第9話 雨上がり

 朝起きると、昨日の雨が、嘘のようにやんでいた。ヒヤッとした空気が、じとっと重い。

 地面に広がった大きな水溜まりを、ピョンと飛び越える。


「ビオラ~。馬車、いなかったね」

「ミュズが、早く出発しすぎなのだ」


 王都の門付近で馬車に乗りたかったのだが、一台も見つけられなかった。ついさっきまで、雨が降っていたからだろうか。旅人も、ほとんどいなかった。


「だって、早く出ないと……。また声をかけられたら、嫌だからね~」

「ミュズは、あやつは嫌いか?」

 バーミン村で助けた男のことだ。

「いやいやいや、嫌いって聞かれると、そういう訳じゃないけど。貴族とは、住む世界が違うのよ。お客さんならいいんだけどね~」

「そんなもんかのぅ」

 ミュズがぬかるみを避けて歩いていると、ビオラもミュズの後ろをついてきた。

「とにかく、なにが失礼になるかわからないんだから、仕事以外では近づきすぎないほうがいいってものよ!」

 もう一度、大きな水溜まりを越えた。


「それはそうと、ミュズ……。待ち伏せされておるぞ」

 ビオラが、鼻をヒクヒクさせている。

「へ? 誰に? まさか、あいつ?」

「小僧ではない。大勢で、待ち構えておるでのぅ。何をしたいのか?」

 山賊だろうか? 普段は、小娘のミュズなど襲われないのだが……。


「こいつ、ペット連れてるぞ。そっち、回り込め!!」


 ペットを連れているのは金持ちが多い。その法則でいえば、襲われる理由はあるのか……。

 実際、下見のためのお金はもっている。


 来た道を振り返っても、誰一人としていない。門の検閲もミュズ一人しかいなかったから、しばらく誰も通らないかもしれない。

 本当は、ミュズが被害者だと証言してくれる人がほしかったのだが。


 考えているうちに、取り囲まれていた。

「お嬢ちゃん、金目のものを置いていきな。お金さえ出せば、乱暴はしないさ。今から王都に戻って、パパに泣きつくんだな」


 王都に帰っているうちに、自分達は姿を隠すつもりか?


 ビオラを連れているミュズを、どこかのお嬢様だと勘違いしているようだが、ミュズは裕福な家のお嬢様ではない。持っているお金は、ミュズが自分で稼いだものだ。 

 山賊の言葉に、腹が立った。

「嫌ですよ」


「はぁ~。じゃあ、痛い目を見るんだな。ここでは、お嬢ちゃんを助けてくれる人はいないぞ」


 そんなことは、わかっている。

 ミュズは、魔獣ハンターであるおにいに育てられているのだ。そんなに簡単にやられてたまるもんか。


「ビオラ、行くよ」

 ミュズが背中の剣を抜き放った。


「おっ、やるのか? お前ら、証拠は残すな」

 殺せということだ。だからこそ、普通は乗り合い馬車で複数人で動くのだ。それか、護衛を連れているか。


 ミュズの護衛は、ビオラである。

「殺したら不味いのであろう?」


 賊は、誰がしゃべったのかわからず、キョトンとしている。


「さすがにね~。生かしておいて、自分達が被害者だって言い張られたら、それはそれで面倒なんだけど」


「おもしれ~。俺らに、勝つ気でいるらしい。ふっはは。世間知らずのお嬢ちゃんに、世間の厳しさってやつを教えてやらないとなぁ~」


 逆に、世間知らずだと教えてやりたいところだが、確かに人数的に厳しい。手加減しなくてもいいというなら、なんとかなるのだが。


「やっちまえ!!」

 親分らしき人の号令で、賊はミュズに向かってくる。5、6、7、親分までいれると8人だ。


 囲まれては逃げ場がなくなる。

 ミュズとビオラは正反対の方向へ駆け出した。

 ビオラのことをただのペットだと思っている山賊は、全員がミュズのことを追う。ミュズは、姿勢を低くして、一人の山賊に向かう。直前で方向を変え、地面を転がった。山賊を躱して、回転した勢いで立ち上がる。そのまま王都の方向へ走り出した。


「口ほどもない!! 逃げるぞ! 追え!」


 地面がぬかるんで走りにくい。

 追い付いてきた山賊を、振り向き様に柄頭で殴打する。体の大きな山賊相手だったので、少し高めに振り抜いたのだが、顎に命中したようだ。


 ゴン!


