですか」
辛うじて絞り出した声は震えてしまった。
「ふゑありは、閉じ込められた人間達の未練が形を成したものだ。悪霊とまでは言わないがね。その姿のままでは外に出してもらえないと考えたから、中に入ってきた者の姿を借りて外に出ようとしているんだよ。だから、『代わって』と言ったんだ」
彼が僕を見据えた。
「本当は、君も気付いていたんじゃないか?」
僕は何も言えなかった。
僕自身も気付いていなかったけれど、僕が蔵での事を他人に話せないと感じるのは、怪異と遭遇したのを信じてもらえるかどうかが不安だから、という理由だけじゃなかったんだ。この話をすると、僕自身が責められているように感じてしまうからだったんだ……。
僕の心を見抜いたように、彼は続けた。
「昔の村人達は、世間体を気にするあまり蔵の中に特別な事情を抱えた身内を隠し、亡くなった後もふゑあり様と偽って、隠し続けた。でも君は違うだろ」
僕は自分の生まれが、ふゑあり様を成した先祖達が、恐ろしい。
「責任を取れとおっしゃるんですね。命と引き換えに、ふゑあり様を外に出せ、と」
口を衝いて出た言葉に、万屋さんは目を丸くした。
「それは違う。入れ替わっても、ふゑありは蔵の外に出られないんだ。光の届かない場所で一生を終えたから、光に弱くなってしまったんだよ」
「じゃあ、ふゑあり様に会った子供が良い子になるのは、ふゑあり様と入れ替わったからじゃなくて——」
「ああ。大人しくなった子供達は、ふゑありのようになりたくないと思うあまり、求められるように振舞ったのさ。君もそうだったろ」
愕然とした。
蔵の中で光に焦がれて亡くなった人達は、死して尚、そのままの姿で外に出られない。しかも、それほどまでに求めた光に触れただけで、消えてしまうというのか。
「何か、方法はないんですか? ふゑあり様を救う方法は……」
「それが本当の悩みだね」
コーヒーカップを置いて、万屋さんが立ち上がった。
「ふゑありの未練を断ち、蔵から解放しよう。私の仕事は、怪奇現象の原因を突き止めて依頼人の悩みを解決するまでがセットだ。
喫茶店の入り口を君の家に繋げておこう、良い知らせを期待しておきたまえ」
そう言って歩き出した彼の背中を、僕はいつの間にか追いかけていた。
「待ってください!」
僕が叫ぶと、彼は不思議そうな顔をして振り向いた。僕だって不思議でしょうがない。だけど……何もしないのは嫌だった。
「協力させてください。絶対にあなたの足を引っ張らないように気を付けますから」
勢いよく頭を下げた。
沈黙してしまった彼の返答が怖い。
僅かにざわめく店内。
——迷惑だっただろうか……。
「顔を上げたまえ」
おそるおそる上を向くと、意外にも万屋さんは微笑んでいた。
「ちょうど助手が欲しかったところだ。少しの間よろしく頼むよ、セージ」
「ありがとうございます!」
「ただしその前に、コーヒーを飲み干してクッキーを食べ終えてしまいたまえ。残したらマスター達が悲しむ」
僕はハッとして席に戻った。
僕がクッキーを頬張る間、万屋さんはカウンター席に座ってマスター達と何かを話しているようだった。マスター達は嬉しそうに笑っていたけど、万屋さんは複雑な表情を浮かべていた。
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