第6話 料理の科学

 朝一番、その日ウィズダムは珍しく目覚めました。

 とはいえ酷く眠そうな顔、充分な睡眠が取れている顔ではありません。

 ただでさえ怖い顔は、目の下に隈まで出来ており、さながら幽鬼ゆうきのよう。

 むくり、寝床にしている古ぼけた赤いソファーから起き上がると、まぶたを擦ります。


 「ふわぁあ……ゴーレム弐号?」


 大きな欠伸をすると、部屋の片隅で丸くなっていた土塊つちくれのゴーレムの大きな一つ目に青い光が灯りました。

 起動ウェイクアップするのに、しばし時間が掛かります。

 その姿はアンドロイドかロボットか、ゴーレムは目を瞬かせると、起き上がりました。


 「ゴゴ、ギレゴ」

 「ゴーレム弐号君、済まないが水を一杯を頼む」

 「ギガゴゴ」


 ゴーレムは口頭命令を受領しますと、直ぐに動き出しました。

 ずんぐりむっくりしたドワーフ体型の小人といった姿で走りますと、まるで童話の世界でしょうか。

 ゴーレムはキッチンへと向かうと、ぴょんぴょん跳んでシンクに立ちます。

 そのまま器用に彼は透明なコップに水を汲み、ウィズダムの下に戻りました。


 「レゴゴ」

 「すまないな……くぅ」


 ウィズダムはコップを受け取ると、一気に水をあおった。

 冷たい水がのどを通ると、すぅっと先生の意識がまとまっていきます。

 極度の低血圧な先生は、視界が正常に戻ると、朝日が差し込む窓を見ました。

 朝……それも朝一番と、こんな早起きは本当に珍しい事でした。

 二度寝を考慮しますが、直ぐにメルフィーの事を思い出し却下。

 仕方ないな、とものぐさ気味に部屋を歩くと、玄関を出ます。

 朝日を直に浴びると「うっ」とうめき、足元がふらつきました。


 「やはり朝は苦手、だな……」

 「ゴゴレ?」


 後ろを付いてきたゴーレムは平然としています。

 ゴーレムに昼夜等関係ないということでしょうか。

 ウィズダムは思いっきり背を伸ばします。

 日光を浴びれば、体内時計は自然と目覚める、それを知識として持っている彼は、常に最適な行動をするよう努めているのです。


 「……あれ? 先生?」

 「む……」


 ウィズダムはぶっきらぼうに声を掛けてきた少女を見ました。

 助手です。助手はにははと、相変わらずどこか情けない笑い方をしました。

 緊張感もない、貫禄とは縁遠い女だな。


 「おはようございます先生っ! 今日は珍しいですね」

 「そんな日もある……いつまでもお前の世話になるつもりはない」

 「えへへ、えらい偉い」


 まるで子供をあやすようにメルフィーは先生の早起きを褒めました。

 子供扱いされたウィズダムは「ムッ」と不機嫌な顔をしますが、メルフィーは気にも留めません。


 「レムさんもおはようございます! 直ぐに朝ごはん準備しますねっ」

 「ギガ、ゴゴ」


 お供するというようにゴーレムは助手に付いて行きます。

