映美の独白

 「それって、もしかしたら他人の幸せを否定する事になるんじゃないのかな」


 琴子さんの言葉が響く。自分に向けてでは無く、興一さんに向けての言葉だった。

 6月の中盤、ある山奥でのカルト教団に関する内情調査のレポートを2人に見てもらった。


「他者の幸せを否定して、自分が幸せに…本当になれるのかな?」

「誰かの幸せを奪っている、って君…禍福はあざなえる縄の如しって言葉を知らんのかな?」


 作戦を目の前に、私はこの夢を見る。少し最悪だ。モチベーションが下がる。

 私は松浦映美、海護財団のエージェントをやっているしがない女子高生だ。


 起き上がり、ボトルの珈琲を飲み干すと祐希が開けた穴の方を見つめる。リベットで無理やり押さえている鉄板を床材に使っているから耐震性に問題があるかもしれない。

 でも、専門的な所は分からない。ただ今から職務をこなすしかない。


 その前に、私は光隆くんのお母さん…舞さんを訪ねた。朝食を、分けてくれている。

 彼女は実は、光音が生まれる病院と同じ病院で光隆と掛瑠を身籠っていて、入院中に励まし合った仲だったと言う。


 そして、光音のお母さんが光音と光隆を命名した。光音のお母さんは掛瑠と祐希の名付け親ではないらしく、この舞さんが名付けたと聞いている。

 だが、興一さんと都姫さんは光音のお母さんが名付け親らしい。


 そんな彼女が、今どこにいるのだろう。そう彼女は私に問うた。私にも、景治にも分からない。それが結論だった。

 でも、お互いに家はひとりぼっちに等しかった。でも、こうして食卓を囲むのは心の支えだった。


 そこに愛犬のライちゃんが現れる。お米が欲しかったようで、手に乗せて渡すとぺろぺろと食べた。幸せというものは、こういう事なんだろう。

 辛い毎日に、少しでも豊かさがあるなら幸せなのだろう。


 「映美ちゃん、気をつけてね」


 まるで、私もこの人の娘みたいになってしまったな。そう思いながらも、相浦宅を出る。


………


 金沢瑞景のマンションの地下、ここには大型艦から小型艦までの秘密ドックを備えた基地があった。

 「海護財団敷島要塞金沢瑞景予備施設」それがこのセイファート級の様な艦も格納できるバンカーであった。


 このバンカーには、船だけでなく本までも収納されている。というのも海護財団は文化保護・文書保管も任務のうちにしており、大昔の古事記の写本から、現代のライトノベルや科学雑誌までを保存している。

 金沢文庫が存在するこの地に、財団書庫の分館が作られたのだ。


「ここ、図書館として公開しても良いと思うのに」

「なりません准将、文書館としての機能は確かにここにあります。しかしそれ以上に軍事機密が隠されて、公安にさえもマークされている状況。各支局もそうですが、早計です。」


 日本国に対する潜在的脅威、海護財団がそう見做されている事が示されている。毎日国会図書館や公文書館にエージェントが(正規手続きを経て)出入りし、眼鏡型デバイスでスキャンを取る。ここに集められた文書は、全てそうやって出来ている。


「くふふ…違法コピーの宝庫、それがここだね」

「しかし、総司令の大権で行われている事です」

「だからこそ警戒される、私たちが日本にとっていい事をやったとしても。」


 これもまた試練か、と思いつつ手渡された調査対象のレポートを見る。それは、キリスト教系新興宗教の湯沢にある修道院だ。


「湯沢かぁ、今年こそスキーに行きたかったけど…」

「財政破綻したスキー場が、ソーラーパネルを設置したが今度はそちらの事業も失敗。そこで土地を買い取った信仰宗教団体が植樹して、自分たちの城にしたという訳です。」

「へぇ…いい事なんじゃないの?」


 予備施設主任、六角モチヨ2等海佐は映美の反応に肩透かしを食らった。映美はかつて恩人から受けた言葉を反芻する。


「本当の悪魔は、社会生活を営めないくらいにそれ自体にひたらせて、心も体も壊す。絶望も、希望も、踏み外せば悪魔となる…」


 アスカ・ポインセチアと筆記体で署名された革細工で装丁されたメモ帳、家族に返さねばならないかと聞いたことがあった。しかし「アンタが持っていなさい」と、血が滲んだメモ帳を受け取らなかった。


