第6話 山頂からの景色
春がきたとはいえ、まだまだ早い時間は冷える。観光客が多く賑やかな王都も、今はひっそりとしていて静かだ。
ミュズは、手のひらを擦り合わせながら、フォード伯爵邸に向かった。隣を歩くビオラは、もふもふの白い尻尾をフリフリ、いつも通りだ。
フォード伯爵邸の前には立派な馬車が用意されて、使用人がバタバタと荷物を運び込んでいる。
「おはようございます」
「あぁ、ミュズさん。おはようございます。もうすぐ荷物の積み込みが終わりますので、よろしくお願いします」
ビオラの頭を撫でながら待っていると、使用人の動きが落ち着いてきた。
「これで最後です。旦那様と奥さまをお呼びしてください」
今までのバタバタが嘘のように、優雅な雰囲気の男女が現れる。二人の周りには、穏やかで暖かい空気が流れていた。
「あなたが、ミュズさんだね。知り合いから、君の噂を聞いたんでね。楽しみにしていたんだよ」
いままでに何度か、貴族の旅行案内をしている。事務所を持たないミュズの仕事は、お客様の紹介が多い。フォード伯爵も、評判を聞いて依頼してくれたようだ。
「フォード様のご旅行、このミュズが承ります。お楽しみいただけますように、ご尽力させていただきます」
お腹の前で手をあわせ、深々と頭を下げた。
「あら、こんなに可愛らしいのに、しっかりしているのね~。楽しみにしているわ」
旦那様は、アロン・フォード様。奥さまは、アンナ・フォード様。お二人とも、旅行用に動きやすそうな服装をしていた。生地や仕立はいいものだが、庶民が着るようなスリーピースとワンピースに、スプリングコートを羽織っている。
「では、さっそくだし、出発しようか」
アロン様とアンナ様、それとお二人の従者は、馬車に乗り込む。ミュズは、御者の隣に座らせてもらい、ビオラはいつものように馬車の周りを歩くようだ。その他にも、馬車の周りには護衛が4人。それぞれ馬に跨がっている。
お二人が疲れてしまわないように、多めに休憩をとってバーミン村に向かった。
フォード様は、庶民であるミュズにも優しい。休憩の度に、持参したお菓子を分けてくれた。
どうも、ミュズのピンクブロンズの髪が知り合いと同じ色で、親近感を持ってくれたようだ。
レンガ造りの町並みに入った。バーミン村に着いたのだ。そのころには薄暗くなっていて、ホテルにいくことになった。ミュズとしては、短い時間でもいいからバーミン村を楽しんでもらいたい。
「フォード様。ホテルまではあと5分ほどですが、ちょうど屋台が出ています。少し歩いて、食べたいものを選んでみてはいかがでしょうか?」
馬車の中へ声をかけると、同意する返事があった。
従者と護衛が、お二人を取り囲んで歩き始めた。
アンナ様は、人の多さに目を白黒させている。
「とても賑やかね」
「あぁ、君は何が食べたい?」
お二人が寄り添って、ゆっくりと歩く。二人とも、ミュズの祖父母と言ってもよい年齢だが、とても若々しく見える。
「たしか、ポークピッグが美味しいのよね。ミュズさんは、何がおすすめかしら?」
「バーミン村は、ポークピッグの他にも、リンゴがたくさんとれますし、農地が多いので野菜も美味しいです。ポークピッグのバラ肉を甘辛く焼いて、野菜と共にパンに挟んだものや、ハンバーグをトマトと一緒にパンに挟んだものなどいかがでしょうか? 屋台ではありませんが、あちらのケーキ屋にアップルパイやリンゴのタルトもございます」
この質問は想定済み。そのために下見に来ていたのだから。淀みなく答えるミュズに、アンナ様はにっこり微笑んだ。
「まぁ、リンゴのタルトですって。ミュズさんも食べるわよね。ミュズさんのおすすすめのものと、他にもいくつか見繕って、買ってきてくれないかしら?」
アンナ様は、まだ、屋台の方を見ている気がする。人が多すぎてガヤガヤしているので、身分の高いアンナ様には、買い物をしにくいのかもしれない。
「アンナ。ちょっと待って。ポークピッグではないが、あそこにある料理はなんだ? あれも食べてみたい」
肉と野菜をスパイスで味付けしたものを、大きな平たいパンの上にのせて巻いたものだ。
「貴方が、そういうのなら……。私も、あれが気になってしまって」
小振りなリンゴを串に刺して、飴をかけて固めたものだ。
「気になるものは、ぜんぶ買いましょう」
残ったものは、従者と護衛のお腹に収まるだけだ。
「じゃあ、さっきみた、お魚の焼いたのも気になるわ」
「変なフルーツもあったよな」
お二人は、次々に買いたいものをあげていく。馬車と馬をホテルに預けた御者と護衛も合流して、持ちきれないほど買い込むとホテルに向かった。
ミュズは料理の説明をしながら夕飯の準備を手伝い、お二人が食べ始めるころ、自分用に予約した部屋に移動した。
晴天に恵まれた次の日、山頂に向かう道は、ヒヤッと冷たい。澄んだ空気を大きく吸い込むと、スッキリと清々しい気持ちになる。
案内役のミュズとビオラが、先頭。魔獣との遭遇率は先頭が一番高いのだ。ミュズは剣を背負って、いつもの服装。ビオラは鼻をクンクンとならし、辺りを窺っていた。後ろは、武装した護衛が守っている。
アンナ様に合わせてゆっくり坂を上っていると、ポカポカと暖かくなってきた。
「少し休憩しましょう」
