第8話 新たな依頼
調度品が美しい応接室のなか。ミュズと向かい合っているのは、頬が痩け鋭い目付きをしたロックヒル伯爵だ。
今朝、フォード様の従者が訪ねてきて、ミュズの無事を確認しながら、新しい依頼を伝えに来た。つまり、ロックヒル伯爵の仕事は、フォード様の紹介ということだ。
ロックヒル伯爵とフォード様の領地はお隣で、昔から親しい仲のようだ。旅行に行く前からミュズの話をしていたらしく、旅行のお土産話を聞いて、すぐにミュズを紹介してほしいという話になったらしい。
「うちの領地は山ばっかりだからね。海がいいと思うんだが、どうだろうか」
一番近いのは、王領をまっすぐ海に向かった港町。
「片道3~4日のところにメディーンという漁師町がございます。とても綺麗な町並みですので、新婚旅行には良い場所かと思います」
ロックヒル伯爵の依頼は、結婚式を挙げる息子夫婦に結婚祝いとして新婚旅行をプレゼントしたいというものだ。
急に決まった結婚らしく、まだ余所余所しい二人が、仲良くなる機会をプレゼントしたいのだと。
「それでは、10日間の日程で、予算は500万ルフでどうだろうか?」
フォード様のご旅行が、ミュズの報酬までいれて、2泊3日で100万ルフ。宿泊が一番高いということを考えれば、2泊で100万ルフ、つまり、1泊50万ルフということだ。
9泊で500万ルフであれば、なんとかなりそうな額である。もちろん、お二人の好みにもよるだろうが……。お土産にドレスやジュエリーなど買われてしまったら、とたんに足りなくなってしまう。
「承知いたしました。まずは、下見に向かいます。その際にホテルの予約などしてしまった方が確実ですが、ご旅行の日程は決まっておりますか?」
「式は、10日後。その後であれば、いつでも構わないのだが、お前さんの下見は何日くらいかかるのだ?」
成人の儀の7日後に結婚式を計画しているらしい。招待客が王都に来ているので、都合がいいのだろう。
「15日ほどいただければと思います」
交通手段や、宿泊する村、途中の食事まで考えれば、旅行先が遠ければ遠いほど、選択肢が増えて下見に時間がかかる。
「では、打ち合わせもいれて、20日後に出発としよう。あと細かいことは、使用人に聞いてくれ」
深く頭を下げ見送ったあと、使用人と打ち合わせが始まった。
息子さんは、オリバー・ロックヒル様。昔から乗り物がお好きで、乗馬もお得意。お好きな食べ物は、牛肉とトウモロコシ。使用人のことも、良く気遣ってくれる好青年らしい。
お嫁さんは、メアリー・ジョステイ様。子爵家のお嬢様だ。ジョステイ子爵は、領地を持たない貴族だ。昔は魔石を主に取り扱っていた大商人で、エネルギー革命のころに貴族となり、様々な品物を流通させ、その功績により子爵位になったばかりだ。
残念ながら、メアリー様のお好きなものは、付き合いの浅いロックヒル家の使用人ではわからないとのこと。
さまざまな場合に備えて、臨機応変に対応できるよう下見をしてこなければならない。
帰ってきたら、細かい打ち合わせに来ることを伝え、ロックヒル家を後にした。
末の王子さまの成人の儀を祝うために、花で飾り付けられた大通りを歩く。
梯子をもった男達が走ってきて、街灯などに取り付けられている旗を取り外し始めた。成人の儀を公告するものだ。
近くにいたおばちゃんが声を挙げる。
「あんた達、それをとったら、不敬罪になるよ」
男達は梯子の上から声を張り上げた。
「取り外しは、王宮からの指示だよ。なんでか知らねぇが、延期されたんだとよ」
「延期? かね。王子様が見られると思ったのに残念だね~」
延期の事実が、ザワザワと伝わっていった。
これじゃあ、王都観光に来ていた人も帰ってしまうかしら?