「レイラ少将は?」

「大洗港での一般公開に艦を何隻か回してて、その沖合での防空演習中です。」

「なるほどね…」


 黒電話を回す。専用回線だが、ヴィンテージが好きな六角二佐の持ち込みだ。


「はい、海護財団科学技術本部プログラミング課雲仙要大尉です。」

「私です」

「か、カーネリアン准将!?」

「頼みがある、横浜から大洗まで行った後湯沢に行きたいのだけどおすすめルートはあるかな?無いのなら人の心がない」


 一瞬フリーズする。まさかの人から、ずっと想像していた面白旅のルートを打診されたのだ。


「わ」

「わ?」

「わやー!?」


 即座に滝川副司令からクレーム電話がかかってくる、「僕の部下に対して人の心がないとは、越権行為だぞ。」と。

 少し冗談を言ったつもりなのだが、というか普通なら女子高生程度の戯言を受け入れてくれよ、とは思いながら黒電話に向き直る。


 どうにも、自分以上に激怒した滝川副司令が一周回って冷静さを取り戻す一助になったらしい。


「えっと、ですね…」

「申し訳ない」

「横浜から東京駅まで行ってください、そこから高速バスのひたちなか号が出てます。それで大洗まで直通ですが、水戸まで切って水戸線と両毛線で高崎まで行ってください。そこから新幹線で一本です」


 なんとこれを、横で見ていた里帆さん…波佐見里帆中尉によれば何も見ずに誦じていたと言うのだ。


「君の頭の中を覗いてみたくなった」

「わやや…」

「冗談です、ありがとう」


 この後、滝川副司令により彼への直通連絡禁止を命じられた。


「つまらない」

「仕方がありません。初代が築いたカーネリアンのイメージは、それだけ重いという事です。財団のエージェントの中で最も優れていると言う称号扱いですからね」


……………

……


 弘明寺、あそこは元々私たちが住んでいた場所。沿岸の磯子エリアの工業地帯が、ガス爆発か何かで吹き飛びこの世とは思えない地獄と化していた。

 死者約4万人、行方不明者約5000人、そしてこの地域からの疎開者約5万人。この地域の工業地帯に勤め先があり失業した者約3万人以上、経済損失は計り知れない。


「これは、財団も湾高電車(東京湾岸臨海高速鉄道)の線路より西を…あの庭園の付近まで閉鎖してるのね」


 一時期、ここと葉山を中継点として東京都心に違法薬物を送り込むという手合いが発生したり、この地域の汚染構わじと住んでいた者が居りバラック街化していた。

 しかし、昨年不法占拠として磯子区・横浜市・神奈川県警・海上保安庁(そして待機していた日本国防軍)と合同で一斉退去をしてもらった。大半が外国人で、正式な移住手続きを踏まずに住んでしまった者だった。


「日本に来れば治安が良く稼げると思ったのか。そうも上手くは行かない、彼らが治安悪化の原因の一つでもある。ドロップアウトしても違法な職にありつけるのだ、そもそも不法移民だから…と。真面目に働いて、日本の料理技術を真摯に学んでいる同胞にどう顔向けするのか」


 相変わらず、女子高生の思考じゃないなと自嘲する。そして、電車は弘明寺駅を通過し横浜までノンストップだ。防壁が外され磯子の町並みが見えたのは化学汚染も大幅に除染され、この町の復興が進んでいるからだろう。


 緋色の列車は、絶望と希望のはざまを駆ける。


………


「これは…東京都市圏にくびきを打つには、確かに良さそうですね。」


 副司令、彼杵茜が資料に目を向けながら話す。それに対し、弓張作路准将は異を唱えた。


「おいは川崎扇島がよか。羽田を直で守れる、首都防空機能を中長期的に担える」

「だが、現状は公安の監視団体。確かに我々は国連からの信託を受け存在しているが、日本からの信頼度はイマイチだ。確かに工業地帯が撤退して磯子に移ると言う話だが、真面目に考えてみろ。」