夫妻が腰を下ろせるように、段になっている場所に布を広げた。
「あぁ~疲れたわ。貴方、なんで平気なの?」
ハンカチで汗をぬぐいながら、ゆっくりと腰を下ろす。
アンナ様の服装は、スカートの中にズボンをはいて、靴もヒールが低いものだ。貴婦人であるアンナ様には馴染みのない服装で、長い時間歩くようなこともほとんどないそうだ。
アンナ様の体力も考えて、馬で登れるところまでは馬を使った。アロン様の走らせる馬に同乗したアンナ様は、とても楽しそうだった。
「そりゃ、最近まで、領地を駆け回っていたからなぁ~」
フォード伯爵の領地は、王都から離れた山の多い土地。
「そうだったわ。でも、身体を動かすのって、楽しいのね」
「山頂はすぐそこだよ」
アロン様がいうように、もう山頂が見えている。
呼吸を整えてから、最後の一登りというところだ。
一足先に、ビオラが山頂を見に行ってしまった。こちらを見下ろして、尻尾を振っている。
水分をとりながら十分休憩すると、山頂に向かって出発した。
アロン様は余裕の表情。アンナ様をエスコートして、ついに到着した。
「フォード様、つきましたよ。ゆっくり振り返ってください」
目の前は開けていて、足元にはバーミン村の家々が見えている。一面に広がる家の屋根が、鮮やかなオレンジ色で、太陽の光を受けて、より輝く。屋根のオレンジ、そのさきにある緑、そして、澄んだ青空がとても綺麗で、心も弾む。
遠くに王都も見えていて、城壁と高さのある住宅街が、一つの大きなお城のように見えた。
「素敵ね~」
そう呟き、じっと景色を見つめているアンナ様。
どれだけの時間、そうしていただろうか。
「こんな景色、見たことないわ」
瞳を潤ませるアンナ様の肩を、アロン様がそっと抱く。
「もっと、いろんな所に連れていってやれればよかったんだが」
「いいえ。今回、連れてきてくれたではありませんか」
「そうだな。アンナが喜ぶのなら、他のところにも行こう」
アンナ様が嬉しそうに、アロン様を見上げた。
「ミュズさん、ありがとうございます。私、王都の家と、領地の家を往復していただけなので。こんな素敵なところ……」
「アンナ様。まだ、まだ、これからです。こちらにご案内しますね」
山頂を通りすぎて、反対側に向かう。
眼下には、湖が広がっていた。数日前に降った雨の水を蓄えて、悠然とした姿を見せている。コバルトブルーに染まった湖に、山の緑や青空がうつる。澄みきった水の上を渡った爽やかな風が、髪を揺らした。
「これは、見事だな」
「まぁ~」
ミュズが見つけた、とっておきの絶景だ。天気によっても見え方が違う。ここまで綺麗な光景は、滅多に見られなかった。
「この湖から流れ出ている川は王都を通っていまして、水路や生活用水にも使われています。今日のように天気が良い日でないと、ここまで綺麗な湖は見られません。奇跡の絶景なのです」
「奇跡の絶景なんて、素敵……」
「私も、ご案内できて、よかったです」
「本当にミュズさんは、普通ではできない体験をさせてくれるのね」
この絶景を見れたのは、アンナ様が諦めずに山頂まで登ってくれたからだ。山登りは大変だっただろうに、庶民であるミュズの言葉をバカにすることなく、途中で投げ出さなかったからだ。
「ご主人様。奥さま。お茶の準備が整いました」
振り返ると、布が広げられたところに、簡易的な休憩スペースができていた。
「まぁ~。この景色を見ながらお茶が飲めるの? どっちを向いてお茶にしたらいいのか、迷っちゃうわね」
楽しそうなアンナ様を、優しい笑顔でも見守るアロン様。旅のプランを気に入ってもらえてホッとしてると、ビオラが寄ってきて身体を擦り付けてきた。
「うまくいってよかった」
「クゥ~ン」
鼻を鳴らす音に、笑みがこぼれる。同意してくれたようだ。
下山したあとは、ホテルで着替えるお二人を待ち、ボアピッグのレストランへ案内して、今日の仕事は終わりだ。レストランの個室まで一緒に行き、挨拶をしてきた。
「ビオラ。屋台に寄って帰ろうね」
今からは自由時間。明日の仕事もあるので、夜更かしはできないが、美味しいものを食べたい。
せっかくバーミン村にいるのだから、ここでしか食べられないものを食べるべきか。それとも好きなものを食べるべきか。そんなことを迷っていると、後ろから小さな声が聞こえた。
「あ、あの」
振り返ると、レストランの給仕が立っていた。
「あの、たぶん、あなたのことだと思うんですけど、探している人がいましたよ」
ミュズのことを探している??
「それは、鮮やかな赤髪の魔獣ハンターですか?」
お
「いえ。茶髪に青い瞳のイケメンだったと思いますが」
お
誰だ??
誰かに探されるようなことをした覚えはない。
「誰でしょう? 誰かと勘違いされているのかしら?」
「そうですか……。白い大きな犬を連れているって言っていたんで、あなたかと思ったんですが……」
白い大きな犬……。ビオラ以外には見たことがない。
ミュズのことのようだけど、誰が探しているのだろうか?
なんだか、少し、気味が悪い。
曖昧に挨拶をして、レストランを後にした。
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