1章 焦がれた陽射し

第2話 悪夢 ふゑあり様

 万屋よろずやさとり——人は彼を怪異探偵と呼ぶ。なぜなら彼は怪奇現象を解決する名探偵だからだそうだ。


 僕、朝霧あさぎり醒司せいじが彼と初めて会ったのは、僕が人に相談できないような悩みを抱えていた時だった。


 ♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


 夜が怖い。部屋の中の暗がりから声が聞こえる気がするから。

 狭い場所は息苦しい。蔵の中を思い出してしまうから。

 家族といるのが辛くなったのも、何もかも全て、あの日から始まった。


 蔵に閉じ込められた僕は、ふゑあり様に会った。


 僕と瓜二つの顔に化けた神様は、「代わって」と僕に懇願した。一つ、二つ、三つ。同じ顔が暗闇に浮かび上がって、いくつもの手が僕に向かって伸ばされた。


「うわああ」

 飛び起きると、そこは見慣れた自分の部屋だった。カーテンの隙間から差し込む朝日に安心して、寝汗でぐっしょり濡れた前髪を掻き上げる。


 ——この悪夢を見るのは何度目だろう……。


 最悪な気分で目が覚めた僕は、目的もなく部屋を飛び出した。人混みや街の騒音の中に身を置けば、自分の抱えている孤独を忘れられると思ったんだ。

 だけど、街の喧騒は焦燥感を駆り立てるだけで、僕は余計に孤独を感じる羽目になった。逃げるように横道に入ると、静かさを求めて狭い道を奥へ奥へと進んでいった。


 気が付けば知らない道を歩いていた。瓦屋根の木造建築に混ざり、石やレンガの壁で作られた洋館が立ち並ぶ和洋折衷な石畳の通りだった。道は狭く、車一台がようやく通れるような幅しかない。雰囲気を言い表すなら大正ロマンだろうか。


 この街にこんな場所があったなんて知らなかった。闇雲に歩いていたせいで、今どのあたりにいるのかわからない。気になってスマホの地図アプリを開くと、なぜかうまく現在地が表示されなかった。


 急に心細くなって、僕は引き返そうと後ろを向いた。


「えっ」

 思わず声が出てしまった。僕が、ほんのついさっきまで歩いて来たはずの道が——なくなっている。

 代りにそこにあったのは、洋館と和風住宅が合体したような古い家だった。入り口には大きな看板が付いていて【万屋探偵局】という大きな文字の下に【怪異にお困りの方のお悩み、解決致します】と控えめな文字が書かれていた。


「怪異? たしか、不思議な現象や妖怪変化のことだっけ」

 ふと、子供の頃に見たモノを思い出した。僕が今日部屋を飛び出したのも、閉じ籠もっているとあの時の事を思い出してしまいそうになるからだった。


 ——今日ここに来たのは、何かの縁だろうか。

 でも、こんな怪しい看板を信じて大丈夫だろうか。それに探偵って……。お祓いをする人は大抵、霊能力者や拝み屋の肩書を背負うと思うんだけど。


 疑う気持ちに反して、僕の足はその建物の入り口へと向かっていた。インターホンを探そうとして、玄関にかけられていた札にようやく気付いた。


 【喫茶ひすがらにいます】

 外出中ということだろうか。


 話声が聞こえた気がして、そっちに視線を向けた僕は悲鳴を上げそうになった。向かいの家の軒下から男性の上半身がいる。両手はだらんと下に投げ出されているのに帽子は落ちず、彼は帽子の鍔の下で僕を観察しているように見えた。

 彼のすぐ下には、兎に似た小さな生き物がいた。

 その不思議な生き物が僕に呼びかけている。

「おーい! 探偵は喫茶店にいるよ!」


 後退りするも、後ろはドアだ。ぶつかると思った途端、今度こそ僕は悲鳴を上げた。突然体が宙に投げ出されたかと思うと、後ろ向きに落ちていく。

「あ」「強引だな探偵」

 逆さに生えた男性と不思議な生き物の呆れ声を聞きながら、僕は固く目を瞑った。


 コーヒーの香りがする。次に、地面に座りこんだ感覚があった。おそるおそる目を開けると、そこは知らない店の中だった。

 淡いオレンジ色の光がタイル張りの床と木製の調度品を優しく照らすレトロチックな店内。カウンター席に座っていた人達は、僕を見てすぐに興味を失ったように手元のコーヒーに視線を戻した。


「こんにちは」

 着物の上からエプロンを身につけた銀髪の女性が話しかけてきた。片方の目は琥珀色で、もう片方の目は水色という不思議な雰囲気の彼女は、困惑する僕を見てどこか納得したように微笑んだ。

「驚かれましたか? でも、探偵さんに悪気はありませんの」

 そう言いながら、彼女は僕が起き上がるのを手伝ってくれた。


「探偵さんは奥のお席にいらっしゃいますわ」


 頭の整理が追いつかない。もうなんとでもなれという気分で、僕は案内されるまま彼女の後ろを付いて歩くことしかできなかった。


「今日はお客さんが少ないですから、落ち着いてお話できるかと」

 彼女の言う通り、いくつかあるボックス席はがらんとしている。見回していると、店の奥に人影を見つけた。


 店内が仄暗いせいで身構えてしまった。だけど、すぐに誤解だと気付く。そこに居たのがただの人間だとわかり、僕は密かに安堵の溜息を漏らした。


 女性? いや、男性か。上質そうなスーツを着て長い黒髪を後ろで一纏めにした彼は、大学二年生の僕よりいくつか年上だろう。そう思うのは、コーヒーカップを傾ける彼がとても落ち着いた雰囲気を纏っていたからだ。


 僕を視界に入れた途端、彼は深緑の目を細めた。残り僅かのコーヒーを飲み干すと空のカップを掲げ、

「ルナさん、ウィンナーコーヒーを二つ頼む」

 銀髪の女性にカップを渡しながら注文を伝えた。


「はい。いつものですね」

 ルナと呼ばれた銀髪の彼女は、カップを受け取るとカウンターの方へと歩いて行ってしまった。


「かけたまえ」

 振り返れば、長髪の彼が彼の向かいにある席を片手で指していた。


 僕は困惑しながらも、とりあえず席につくことにした。座ってみると、壁に囲まれたボックス席は圧迫感がある。閉所恐怖症なうえに暗所恐怖症の僕は、何だか居心地が悪いような気がした。

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