「おいは至って真面目じゃ!」


「ふぅん…」


 何か言いたげな表情で、滝川在斗と弓張作路の口論を見るは副司令…筑紫双樹。


「君の叔父上、弓張政一はここ3年弓張重工の代表としてこの一帯にある老朽化した工場の敷島移転の誘致と、敷島~東京の運賃改革を行なっていた。全てはこの為だと聞いているがねぇ…」

「ならおはんは賛成か?」

「いや、日本から警戒されているのは変わらないからねぇ…もし戦争になれば、この支局が包囲されるのは確実とみていいだろう。川崎の埋め立て地一帯を買い込む位やって、漸く警察機動隊・国防陸海軍相手にできる戦力となる。」

「つまり、貴方は賛成という事でいいんですね?」

「いや、寧ろここを国防軍と米軍にトレードを持ちかける。ここに基地を置くメリットを主張し設備改良費は我々が受け持ち、米軍と国防軍を湾奥に封じ込める。」


 筑紫副司令は、どうやら横須賀移転派だという。総司令…景治は彼らの意見を聞きながら、それ以前の国土地理院地図を眺め、土地利用を再確認していた。


「多分、見透かされる。逆に考えるんだ、彼らを守ると言う実績をここで作ればアメノヒナトリの借りを返せる。磯子に川崎の移転要望のある工場を財団資金で移転させ、扇島一帯に所属艦数8隻・補助艦艇16隻前後の支部を作る。これが僕のプランだ。」


 概ね、東京湾のどこかに支部を作ると言う話になっていた。磯子の復興はどうなっているのだ復興はと問いたくなるが、既に政一が根回しを済ませ磯子および扇島の土地利用は財団に一任されていた。


「在斗副司令、何故反対を?」

「一応ケチを付けるのも我々副司令の担うべき事の一つだ」


 どちらかと言うと不服は茜の方だった。彼女は補給を一任されている以上、新たな支部を創る事自体に余り納得いっていなかった。


「やりくりを任されている側の事を考えさせてよ…」


 文治派と武断派、4副司令制にして総司令が議長を務めるやり方を茜は考えていた。作路を推薦していたが、新任副司令たる在斗の副官ポジションに入っている。


「こうなったら、あの人に相談するかな」


………


 川崎扇島、東海道の…それどころか工業地帯の面影いずこ。弓張政一は多摩川に架かる空港大橋の上にいた。


「このエリアの買い取りには手を尽くしたがなぁ…」


 新納亜鈴率いる艦隊が羽田空港沖を通過する。ようやく、全ての復旧工事を終えた設営隊と弓張重工の作業員を乗せた船であった。


「おやっさーん!」


 政一はかぶき者な部下、新納亜鈴に怒号を飛ばす。ボートを出してもらい政一は艦隊に合流するが、その際に注意深く川崎工業地帯を再度海から見ていた。


「これじゃ…再興もキツかやろな」

「おやっさ…弓張政一第六遠征打撃群提督、踏査はどうでしたか。」

「きつかばい、そりゃ維持コストより敷島で再建するコストの方が安くつく。だが敷島と本土は遠い…」

「その為の、弓張重工…っすかね?」


 海護財団の財力はどこから来るのか。弓張重工か、国連からか。それは景治が一番知っているだろうが、秘密のままにしておきたいようだ。

 今しばらくはそれでいいだろう。


 遠く、汽笛が鳴る。私はイヤフォンから海護財団の部隊撤収が完了した事をしらせる通信を聞くと、電車のシートに腰を据えた。

 ここ最近、あの怪物のせいで吹き飛ばさねばならなかった領域に水が入り込まないように塞いでいた。そんな仕事を終えたのが昨晩、うちの設営隊は有能だったようで瓦礫の撤去・応急処置は即座に行えた。


「そういえば、あの第95護衛群まで来ていたのか…少し、現場を見ておくべきかな?」


 そうは思ったものの、端末に送られてくる詳細な破壊状況の3次元マッピングは精密で半日休暇を取り、別命で動く私が行っても特に役立つ事はないだろう。

 品川で、丸い緑の電車に乗り込むと、朱色の湾高電車がどれだけシートに拘っていたのか、その有り難みを知る。近距離ならまだしも、これを長時間座っていると死ぬだろう。


………


 東京駅、ここから大洗に向かう高速バスがあるらしい。あの駅舎、そしてその内装自体が観光スポットにすらなっている。ここからみんなで撮った写真を、祐希から貰ったことがあった。それはそうと、一眼レフを持って来ればよかったと後悔している。

