第10話 気球を打ち上げて

 気球製作作業は多少トラブルもあったが、おおむね滞りなく進行していました。

 完成したそれは二人程が乗れるサイズであり、飛行高度は4,000メートル程。

 搭乗者はメルフィー、彼女自身です。


 「いいか、メルフィー、ずはこの浮上用バーナーに火を灯す必要がある」

 「はい、この紐で気球の軌道を変更、ですね」


 先生直々じきじきに操作説明を受けるメルフィーは、緊張した面持ちで言われた事を復唱します。

 ドラゴンを追い返す事を目的とした落雷作戦のかなめは彼女自身、何一つミスは許されません。


 「おい、『雨雲の宝玉たま』が出来たよ」

 「む、レイシィか、ご苦労」

 「ふふっ、本当にね……なんとか時間内に終わったわ、だけど言っておくけど失敗したら後は無いからね?」


 疲れた様子でウィズダムアトリエの前に走ってきたダークエルフの手には綺麗なシャボン玉のような魔道具が握られていました。

 レイシィは先生に話し掛けると、本当に疲れています。

 メルフィーは彼女がそんなに真面目に仕事をしたことが、少し意外でした。

 以前彼女と一緒に仕事した時は、彼女はマイペースで悪い意味で記憶したのですが。

 やっぱり先生だから? なんて想像すると、またムッと顔を険しくしていまう。

 この嫉妬心はもう少し抑えないといけませんね。


 「『雨雲の宝玉たま』の使い方だが、こいつを地面に砕くことで、その周囲に15分ほど雨雲を作り出す」

 「15分か……タイミングが重要だな。メルフィーはこいつを持て」


 先生はメルフィーに正体不明の黒いカラクリを差し出しました。

 なにか細くて、フックがあり、先端が丸みがある……とりあえず謎です!


 「なんですこれ?」

 「フックを耳に懸けろ」


 言われた通り耳に懸けます。

 丁度丸みのある突起が上顎に当たっている感じがしました。


 『よし、声が聞こえるか?』


 同じものを先生も装備しています。

 先生が声を出すと、謎のカラクリからやや濁ったような先生の声が聞こえました。


 「うわ、先生の声が聞こえますっ!」

 『骨伝導インカムだ、電波……と言っても一ミリも理解できんだろうから説明は省くが、ある程度の距離までなら通話が出来る』

 「電波……と、兎に角これを付けていれば遠く離れても会話できるなんて便利ですねー」

 『基地局を作ってピッチで通話した方が利便はいいんだがな……』


 ピッチとはなんでしょうか?

