第3話 空を飛ぶとは

 アトリエに戻りますと、メルフィーはプンスカ怒り顔でキッチンへ向かいました。

 玄関をぬけぬけと潜ってくる褐色ダークエルフ美女がしゃなりしゃなりと優雅ゆうがに室内を闊歩かっぽします。

 歩く度、ぷるんと揺れるあの胸はもう有害図書そのものですよっ!

 ……と、持ってない者のねたみを内心で爆発させつつ、メルフィーはすぐに紅茶の用意を致しました。

 不幸中の幸いは、先生が朴念仁ぼくねんじんなことですが、それが彼女になんの有利があるのか、そこまでは思い至らないようですね。


 「紅茶を用意しますから、席に座っててください先生っ!」

 「だから何を怒っているのだ、助手よ?」


 ヤキモチなんて可愛くない、まだ子供なのに大人ぶる少女のように、ほおを膨らませながら、彼女は電子ケトルに水を入れ、電源スイッチを押しました。


 「ふーむ、こいつは便利だ……なんとか量産化出来ないかね?」

 「その為には電源問題をクリアする必要があるな」


 席に座った二人は早速楽しそうに談義しだします。

 メルフィーはどすんと音を立てて椅子に座りました。


 「ギガゴゴ」

 「おぉ、ゴレム丸」

 「ゴーレム弐号なんだが」

 「レムさん、少しお手伝いお願いしますっ」

 「ゴゴゴ?」


 お手伝いゴーレムはなんだか三者三様の様子に首(?)を傾げました。

 とりあえずメルフィーに従うように、彼女に追従します。


 「私は茶葉の用意をしますから、レムさんは茶器をお願いしますね」

 「ゴゴ」


 レムさんは口頭命令を正確に理解し、棚にしまってあった茶器を取り出します。

 その様を眺め見たレイシィは感嘆かんたんしました。


 「ゴーレムにあれほど高度な論理ろんり解決能力をどうやって与えた?」

 「まだ未解決問題だ、俺は特異点シンギュラリティを突破したと踏んでいるが」


 ゴーレムの生みの親ウィズダムを持ってして、レムさんの思考回路には未知が多いと言います。

 一般的なゴーレムはコアに命令プロトコルを魔法で打ち込むそうですが、先生はそれを独力でプロトコル解析かいせきの末、レムさんは実働するに至りました。

 魔法使いとして、これがどれほどの偉業なのかは、勿論もちろん分かっていましたが、いざ生活してみますと、どうってことないようにも思えます。

 むしろ世界のことわりを解くことに身命しんめいを賭ける錬金術師の方が興味をもっているようですね。


 「一部魔法使いにはゴーレムを使役する高度な技術を有する者がいる、しかしその技術は秘奥ひおうであるはずになのに」

 「この世界ではハックロムを仕掛ける者はいないのだな」

 「そんな発想を持つの、先生だけですよ」


 メルフィーはあきれたように突っ込みます。

 湧いたお湯で、まずはカップを温め、紅茶の抽出ちゅうしゅつにかかります。


 「よく出来たものだな、助手君、私のところにも欲しい位だよ」

 「お手伝いとしてですか? 結構です! 私は『ウィズダムアトリエ』の見習い科学者なので!」


 答えを聞いてレイシィは「ふふっ」と妖艶ようえん微笑ほほえみました。

 初めから答えは知っていた、そんな稚気ちきじみた思いなどお見通しされたメルフィーは顔を赤くすると、紅茶を口に運びます。


 「熱っ……うぅぅ」

 「おやおや、火傷かい?」

 「……珍しいな」


 舌がヒリヒリします。涙目になったメルフィーは舌を出しました。

 先生は「ふむり」と頷くと、メルフィーの診断を簡潔かんけつくだしました。


 「軽い炎症えんしょうが見られるな、気をつけていれば問題ない」

 「君は医学の知識も持っているのかい?」

 「専門家に比べればにわかにも程がある、アテにはするな」


 専門以外は謙虚けんきょそのものの先生をレイシィは嬉しそうに目を細めます。

 彼女の視線、どこかうっとりするようで、メルフィーはやきもきしっぱなし。

 いつか先生を取られちゃうんじゃないか、いやしい考えが浮かぶたびにぶんぶん首を横に振りました。

 馬鹿馬鹿しい、先生が誰かに取られるなんてありえない、あの人はそれこそ我が道をく人なんですから。


 (でも……先生ってやっぱり、私よりレイシィさんの方が好みなのかな?)