もう少し、稼ぎたかったのだけれど……。
今日は王都案内の仕事をしている場合ではない。明日からの下見のために、買い出しなどの準備をしなければならない。
「ビオラ、少しお買い物して帰ろう」
ビオラの白い毛が、ミュズの腿に触れている。
「お肉も買わないとね」
尻尾が勢いよく振られたことに、顔がほころんだ。
「あっ!! ミュズだ。何をしているの?」
名前を呼ぶ声が後ろから聞こえ、営業スマイルを張り付けて振り返ると、バーミン村で助けた男が立っていた。
高貴な身分だったはずだけれど、今は完全に庶民に紛れている。顔立ちの良さは相変わらずだが、服装は庶民のもので、貴族特有の威圧感がない。
いや、威圧感は元々なかったか……。
「あなた、こんなところにいていいんですか?」
高貴な家の令息だろうに。
「それについては大丈夫なんだけど、ミュズってどこに住んでるの?」
「普通の集合住宅です」
同じことを、この前も聞かれた気がする。
「オレのこと、かくまってくれない?」
衝撃的な言葉に、ミュズは考えるのを放棄しそうになった。
頭を振って意識を戻す。
この男、どこかの貴族の御令息であるはず。
貴族は王都に、大なり小なり邸宅をもっている。王都に家があるのに、庶民の家に転がり込むつもりなのか。
庶民のことをバカにしがちな貴族がその家に来るなど、何か裏があるのだろうか?
この前別れたときの服装から着替えていることと、立派な剣を腰から下げていることも考えれば、一度家に帰ったのだろう。その家に帰ればいいではないか。
しかも、ミュズは女だ。女の家に、成人しているかどうかの貴族男性が泊まり込むなど考えられない。
まだ結婚はしていないと思うが、婚約者だっているだろうに。まさかミュズが女に見えていないということは、……ないはず。
「自分の家に帰った方が、いいと思うのですが」
「ちょっと、自分の家には帰れない事情があってね。だから、行くところ、ないんだよね」
だからといって、ミュズの家にくる必要はないと思うのだ。
しかも、明日からは下見旅行だ。自分がいない部屋に、出会ったばかりの素性のわからない男一人、置いていけるわけがないではないか。
「困ります。失礼します」
貴族の男に失礼な態度はとれないが、ギリギリのところで逃げることにした。
頭を下げると足早に立ち去って、人混みに紛れる。見失ってくれと祈りながら、角を曲がって、さらに進む。
店の多い地区からは離れてしまったが、パン屋を見つけてはいった。下見旅行中の保存食として、固いパンを一つ買う。
店からでると、雨が降りだしていた。例の男の姿はない。
よかった。まいたようだ。
やたらとすり寄ってくるビオラの背中を撫でて、家路を急ぐ。
途中の八百屋でオレンジを一つ買うと、自分とビオラの夕飯と朝食を買う。部屋に戻るころには、どしゃ降りになっていた。
しっかりと内側から鍵をかけて、タオルで濡れた髪を拭き、簡単に着替える。ホッと一息つくと、ビオラがあくびと伸びをしていた。
「今日こそ、レストランに行きたいと思っていたのに、また行きそびれちゃった」
朝食を魔法装置にしまいながら、すねた声を出す。
ビオラが、自分の皿を鼻で押して運んできた。先にお肉をいれてあげる。
「ミュズ、小僧はここまでつけておったがな」
「え?? ビオラ、言ってよ!!」
皿の中に鼻先を突っ込んだまま、上目使いにミュズを見上げる。
「訴えておったのに、わからんかったのは、ミュズではないか」
歩いているときにスリスリしてきていたのは、それだったのか……。
雨が降りだして急いでいたし、ただ単に、かわいいと思ってしまっていた。
「とにかく、夕飯にするよ。明日は早いし、家を出ちゃえば関係ないよね」
「まぁ、なるようにしか、ならんでのぅ」
ビオラが夕飯を食べ終えて、片目だけでミュズを見ながら皿を舐めている。ふと窓を見ると、打ち付ける雨粒と風の音が響いていた。
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