 鈍い音が響き、足を縺れさせて地面に倒れた。その山賊につま付いて、3人が絡まるように転ぶ。


「ミュズ。殺してはならぬと言ったではないか」

 ミュズの少し前を走るビオラが、不満げに鼻をならした。

「殺してない! 私の力で死ぬほど、柔じゃないでしょ」


 二人ほどが、倒れた男の介抱をし始めた。


 ビオラが、氷のつぶてを作り出す。殺してしまわぬように手加減をしたらしい。丸い形で、大きさは親指ほど。当たれば痛いが、殺傷力はないだろう。その氷のつぶてが、ミュズの目の前に無数に浮かぶ。


「この尼!! 魔法使うっすよ!!」

「そんなもん、気にするな!! 行け!!」


 戦闘において、魔法は補助的存在だ。ただし、それは、人間に限ったこと。強大な魔獣や賢獣では、魔法攻撃が得意なものもいる。


「バフゥ!!」


 ビオラがうなると、氷のつぶては山賊に向かっていった。


 ガツ! ゴツ! カツン! コツン!


「いて! いてて!! この~!!」


 致命傷どころか、たいしたダメージにもなっていない。


「手加減しすぎたか……?」


 このまま王都に向かって走っていけば、通行人を見つけられるはず。

 簡単な話、ミュズが被害者だと証言してくれればいいのだ。衛兵に信じてもらえず、長々と足止めされるのは、どうしても避けたい。

 それに、倒したとしてもミュズ一人ではどうにもならない。

 衛兵を呼ぶためその場を離れれば、逃げられる。かといって、木に繋いでおけば、魔獣のエサになってしまう。引きずって王都に戻るにも、大柄な男8人では、ミュズ一人では連れていけない。


 ぬかるんだ足元が体力を奪う。息が上がって、苦しい。


「ミュズ。あいつら殺して、森に捨てればよかろう」

 ミュズの隣を走るビオラは、心配そうに振り向いた。


「向こうから仕掛けてきたとはいえ、それは不味いよ!」

「どこまで行けばいいのだ? ミュズが倒れてしまうぞ」


 ミュズの出発が早すぎたとはいえ、反対向きに走って戻っているのだ。そろそろ一人くらい見つけてもおかしくない。


 ミュズのすぐ後ろには、剣を振り回しながら必死の形相で追いかけてくる山賊がいる。


 左腕に衝撃があった!!

 ジワッと熱くなり、生暖かいものが腕を伝う。剣がかすってしまったようだ。


「ミュズ! 大丈夫か?」

「うん。かすっただけ」


 じんじんと痛みだした腕を庇いながら、さらに走る。


 ビオラが氷のつぶてを、山賊にはなった。

 そのとき、ミュズの背中にも衝撃が!!


「やりぃ!! 命中!!」


 山賊の投げた石が、ミュズに当たったのだ。

 腕と背中の痛みに、膝をついた。


「ガルルルゥゥ」

 ビオラが山賊の前に立ちふさがり、歯を剥き出しにして唸っている。


「こいつ、守ってやがる!!」


 森の方から、ガサガサと葉を揺らす音がした。


 こんなときに、魔獣か??


「ミュズ!! 大丈夫か!?」


 ・・・・・・・・。あれ? 聞き覚えのある声。

 見覚えのある顔??


 バーミン村で助けた男だ。また、つけられていたのか!?


 もうこの際、どうでもいい。


「なんとか、大丈夫です」


 彼は、ミュズの後方を見ると、辛辣にいい放った。

「あぁ~あ。かわいい女の子相手にしか勝つ自信がない、小心者の集まりね」


「なぁんだとぉ~!!」

 憤っているが、ミュズを狙ったことは間違いないので、否定は出来ない。


「ビオラ! やっと戦える!」

 わざとらしく魔法を使う動作をすると、拳大の氷の塊が、空中に浮かび上がった。


「ウオォォォォ~ン!!」


 ミュズが腕を振ると、氷のつぶては山賊に向かっていく。


 ガツ!!ゴツ!!