 ちょっぴりそれが不安。

 先生の事が好き? きっと好きなんじゃないかな?

 尊敬は強い。先生はぶっきらぼうだけど、優しいところもあるし、時に弱音よわねく私を叱咤しったしてくれるもの。


 「……そういえばさ、興味深い学術書を手に入れたんだけどさ」

 「どういう内容だ?」

 「空を飛ぶ、その方法論だよ」

 「えっ? 【浮く魔法フロート】ですか?」


 空を飛ぶ魔法は、魔法使いの高度な魔法として知られています。

 かくいうメルフィーはまだ習得していませんが、レイシィは首を横に振りました。


 「いいや、興味深いのは魔法ではない」

 「では科学的には反重力か?」

 「うふふ、やっぱり君に持ちかけて正解だった、楽しい検証ができそうだね」

 「うぅぅ、先生っ、科学的には飛ぶとはどういう方法がありますか!」


 メルフィーは少しでも先生の興味を引こうと、ビシッと手を上げて質問しました。


 「ふむり、ならば科学的アプローチで飛ぶとはなにか、それを今回の議題としよう」


 先生は立ち上がると、すぐに壁に立て掛けられたホワイトボードの前に向かいました。

 ちなみにこのホワイトボードも先生自作の成果物で、なんと簡単に書いたもの消せるという画期的なものなのです。

 欠点は、特定のペンでないと書けない事ですが、先生はペンを手に取るとすらすらと『飛ぶとはなにか』書いていきました。


 「そもそも我々がこうして大地に足を下ろすのは何故か、これを万有引力ばんゆういんりょくもしくは重力という」

 「ふむ、万物ばんぶつは落ちる定めという訳か」

 「しかし? 落ちるとはなんだ? 答えてみろ助手!」

 「え? えーと、落ちるとは……重力に引かれるから?」

 「そうだ、そこで面白い実験をしてやろう!」


 先生そう言うと、下敷きとチリ紙を両手でそれぞれ手に取りました。

 にっかり笑うと先生はそれらを頭上に掲げ、二人に問います。


 「ここで問題だ! これから俺は下敷きとチリ紙を同時に落とす。さぁ、どちらが先に地面に落ちるかな?

 「そんなの簡単さ、下敷きだよ」

 「……私もそう思います」


 メルフィーは先生がそんな分かりやすい問題を出すのか、しっかりと疑います。

 先生は「それでは」と声を掛けると、手を離しました。

 結果は予想通り、下敷きが先に落ち、チリ紙はふわりふわりとゆっくり落ちます。


 「はい正解っ! それでは第二問! 下敷きの上にチリ紙を載せます、さて先の結果から下敷きは先に落ちますが、さてチリ紙はどういう結果を生むかな?」

 「ふむ? 落ちるという結果は変わらんだろう?」


 さしものこの問題はレイシィさんといえど頭を悩ませます。

 メルフィーは「うーん」と顎に小さな手を当てますと、問題の意図を読み解こうとしました。

 本来の主題は空を飛ぶとは、でした……ですからこれも空中浮遊の一環となるのでしょう。


 (先生が科学実験の際は少し遊びを入れる人ですしね……)


 あの稚児ちごじみた笑顔を見れば、普段の物静か過ぎる先生とはまるで違う。

 『科学は楽しく学べ』、先生の教育論です。

 科学者は誰だってなれるけれど、その道程どうていはけわしい。

 だからこそ、先生は入り口で手を伸ばしてくれる。


 「さぁさぁ、ギブアップか?」

 「はいっ。答えはチリ紙の落下速度が加速するのでは!」


 メルフィーは元気よく手を上げると解答します。

 先生は一瞬真面目な顔をするも、すぐにニヤリと口角を上げました。


 「私はギブアップだな……思いつかないや」

 「ではでは、結果発表ーっ!」


 先生が手を放します。

 二人は落下する下敷きを、その上ちり紙を見ました。

 先ずは下敷き、そしてすぐにちり紙がその上に落ちます。


 「殆ど同じ……?」

 「メルフィー正解。じゃあここからはホワイトボードで説明するぞ」


 メルフィーは正解すると、小さくガッツポーズしました。

 嬉しい、まだ一歩だけど前に進んでいる。

 科学は人民の為にある。その言葉の実現者になる為の勉強なら苦ではありません。


 「これが空気抵抗だ、何故落ちるのか、を突き詰めると大きく分けて引力と空気抵抗の二つが関係する。大気一気圧下での重力加速度は……――これは、またの機会にしておくか」


