第5話 旅行の打ち合わせと新商品の調査

 パンの焼ける美味しそうな匂いが漂ってきた。昼食の時間が近づいている。キッチンが近くにあり、食事の準備が進んでいるのだろう。

 ミュズが座るソファーのとなりに、大人しく伏せているビオラの鼻が、時々、ピクッと動く。


 ここは、貴族邸に勤める使用人が、様々な用途で使う部屋である。装飾品などは全く置かれていないが、ソファーやテーブルなど、家具はいいものを使っている。


 さすが、フォード伯爵邸である。


 管理している領地は王領からは離れているが、山地が多く、良質な木材がとれる。その木材で作られている家具は、無垢の美しさが際立ち、滑らかな光沢に帯びていた。

 フォード伯爵領の山からは、くず魔石と呼ばれる純度の低い魔石も算出していて、エネルギー革命後、値段はあがっているので、フォード伯爵の資金は潤っている。


 依頼主のフォード様は、伯爵位を息子に譲ったとはいえ、まだまだお元気で矍鑠かくしゃくとしてる。

 使用人もフォード様夫妻のことを慕っているようだ。ミュズとの打ち合わせも、時間がかかっていた。夫妻の好みなども考慮し予定を考え、使用人の動きや護衛の配置まで考える。細かな持ち物や、旅行にかかる経費。さらには、ミュズの報酬まで話し合った。


「それでは、歩きやすい服装と、移動中の軽食、密封性の高い木箱など、ご用意お願い致します」

「任せてください。旦那様は古くからのご友人に、今回の旅行を自慢するほど楽しみにしておられます。当日は、よろしくお願いしますね」


「はい。早朝、お迎えにあがります。じゃあ、ビオラ、行こうか」


 お腹も減ってきたし、ちょうどランチの時間だろう。


 フォード伯爵邸から出ると、王都の中心街へ向かう。

 どんどんと、建物の高さが高くなっていった。


 周りをぐるりと城壁に囲まれている王都は、人口が増えて必要になった家を、縦方向へ長くすることで確保している。

 貴族の邸宅が広がる地域は、昔ながらの風景が広がっているが、お店が集まる商業地区は、1階を店舗にして、2階からを住居にしている建物が多い。その高さもどんどん高くなり、5階建てや6階建ては当たり前。

 ミュズの借りている部屋も、5階建ての建物だ。1階に八百屋と肉屋と花屋がはいっている。ミュズの部屋は、4階。エレベーターのない建物では、上に行くほど階段の登り降りが大変で、家賃も安くなる。ミュズの部屋は、少し上るのが大変だが、おにいが借りてくれたので広いほうだ。

 キッチンダイニングにシャワーとトイレ、それに寝室が二部屋もある。

 ミュズが一部屋、もう一部屋はおにいの部屋だと思っているが、おにいがその部屋を使ったことはない。


 王都は、少し先に予定されている末の王子の成人の儀に沸いていて、旗が飾り付けられ、花が溢れていた。観光に来ている人もいるのだろう。歩いている人も、いつもよりは少し多い。

「さて、新しいお店でも、オープンしていないかな~」

 歩いているミュズの足に、ビオラが身体を擦り付けてきた。自分のことを忘れるなとでもいいたげだ。


「帰りに、お肉買ってあげるから」


 納得したのか、それともまだ不服なのか。太い尻尾が振られて、ミュズにバシバシとあたっている。背中を優しく撫でてやると、気が済んだのか甘えるように顔を擦り付けてきた。


「ビオラ! あのお店、新商品出してるかも」


 ポスターには、イチゴがたくさんのったタルトのイラストがかかれていた。


 ビオラにため息をつかれた気がしたが、そんなこと気にしていられない。

「新商品はちゃんとチェックしておかないとね~。王都の案内をすることだってあるんだから」


 仕事のためと言いながらも、弾むような足取りに、鼻歌まで飛び出している。


「すみませ~ん。イチゴのタルトを一つくださ~い」


 お金を払いテラス席につくと、肩掛けバックの中からお皿を取り出した。魔法を使って水で満たすと、ビオラの前に置いた。


 運ばれてきたタルトは、真っ赤なイチゴがゴロゴロとのせられ、キラキラと輝いていた。


「ん~。甘酸っぱ~!! 美味しい~」


 視線を感じて足元を見れば、ビオラが伏せながら片目だけ開けてミュズを見ている。


「仕事に必要なんだから」


 ビオラの視線は無視してタルトをたいらげると、次の店に向かった。


 新しい店や新商品を探しながら、コスメや小物を売っている店を覗いていく。露天で変わったものがないか一通りチェックし、すれ違う人の服装を確認する。


 やっぱり、流行りはしっかりチェックしておかないとね。


 コスメや小物は特にめぼしいものはなかったが、スイーツは新商品を三つも見つけて、食べてしまった。



「あっ、新しい店」


 メニューをみると、気軽に食べられるフルコースとある。貴族が利用するような店ではなく、庶民が手軽な値段で食べられるそうだ。服装も、汚れていなければ、入店できる。


「気になる……」


 しかし、ここまで、ケーキを三つも食べたせいで、全くお腹が減っていない。一品くらいなら食べられるかもしれないが、フルコースとなると…………食べきれる自信はない。


「次にすればよかろう」


 ミュズにだけ聞こえるような小さな声で、ビオラが呟いた。「う~ん」としばらく悩んだものの、食べきれないのでは仕方がない。ビオラの言葉に従うことにした。


 ライ麦パンを買いながらアパートまで戻ってくると、1階に入っている肉屋で買い物をする。ビオラの食べる分と、ミュズの朝食のベーコン。

 隣の八百屋で、フルーツやトマトなどを買い込み、階段を登っていった。


 息が切れてきたころ、やっと4階に到着した。家に入って窓を開けると、手を洗ってビオラの食事の支度をする。

 皿に買ってきた肉とちぎったパンをいれていく。もう一つの皿に水を用意すると、ビオラは勢いよく食べ始めた。


 ミュズは、寝室に入り、チェストの一番上を開けた。

 装飾もなにもない、小さな小箱を取り出す。


 おにいから、「困ったときには開けるように」と渡された小箱だ。渡されたときには意味がわからず、適当に相づちを打っていたのだが、次の日からおにいはいなくなってしまった。


 それから9ヶ月。


 ミュズはおにいが借りてくれた部屋に住み続けている。おにいは、半年分の家賃を前払いしてくれていた。その半年のうちに、仕事が軌道に乗ったので、お金に困ることはなかったが、おにいが見つからなくて困っている。


 箱を開ければ、おにいの行き先が、わかるのではないか。


「開けてしまうのか?」

 気がついたら、ビオラがすぐ近くにきていた。


「やっぱり、まだ、だよね」


 おにいを探した場所は、王領の中くらいだ。まだ、探すところはたくさんある。


「おにい、何で、いなくなっちゃったんだろう……」


「我には、人のオスの気持ちはわからん」

 ビオラが大きなあくびをした。ミュズの足に体を擦り付けてくる。モフモフの毛が、くすぐったい。

「ふふふ。もう寝よっか」

 シャワーを浴びてパジャマに着替え、歯を磨き、ベッドに入る。ビオラは、ミュズのベッドの隣に横になった。

 しばらくすると、穏やかな寝息が二つ聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る