 相変わらず押せかけ女房だな、とあきれますが、先生は結局助手の好意に甘えてしまうのです。


 「おっ、これは珍しい」

 「今度はレイシィか……なんなんだ今日は」


 メルフィーに続いて現れたのは妖艶なダークエルフの美女でした。

 早起きは三文の徳などと言うが、ウィズダムの顔はむしろ不機嫌の極みです。


 「なんだタナカ、嫌そうな顔で」

 「そういう顔だ、他意はない」


 と言い返しますが、レイシィにはお見通しです。

 可愛いもので、だらしない姿を見られて不機嫌になるウィズダムを愛らしく思うのです。


 「先生、今日は……あっ」

 「やあおはよう、メルフィー君」

 「うぅ……なんで朝から貴方あなたが来るんですかー」

 「朝飯をたかりに来た」

 「帰ってください!」

 「……うるさい」


 助手の甲高い声に、ウィズダムはうんざりして耳を両手で塞ぎます。

 レイシィの真意がどこにあるかは分かりませんが、先生には些事さじかもしれませんね。




          § 




 「もうっ! 三人分作らないといけないじゃないですかっ!」


 メルフィーは文句を垂れながら、それでもレイシィの分を含めてフライパンを振るっていました。

 口では嫌悪している相手でも、ちゃんともてなすあたり、彼女の性根の真面目さが分かりますね。


 「これ、今朝採れたて卵だ、是非使ってくれたまえ」

 「……むぅ、なんの卵ですか?」

 「変な卵じゃない、普通の鳥の卵だよ」


 レイシィはキッチンに新鮮な卵を数個置くと、メルフィーは胡乱うろんげに卵を見つめました。

 結構変人よりの彼女が、普通の食材を善意で提供するでしょうか?

 怪しい、とはいえ嫌疑を掛けるには証拠不十分、このままでは不起訴です。

 使ってみないことには分かりませんよね。

 仕方ない、それじゃあ卵はスクランブルエッグにしましょう。


 「変な物だったら、即追い出しますから」

 「だから、どうして君はそんなに信用しない? 流石さすがに私も泣いちゃうぞ、うるうる」

 「泣き真似は結構です!」

 「お前達……そこまでにしておけ、朝くらいゆっくり過ごさせてほしい」


 煩かったでしょうか、先生はいつもより三割増し不機嫌な顔で、ギロリと二人をにらみました。

 怒られた、メルフィーはしゅんと落ち込むと、片手で卵を割って、熱したフライパンに投じます。


 「色は普通……」

 「言ったろう? いくらなんでもタダで飯を食おうとは思わないさ」

 「ビジネスライク……お前らしいな」


 先生の興味を引きますと、レイシィは嬉しそうに先生の隣の椅子に腰掛けます。


 「ふふっ、やっぱり君は私を分かってくれる」


 そう言うと猫のように目を細めて、先生に顔を近づけ笑いました。

 むむっ、ちょっと距離が近くありません。

 先生も先生です! なんであんな色香いろかかたまりが近づくのを許すんです?