 高速バスは久々だ。いくらエージェントといえども支部間移動ぐらいならVTOLを出してくれていたが、日本海の粟島が現場から遠いのでここから陸路と思ったがレイラの顔を久々に拝むべく、大洗へ向かう。


「“どうせそいつらアンタよりすぐ死ぬ、アンタが気にする事じゃない。”」


 学校で言葉遣いを誤っただけで怒られた時、質問する様な態度じゃないと生活指導の先生に怒られた時、あの人はそう言った。

 実際に、あの人の周りの人はもうほとんど死んだ。レイラと、六角二佐を除いて。


 血に塗られた、その手記を読む。戸次家の跡を継げずドイツで旗揚げした、揚々と空手教室をやっていたら第二次大祖国戦争が発生。ロマノフ王朝軍を止めるべく、その教室の精鋭だけで乗り込み露軍からヘリを盗む。

 空挺殺しの異名が六角二佐には付いていたが、それはこの時に降下兵の乗る輸送機の真下をヘリが飛び、降下を開始した際に浮上。そして同じ高度まで躍り出ると、六角二佐が銃を携えて降下。

 歴史上稀に見る空挺vs空挺の戦闘で、ロマノフ側空挺を殲滅した挙句にヘリのミサイルで輸送機さえもぶっ飛ばした。


 アメリカに亡命するまで、彼女…戸次亜日華は中国人の楊成功と名乗っていたという。実際に中国語も、ドイツ語も達者なトリリンガルであったが故にアメリカでも空手をして、ドイツ系アメリカ軍人と結婚したらしい。

 六角二佐は六角家から駆け落ちした先で黒人女性と結婚した親を持つが、いつの間にかストリート・チルドレンになっていたという。そこを戸次亜日華氏が拾ったのだとか。


 昔話にしては、割と新しい出来事だ。当時の20代がバブル期を聞いている様な、そんな感じがした。いつの間にかバスは高速道路を抜け、一般道に入っていた。


「そろそろ大洗かぁ」


………


 大洗港。本来艦艇が入港しないその港にて、レイラの旗艦“エクセター”は異様を放つ。藤色に一本の朱色の線、どうにもフラッグシップのフォーマル塗装らしい。


「“自分にとって、誰の言葉が大切か。それを見極めなさい”」


 レイラは驚いた。自分の耳元で、いなくなった筈の母の言葉が聞こえたのだ。


「ちょっとアンタ!」

「バレたかぁ…クフフ」

「バレるわよ、それよりもそんな事も言っていたの?」

「アドミラルレイラ、調子はどう?」

「はぁ…あの時にぶちかませなきゃ、何のための決戦兵器っての?」


 ため息をつく。最強の自負がある第6機動艦隊を率いる身としては純然たる本音だろう。エクセターを活かせなかった戦闘に不満を抱き、こう呟く。


「あの子が撃って、何で私が撃てないんだか」

「光音の事かぁ…彼らがあなたより弱いから、かな。」

「エコヒイキか…景治司令ならやりかねない。カーネリアン、いや映美。」

「なぁに」

「開発中の新型クライトゥス一隻でどうよ?」

「多分説得は無理、見透かされる」

「ゼーエホール東洋方面軍の基地の情報」

「澪さんの方が先に見つけそう、でもいいよ。乗ってあげる」


 結局のところ、仕事の事になる。故人を偲ぶために来たのだが、兎も角例のサングラスをレイラに渡す。


「あによ?」

「新しいのがやっと手に入った、私ばかり形見を持っているのもダメだからね」


 ポケットに潜ませていた同形のサングラスをチラッと見せる。その仕草に気付いたレイラも護身用に持っていた形見のワルサーP5L拳銃を見せる。


「貰っておこうじゃないの。その血塗られたノートは、あなたが持ってるに相応しい。二代目カーネリアン。」

「戸次流は、特殊能力と魔術、どっちにあたると思う?」

「そんなの重要?使い方と、その実力が重要だと思うけど。」

「もしそれらじゃなかったら、万民が銃なして扱う…もしくは銃の威力を上げる手段たりうる、治安の悪化に繋がるか…差別につながるか。海護財団が管理すべきか否かが、そこで決められる。」