 電波という物も良くわからないまま、彼女は便利な道具だと感心します。

 先生の話ではちょっと特殊な仕事をする人達が使うそうです。


 『よし、テストフライトだ。バーナーに火をつけろ』

 「あっはい、やってみます」


 メルフィーは指示通り先ずは金属製のバーナーに炎の魔法で火を灯します。

 すると下部タンクに貯蔵された火の魔石が触媒となり、青い炎が筒の上面から噴き出しました。


 『側面のバルブを操作して、高度を変更出来る、浮上するまではそのまま待て』


 先生曰く旧式の気球とのことで、紙を貼り付け球体構造の気球内に熱された空気が上昇気流となって暖気を貯めて行きます。

 驚いたのはバーナーの轟音、それ以外にも過給器に吸い込まれる空気の音が耳をつんざきます。

 先生曰く「過給器スーパーチャージャーが勝手に冷えた空気を吸い込む」だそうで、本当に怖いくらい風が吸い込まれていくのですね。

 骨伝導でしたか、少しぼやけたような音でしたが、驚くことにバーナーの振動音の中では、むしろクリアに先生の声が聞こえます。

 先生はやっぱり、凄い。


 「っ、浮上、しました!」


 熱された空気が気球内に充分に貯まると、気球は自然と浮上を始めました。

 そのスピードは思いのほか速く、あっという間にそれを見上げる貧民街の人々が小さくなっていきます。


 「ふわぁ……これが、鳥の世界!」


 人の姿が豆粒程になりますと、今度は辺境の街が徐々に全体像を写して行きます。

 視線を水平に移せば、辺境の街で最も高い塔さえも上回ります。


 『助手よ、聞こえるかオーバー』

 「え? あっ、聞こえます! オーバー?」


 先生の声が聞こえると、メルフィーは慌てて姿勢を正します。

 そこに先生は居ないというのに、生真面目な性格の性でしょうか。


 『風には注意しろ、水平器の確認は怠るな。オーバー』

 「水平器……はい! 大丈夫ですオーバー!」


 ゴンドラに装備された水の入った分度器ではゴンドラがいくら傾いているか確認できます。

 傾きはほぼ水平、しかし先生が言っていたように強風がすぐに気球を襲いました。


 「わ、わわっ!?」

 『大丈夫か!? 姿勢制御に注力しろオーバー!』

 「姿勢制御……オーバー!」


 彼女は懸命に機動制御用の紐を引っ張ります。

 気球上部に付いているフィンが動くと、気球に傾きを制御します。

 無事強風を切り抜けると、彼女は安堵した溜息ためいきを吐きました。


 「よ、良かったぁ、えと現在高度は……あ」


 メルフィーは高度を確認しようとしたその時、ドラゴンが目に入りました。

 あんな巨大なドラゴンが、今は小さい。

 まるでネズミのように矮小わいしょうで、これが空なんだと知りました。


 「雲ってあんなに遠いんだ」


 飛んでなお圧巻なのは、雲の遠さでした。

 白雲の尾根を本で見たことがあります。

 雲さえ突き抜ける塔の話、世界を引き裂く大山脈の話。

 世界はこれほどまでに広大なのですね。


 『聞こえるか助手、予定ではその辺りの高度から落雷を落とす事になる……』

 「あっはい、聞こえます先生! 落雷……私の未熟な魔力で起せるのでしょうか」


 偉大なる大魔導師は例え地の底であっても、雷を落としたといわれます。

 偉人達と比べるのも烏滸おこがましい、そう割り切ってはいるのですが。

 どうしても……不安になります。


 「これ、失敗したらどうなるです?」

 『失敗しないさ、そのために俺も助手も万事ばんじを尽くすのだぞ? それに……』

 「……?」


 先生は躊躇ためらうように一拍間を置きました。

 インカム越しに聞こえる先生の吐息。


 『お前をお前が信じろ……以上だ。オーバー』

 「……あっ」


 先生は最後、照れたような声で通信を終わっちゃった。

 メルフィーは少しだけ目頭を熱くすると、湿った風が吹き抜ける。

 メルフィーは顔を振るうと、気球の安定化に努めました。

 先生の激励……また凡骨って言われないように注意しませんと。




          §




 「クックックッ」


 地上では小さな点のようになった気球を頭上に眺めながら、先生はこっ恥ずかしいそうに顔を赤くしていました。

 一仕事を終えたダークエルフのレイシィはそんな先生を茶化す始末。


 「助手君を随分買うんだねぇ?」

 「才能は悪くない、根性が足らん部分はあるが」


 先生はそう言うともう一仕事と、動き出した。


 「今度は何をする気だい?」

 「助手に失敗はないと言った手前……だが、万が一もある……その対策だ」

 「必要な物はあるかい?」

 「いや……そうだな、一つ用意したい物があるが」


 先生はそう言うと、頭上を見上げました。

 快晴ですが、南から湿った風が吹きます。

 気温、湿度……様々なデータを観測しながら正しい結果に導けるのか。

 失敗は成功の母、ですが血で書いたマニュアルにしたくないものですね。


 「大丈夫なんだろう?」

 「……そのつもりだ」

 「お前をお前が信じろ、だったか? ククッ」


 レイシィが悪どく笑うも、先生は厳粛げんしゅくにそれを受け止めます。

 助手の、メルフィーの無事に最善を尽くさなければならない。

 そのてのひらは、魔法の掌。

 先生は掌を何度も開き、閉じ、開く。

 己の中の何かに問いかけるように、彼は終始無言でした。


 時刻は刻一刻と進んでいきます。

 ドラゴンが街を滅ぼずのが先か、それともウィズダムの策の成功が先か。

 運命の時まで後一時間。

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