 頭や腹、足などに当たり、骨が折れたのではという鈍い音が響く。

 山賊は、次々に地面に倒れた。足をおさえ大声でわめいているもの、気を失っているもの、腹を抱えてうずくまるもの……。


「えっと……。今の攻撃って……」

 男がビオラをじっと見ている。

 不味い。ミュズの魔法ではないと気づかれた?

「まぁ、あとでいいや」


 ミュズは男に手伝ってもらって、山賊を森の中の木に縛り付けた。5人は捉えたものの、親分と介抱を始めていた二人は逃げてしまったようだ。

 ミュズの腕の手当てもしてくれた。真剣な顔で綺麗な布を巻きながら、「無茶したら、ダメだろ」と怒られてしまった。


「俺、衛兵呼んでくるから、ミュズは休みながらコイツら見張っていてよ」

「えっ? でも、一人で行くと、時間がかかりま……」

 衛兵に信じてもらえるまでに、半日ほどかかってしまうこともある。

「大丈夫だって、それより、残党に気を付けろよ」


 木にもたれるように座っていると、ビオラが「うぅぅぅ」と唸る。鋭い瞳を向けて鼻をならしたと思ったら、森の奥から鈍い音と、悲鳴が聞こえた。

 こっそり残党を追い払ってくれたようだ。

 そんなことが一度あっただけで、男が衛兵を連れて戻ってくるまで、ゆっくりと休めた。


「こいつらだ。あんなに可愛い女の子を、こんなに大勢で襲っていたんだぞ」

「左様でございますか」


 庶民には横柄な態度をとることがある衛兵の、腰が低い……。


 あの男、何者?

 そうだった……貴族だったんだっけ……。


 貴族と庶民の扱いの違いに腹が立ったが、身分制度のある我が国では、ある程度は我慢しなければならないこと。

 ミュズだって、貴族のお客様がいるから、多額の報酬を受け取れている。腹を立てるよりは、うまく立ち回るようにしていた。

 それに貴族だって、優しいいい人はいるのだ。


「だから、話し方!! とにかく、あとは頼んだよ。オレは彼女について行くから」

「あ、あの。ついていくのですか?」

「別にいいだろ? 危険な目に遭った女性は放っておけないだろ?」

「あ、まぁ、それは、その……」

「じゃあ、あとは頼んだよ。ミュズ、行こう」


「え??」

「しばらく休んだだろ? ちょっと行けば、小さな村があったはず。そこで、食事にでもしようよ」

 しゃがみこむミュズに、男は手を差し出してきた。女性の扱いに慣れたスマートな所作に、ミュズは口を開けたままポカンと固まる。

 男はミュズの手を握ると、「ほら、行くよ」と立ち上がらせた。

 歩き出すときに、衛兵が敬礼したように見えたのは気のせいだろうか?


「ところでミュズ。どこに向かってるの? んで、今日の宿はどこにするつもり?」


 かなり時間をロスしてしまったから、予定どおりのところまで到着できるかわからない。


 ミュズは立ち止まり、「ちょっと待ってください」と荷物を漁る。自分で描いた地図を広げた。


「これ、描いたの?? すげぇな」

「今日は、この辺まで行ければいいなと、思っていました」

 地図を指差す。

「っていうか、話し方!! この前は、普通にしゃべってくれたじゃん」

「あのときは、緊急事態でしたので」

「ミュズは、普通に話していいって言ってんの。っていうか、オレ、ミュズに匿ってほしいって言ったよね。ずっと、ついていくからね」

「へっ?? なんでですか??」

「ミュズ達に、興味があるっていうかぁ…………。いいだろ?」

 興味……?? それだけで、貴族の彼がミュズと一緒に旅をするというのか?