 何故刀狩を秀吉がしたかに繋がる。実力行使を国家のみに限定して、その代わりに国民を守るという現代…と言うか江戸時代から続いている秩序を簡単に壊しかねない。

 カーネリアンの弟子は六角二佐のみ生存しているが、本家の了といい一子相伝のその力は流出は危惧されていたのだという。


「タマモさんといい、我々は背負っていくしかない。彼らが守りたかった平和という文化を」

「その為に、アンタは他人の平和を壊しに行くの?壊して壊されて、それで本当に平和が来る?」

「知らない。ただ、命令で動いている」

「それじゃあ人形と同じじゃないの、まずその大義はどこから来たの?」

「景治が…」

「景治の為なら、祐希を置いて死ねるの?」

「…」

「貴方の妹さんが思ってそうな事、言ってあげる。“壊さない為に知る”、多分そう思ってる」

「あの子の何を知っているの?」

「報告書を読んだ。真面目な奴から損をする、適応力の無い愚直な人から堕ちてゆく世界。馬鹿みたいだけど、現実はそう。だから敵も味方も己も知ろうとしている、そう綴っていたわ」


 弓張興一が綴った報告書には、人格に関する深い思慮が見られた。知りたいが、何から知ればいいのか分からなかった。漠然とした世界に放り込まれただろう妹に比べ、自分は少し浅はかだろうか。


「壊さない為に知る…か。初代が聞いたら、どう思うだろう。絵物語の世界の様だ」

「絵物語にするか否かは、貴方次第なんじゃないの?」


 今回の捜査の方向性が決まった。無意識的に、山に篭って新興宗教に没頭するレベルは危険だと思っていた。

 思い込みが無意味な争い、もしくは大義名分とした略奪を生む。両野線の中で、コンビニで買ったメモに書き込んだ。


…………


 上越新幹線に乗る。群青にゴールドが入ったその車体は、例え雪の中でも目を引く事だろう。今は六月、繁りゆく木々と調和するその車両に乗り込む。

 シートは自由席、夏季休暇・冬季休暇のシーズンでない為に座ることができた。椅子の質は湾高電車に勝るとも劣らず、といったところだろう。


 動き始める新幹線、都会の電車に比べて加速は大人しく感じる。その代わりに、時速300キロ以上の速度で各地を結んでいた。

 北国はトンネルが多くて少し残念であった。それもその筈だろう、高速で走るのならなるべく平坦かつ直線的な道が求められる。だから山をくり抜いての工事は致し方ない。


「こうもトンネルが続くと、少し参る」


 暗く長いトンネルは、レトキシラーデ戦争発生後の世界を揶揄している様に感じた。ふと気になったので、オーウェルの小説を読む。

 かつてサラリーマンは新幹線で3時間程度で読み終えて、そのまま捨てれる様な小説を好んだという。オーウェルのものは、控えめに言っても3時間はおろか…高崎から湯沢までの間で読み切れるものではなかった。

 そして、捨てることが出来るものでも…。


……………

……


「親譲りの集中力って、怖いねぇ」


 越後湯沢が近づく、雲かかっていた空も三国峠により、関東山地によって遮られる。角衛元首相が爆破しなくてよかったなと思う。実際に山を越すと、天候はガラリと変える。話には聞いていたけど、ここまでとは思わなかった。


「さて…仕事の時間かな」


 2/3まで読み進めたその本を閉じ、水を一口。越後湯沢の駅に到着すると、立ち上がってほぼ着の身着のままの彼女は立ち上がる。

 越後湯沢の高原といえど、梅雨の只中のため蒸し暑い。動いていないのに暑いよ、そう言いたくなる程に暑い。


 現地で合流した調査員と作戦会議がてら軽食を取る。それは、東京駅で買った牛タン弁当であった。


「制圧ではなく偵察にとどめる?」

「そう、武力行使するべきヤマではないと思う。根拠を出せと言いたげだけど、奴らとの繋がりが薄い所まで目鯨を立てるべきではない」


 優先順位の低さ、しかし命令によって強制捜査するべきと言われている。あくまで相手に強制捜査を悟られず、交渉して内部にまで踏み入れる。その腹積りだという。


「内偵している我々よりも、彼らの意見を取るんですか!?」

「そうじゃない、最終的に彼らを裁定するのは全部の捜査を行なった上。大阪か奈良に、その地域を半ば牛耳ってるとはいえ寄附金だけ出して政治に口を出さない宗教結社があったはず。あれに近いけど、今回は修道院感がする」