 メルフィーはいつも所持しているメモ帳を取り出すと、先生の言葉、ホワイトボードに書かれる曲線グラフをメモ帳に事細やかに書き記します。

 几帳面な性格が現れたメモ帳は理路整然りろせいぜんとしながらも、ビッシリと文字と図形が刻み込まれていました。


 「つまりだ、空を飛ぶというアプローチには三種類考えられる。一つは反重力、重力こそが地上へ引き込む力なら、それをどうにかすれば人は空に浮かぶ訳だ」


 反重力、けれど重力子グラビトンの未発見――検出が極めて難しい――だそうです。

 続いて先生が述べたのは揚力ようりょく。空気抵抗を利用した飛行手段。

 空を飛ぶ鳥、先生が紙を折りたたんで作った紙飛行機の滑空、これも飛ぶというアプローチの一つ。


 「揚力で飛ぶにも一つ欠点がある、推進力だな……とにかくエネルギーをう」


 先生曰く『空を飛ぶ生き物は殆ど骨まで軽量化している』とのこと。

 先生は図解にレシプロ動力や、ジェット動力などなど書いていきます。


 「その……なんだ? 過給器とかいうのを付ければ飛べるのか?」

 「飛ぶ為の飛行骨格を完成させればな」


 レイシィの直接的な問いに、先生はホワイトボードに、流線型ボディと、ボディが受ける正面風圧の図解を描きます。

 四角いボディと、丸いボディなら、丸い方が有利で、更に翼は風を受け流し、かつ翼下には風が渦を巻く。

 先生の示すデザインだと、翼に揚力を与える構造でした。


 「第三は? 先生」

 「第三はな、そもそも空気ってなんだ?」

 「空気は空気だろう? ぷかぷか浮かぶ」


 レイシィの言も間違ってはいないと、先生は小さく頷きます。

 けれどそれは完璧な正解ではありません。

 ペラペラペラ、メルフィーは「たしか」と呟くとメモ帳を高速でめくります。

 そして「あった」と、小さな笑みを零し、すぐに挙手しました。


 「大気です! 主に窒素、酸素、二酸化炭素、その他少量の塵や、魔素等を含みます!」


 以前先生が実験で大気を検出しました。

 その時の経験が生きて、彼女は自信に溢れる笑顔を浮かべます。


 「では、だ! 第一問題ッ! 水より軽い原子はなんだ」

 「え、えと」

 「水素、酸素か?」


 メルフィーが答えを探すよりも、先にレイシィが答えを出してしまいました。

 先生は「正解ッ」とレイシィを讃えます。ぐぬぬ……ちょっと悔しい。

 先生はそこから更に補足します。


 「逆算すると水は大気より重い訳だが……水の中で浮上するバブルを思い出してほしい、あれは水より軽いからだな? つまりはだ、大気より軽いと飛べる訳だ」


 「水素で飛ぶ……というのか?」


 錬金術師である彼女の方が、理化学には精通しています。

 あらゆる元素の組み合わせで、【錬金術アルケミー】の奇跡を起こすからこそ、この分野では敵いそうにありません。

 なにせ水素で飛ぶ等と言われても、頭の中でカラスが鳴くばかり、さっぱり理解出来ないのですから。


 「え、と……どうやって飛ぶんです?」

 「先ずは方法一から、熱膨張!」


 熱膨張? これまた難解な問題ですね。

 メルフィーは過去問を洗ってみますが、それよりも先にレイシィは記憶と経験をかてに解答します。


 「水は熱すると蒸気になる……蒸気は上に滞留する……、つまり蒸気は大気より軽いのか」

 「流石レイシィだな、その通り空気に限らず多くの分子は、冷えると体積を小さくし、熱すると体積を膨らませる性質がある」


 「熱々のホットケーキが膨張するのも同じだ」と聞くと料理好きのメルフィーは少しだけ親身に思えました。


 「そう言えば鍛冶屋のドワーフが言っていたな、鉄は冷える事を前提に熱する必要があると、それ考慮こうりょしなければ完成品が割れてしまうとか」