「あの、その……」

「だから、話し方!! オレがいると、いいことあると思うけどなぁ~。さっきみたいな山賊にも襲われにくくなるし。っていうか、こっちに向かうってことは、目的地はこのへん?」

 彼は、ミュズが向かっている漁師町周辺を指で差すと、ぐるっと丸く円を描いた。ミュズが頷くのを見て、地図を指差しながら話し始める。

「ここらへんは農業が盛んだから、野菜が美味しいらしいよ。オレはポテトがおすすめだけど、トマトも甘いらしいんだ。その先のこの村では、酪農が盛んで、チーズが美味しいよ。他にも美味しいものはまかせてよ」


 チーズは知っていたが、野菜は詳しくない。どの地域でも作られているものは、味の違いまではわからない。

 ミュズだって、色んなものを食べてきた。美味しいものも詳しいとは思っていたが、この男には負けるかもしれない。


 絶景の知識だったら、負ける気がしないけど。


「なんで、そんなこと知っているのですか?」

 旅商人であれば各地を行き来するが、この男は貴族だったはず。

「話し方~!! 一緒に旅するなら、敬語はおかしいだろ?」


「まだ、一緒に行くとは決めてないですし……」


「これって、魔獣のメモだよね?」

 おにいが倒していた魔獣を、地図に書き込んであるものだ。


「そこの子が倒すの?」

「違います……」

「じゃあ、なんで書いてあるの? …………まぁ、いいか。ねぇ、君って、魔獣、食べたりする?」

 ビオラに話しかけた。

「や、あの! ビオラは、生肉が好きですけど、なんでですか?」

「うちにいる子は、普通の子なんだけど、やっぱり生肉、特にわたが好きなんだよね。でも新鮮じゃないと食べれないだろ? オレが、とってきてあげようか?」


 普通の子??

 まさか……??


「小僧よ!! 我のメシを調達すると申すか」

「ビオラ!?」

 知らない人の前ではしゃべらないビオラが、しゃべった……。

「そう、そう。毎日は無理だけど、たまにはとってきてあげるよ。オレ、意外と強いから」

 腰に下げた剣を、ポンポンと叩く。


「ビオラが賢獣だって、どうしてわかったんですか?」

「話し方! それと、一緒に行ってもいいよね?」

「ミュズよ。小僧はそこそこ強そうじゃ!」

 ビオラは、完全に食べ物に釣られたらしい。ビオラが良いというのなら、一緒に行ってもいいかもしれない。


 彼は貴族なのに、偉そうな態度をとらない。ミュズだけじゃなくて、衛兵にも命令しなかった。


「わかりました」

「だからぁ~!!」

「わかった、わかったから」

「ホントに、わかったのかなぁ~? まぁ、一緒に行くのは、決定だからね。それで、魔法を使ったのはビオラだよね? オレは誤魔化されないよ」

「小僧、いい目をしておるな」

「あぁ、それから、オレのことはリアンって呼んでよね」


 ビオラがブンブンと尻尾を振っている。


「わかった。リアンね」

「うん。よろしくね」

 ミュズに、嬉しそうに微笑みかけた。


 まだ、少し納得できていないけれど、ビオラとリアンはすでに歩き出している。

 顔を上げると、空には虹がかかっていた。雨上がりを喜んでいるかのような大きな虹は、ミュズの気持ちも軽くした。

 同行者がいるのも、いいかもしれない。

 これからも、おにいを探すことはかわらないけど。


「ミュズ~!! 早くこいよ!」

 リアンが遠くで手招いている。


「まってよ~!!」

「早く~!!」


 ミュズが走って近づくと、リアンとビオラは自然と空間を開ける。ミュズはそこに、体を滑り込ませた。


「ミュズ。腹がはち切れるまで、ポテトフライ食おうよ」

「はち切れたら、ダメでしょ」

「ミュズも付き合えよ」

「えぇ~。他の料理も、食べようよ」

「おっ、いいねぇ~。ポテトグラタンに、ポテトサラダ。蒸かし芋にじゃがバター。マッシュポテトにポテトチップス・・・」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、待ったぁ~!! なんでジャガイモばっかり??」

「ミュズも食うだろ?」

「他のものも・・・」

「ハッシュポテトだな!!」

「ち、ちが~う!!」


「楽しみだな~」


「ポテトが好きなのであれば、好きに食べさせてやるがよかろう」

 ビオラは尻尾を振ってツンと鼻先をあげて歩いている。肉しか食べないビオラとはわかり合えたようで、「好きなものを食べているのが、一番健康によいのじゃ」などと言い合っている。 

「少しは、他のものも食べよう、ね……」

「ちょっとだったらなぁ~」

 騒がしい日々が始まりそうだ。ミュズはため息をつきながらも、リアンとの会話を楽しんでいることを自覚していた。

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