 調査書を片手に水を一口。俗世に生きることの怖さは、ここ数年で増している。貧民救済もまた、修道院の役目のはずだ。慈悲として、自らの魂を磨くためとキリスト教では言っていた。

 詰まる所“自行化他”といっていい。しかしこの用語はヤバい仏教系新興宗教の源流の教えの主軸とされているが、その派閥は異端とされ本家から事実上破門されている。


「いかんせん、俗世から離れ平和に暮らしたい人は割といるのでしょう。その場を奪ったらどうなる?」


 私の持っている本に教化されたのかと思った調査員は拳銃に手をかける。確認したが、絶対に目を背けない、能力を出そうとはしない。


「さぁ、時間。行こうか」


 マイクロバスに乗り込むと、一般の観光客に扮したエージェントが乗り込む。どちらかと言えば、我々の方が“怪しい団体”だろう。


「それって、もしかしたら他人の幸せを否定する事になるんじゃないのかな」


 脳裏に、琴子さんからの命題が幻聴として響く。

 実際ゼーエホールの傘下かつアクティブな輩と数年前に小競り合いを行ったが、カルト教団だからと言えど取り潰すべきか否か。琴子さんから叩きつけられた課題はこれだった。


 だが、興一さんは「何かを熱心に信仰しても、周りの迷惑をかけなければいい。迷惑をかけたなら容赦せず滅ぼす」と言う態度を、五島沖海戦での妖怪“恙”討滅や草津での“正しさの輪”討伐作戦で見せていた。


 討滅した輩にあったのは襲いかかる怪物「レトキシラーデ」の脅威に怯え、それでもどう抗う事も出来ない。そんなのは嫌だ、逃げたい。そんな思いが、諦観が。


 いや奴らが現れる前からも、自分が報われないからと甘い救いに縋っている人たちを目にする。

 「善良な宇宙人が近い将来自分たちを救いに来てくれる」と言う美辞麗句が流行った事もあった。ノストラダムスの予言もそう。社会不安で、もうすぐ世界は滅ぶんじゃないか。

 人々は常に、そう言うことを考えていた。平安時代の「末法思想」やキリスト教の「最後の審判」もそうだろう。


 自分の人生がいい形で報われる、誰もがそう望んでいるのだ。今の生活は辛く苦しい。でも幸せな部分もある。それを知りながらも、更なるものを求めようとしたのだろうか。


 私の生活も、実はそう幸せではないのかもしれない。両親は亡くなり、妹と従妹と一緒に生活する。相浦家で夕飯などをご相伴に預かることもあるけど、親はいない生活。

 総司令の景治からの仕送りと、私のエージェントとしての稼ぎで成り立っている。

 でも、私はある程度充実している。彼らの帰ってくる場所を守っている。ただ、それだけで。


「かれらは、どうなのか」


 問い詰めねばならないのだろうか、解き明かす必要があるのだろうか。そういうならば、我々ではだめだ。


「作戦変更、1班は迷彩服着用し分散包囲。2・3班は即応可能状態で車両付近に待機。正面は私が出る。長野少尉、現場指揮頼めますか?」

「何の判断で?」

「テロリストと団体するのは難しい、逆に我々が生む恐れがある。」

「難しいと…ゼーエホールとの繋がりはほぼ確定なんですよ!?」

「了解した、総員傾注」


 ベテランに現場指揮を任せて、私は着のまま…厳密には大きなサングラスを付けて森の中へ向かう。


「指揮車両はここで待機、1班は裏手からの包囲へ回れ。」

「ご武運を」


 1班が別働として先行、館の裏手から山頂方面を抑える。館の周りは農場と貯水池、更にはソーラーパネルや小型風力発電機が何機か見える。


「本当に自給自足しているのか…」


 軽やかに歩いていると、道の真ん中で待ち構えているものがいた。スキー場だった、急な山道に木々を植えて、そして平坦地に修道院を構えた張本人が…。

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