 「先生から離れてくださいっ」


 フライパンで卵を炒るのを止めずに、彼女は怒気を強めます。

 しかしメルフィーが手を離せないのを良いことに、彼女はベーと唇を出して、メルフィーを煽るのです。


 「ふふん、君が私に命令出来ると?」

 「むっかー!」

 「暑苦しいから離れろレイシィ」

 「ガビーン! そんなぁ」


 胸を揺らして、瞳を潤ませるレイシィですが、先生は彼女を見てさえいませんでした。

 相変わらず、先生の女性への興味のなさは頼もしいのですが……レイシィさんほどの美女でも駄目と思うと、本当に手強いですね。

 トータルでは、レイシィが誘惑失敗にざまぁという思いですが、結局は負け犬の遠吠えと気付く事はありません。


 「簡単なものですけど、ベーコンエッグサンドです」


 テキパキ家事だけはだれよりも鮮やかに熟すと、白い磁器製の皿に表面をこんがり焼いたトーストにベーコンエッグを挟み込んだ物を、包丁で斜めに切ります。

 ザクッと、香ばしい音がすると、先生の腹の音も思わず鳴ります。

 先生は直ぐに照れたように、腹を手で押さえますが、メルフィーにはお見通しで、微笑ましかったでしょう。


 「はいはい、先生もお腹が限界ですね、召し上がれ!」

 「うーん、良い匂いだね」

 「いただきます」


 三人前を器用にいつものテーブルまで運びますと、朝食会は始まりました。

 先生は相変わらず両手を合わせますと、目を閉じいつもの祝詞のりとを唱えます。

 早速ベーコンエッグサンドにかぶりついたレイシィは至福の表情を浮かべました。


 「うぅーん、これは絶品だねぇ。パンが香ばしくてベーコンの塩味と卵の甘みが良く合う」

 「……レイシィさんって、食に頓着なさそうなのに、意外ですよね」

 「食と錬金術は意外と近いからね、知っているかい塩味と甘味が同じ分量なら、必ず塩味が勝つんだ」

 「料理のさしすせそだな」


 先生はボソリと呟きました。

 料理のさしすせそ? 二人は聞き慣れない言葉に首を傾げます。


 「なんですそれ?」

 「砂糖、塩、酢、醤油、味噌……この順で味が濃くなる。料理は科学だ」

 「……ふーん、それは私も知らない言葉だね……それにしてもこれを科学と評するのか」

 「パンの表面が焼かれて美味しいと感じるのはメイラード反応、それにタンパク質は熱することで消化に良くなる」


 先生はベーコンエッグサンド一つに驚くべき程知識を披露します。

 全て分解していけば、最終的には科学で説明できる。

 だからこそ科学は広範で奥が深いのです。

 はえー、思わず感心していたメルフィーは、自分のベーコンエッグサンドをまじまじ見ます。


 「先生、美味しいですか?」

 「美味いな……それがどうした?」

 「クスッ、難しい講説より、美味しいの一言の方が嬉しいんですよ?」

 「そうなのか?」

 「そうです」

 「そうか」


 先生は皿に視線を落とすと、自分の言葉を分析します。

 時として、単純な一言の方がよく伝わるし、嬉しいんです。

 勉強は大事ですけど、美味しいを美味しいって伝えるのは難しいでしょうか?


 「うん、美味い……」


 結局先生は言葉が見つからず美味いとだけ言って、ベーコンエッグサンドにかぶりつきます。

 先生って、意外とコミュ障なんですよね。

 いつも仏頂面だし、でも本質は優しい人ですし。

 難儀な性格の人ですよっ。

 とどめにこの人、一度興味あるものを目にすると、童心に帰ったように暴走するんですから!


 「うんうん、これはお店を出せるぞ、いっそ起業してみないか?」

 「私は科学者になりたいのであって、商人になるつもりはないのですが……」

 「君は料理人か家政婦の方が適正あるんじゃないかい?」

 「うー……せめてお嫁さんに相応しいとか、言い方が」

 「……嫁に行くのか?」


 先生が三白眼でメルフィーを捉えますと、彼女は耳までにして頭を沸騰させました。

 嫁、結婚……先生と、想像は逞しくもどんどん膨らんでいくと、彼女は両手を振って先生から顔を逸します。


 「駄目っ! 先生の破廉恥!?」

 「なにを想像した……?」

 「意外とメルフィー君はむっつりなのかな?」


 ウェディングドレスを着て、大きくなったお腹を優しい顔で擦るところまで夢想しました。

 いけない、破廉恥過ぎて、先生を直視出来ません!

 こんなのどちらかというかレイシィさんの役割ですから!

 ……って、レイシィさんだとここでは言い表せないようなもっと、過激でエッチな事をしそうで、メルフィーは益々赤面します。


 「エッチは駄目ですから! この歩く猥褻物わいせつぶつ!」

 「なんでディスられたっ!? 君こそどんな想像したんだね!?」

 「……ごちそうさま。ゴーレム弐号君片付けよろしく」

 「レゴゴ」


 先生は相変わらずマイペースに食べ終えると、席を立ちました。

 ずっと先生のそばで佇んでいたレムさんは、直ぐに椅子からテーブルと飛び渡り、先生の食べ終えた食器を回収し、シンクに運びます。


 「ふぅ……、今日の仕事はどうだったか」


 先生は仕事の依頼を確認するため、外を目指します。

 正確には玄関前にある郵便ポストです。

 普段依頼はそこに投函してもらうことで、先生は仕事を受領します。

 といっても、文字を書けない依頼者もいるので、口頭で依頼を受けることもままありますが。


 メルフィーはいけないっ、と急いで朝食を食べ終えます。

 最後に冷たい水でのどを洗い流すと、先生の後を追うように椅子から立ち上がりますと。


 ドンドン!


 不意に玄関扉が激しく叩かれました。

 メルフィーは驚くと、直ぐに玄関に駆け寄ります。


 「何事か……」


 先生は、顔を険しくしますと扉の先を睨みます。

 はたして扉の前に立つのは、何者でしょうか? 

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