 「いかに変形しがたい金属といえど、熱すれば液体、気体と変わるからな。さて簡単な実験だ」


 先生はそう言うと、今度はテーブルの前までやってきました。

 先生はまずアルコールランプを取り出しますと、ライターで火を灯します。

 因みにこのライター、透明な長方形の箱の中にアルコールが入っているそうで、原理は今している講義の内容に近いようです。


 「さて、熱源がここにある。そこに滑車の付いた車輪を近づけると……」


 あっ、メルフィーは滑車の付いた車輪で、以前の授業を思い出します。

 それはエネルギーを与えると永久に回転するギア!

 

 「カラララ、とまぁ回転する訳だが、こいつは膨張した大気熱を受けて回転してる……では?」


 先生は車輪を退かすと、今度は軽い袋でした。

 先生は袋を上下逆さまにすると、火に近づけます。

 すると袋はパンパンに膨らみ出し、先生が手を放すと、天井までゆっくり浮上してしまいました。


 「とまぁ、こうなる」

 「……なるほど、熱源さえ維持できれば飛べる訳か」

 「私の魔法で再現出来ますか?」

 「気球程度ならばな。それからもう一つ、これはレイシィの方が想像しやすいだろう。そもそも大気より軽いパターンだ」


 大気より軽い方法、水素、ヘリウム等を密閉した容器――風船等かな?――に収めて飛行船にする場合。


 「メリットデメリットだが、そもそも水素ヘリウムは維持が厳しい」


 そりゃまぁ、大気より軽い訳ですもんね、手っ取り早く採取とはいきません。

 特に先生曰く「ヘリウムの入手がな」と苦言を呈するほど。

 水素は簡単に取り出せるんですけど、なにせ水素は僅かな火でも引火して大爆発ですから、おっかなくて保存できません。


 「メリットは熱源がいらん。なにせ大気より軽いのだからな」

 「維持費を込みで考えると、気球の方が低コストか」


 ただそれはそれで熱源をどうやって確保出来るかでしょう。

 メルフィーはなんとなく、気球の方がロマンがあって愛らしいと思えました。

 クスッと微笑みますと、メモ帳の端に小さな気球の落書きを書き込みます。


 「では最後だ、そもそも重力はどこまで影響するのか?」

 「仰る意味がまるでわかりません!」


 これには彼女等も見解が一致しました。

 珍しいことに、二人は顔を合わせますと、仕方ないな、と頷きあいます。

 先生はあきれたように後頭部を掻くと、メルフィーに注意しました。


 「以前天体観測しただろう?」

 「はい、望遠鏡を持っていきましたっ!」


 確か星図を作ったんですよね。

 先生と出会った初期、先生が体験する授業として夜間の天体観測を実施しました。

 とっても綺麗な夜空で、そう……真ん丸お月様も。


 「あっ、思い出しました。お月様は、この世界の引力と釣り合ってる!」

 「そう、調べた限りでは、月、太陽との重力は関係している。だが重力は無限ではない」


 そう、だからこそ月は落ちてこないし、太陽に落下することもない。

 重力均衡点ラグランジュ・ポイントでしたっけ?

 にわかには信じ難いですが、あるんですって、そういう場所が。


 「実験データでは、第二宇宙速度で物体を打ち出せば、戻ってこなかった」


 戻ってこない、とは恐ろしい実験ですね。

 心当たりあるのかレイシィさんは「むふん」と微笑みました。


 「君がなにか平原で大掛かりなカラクリを作った時かい?」

 「全長25メートル回転式投射装置か、モーターの調達に苦労したが」

 「むぅ、そんなの初耳」


 レイシィは先生との付き合いが、彼女より長いのです。

 それ故に先生の知らない事を、レイシィの方が多く知っているのは、嫉妬しました。

 これから、これから思い出は作ればいいのですっ、彼女は顔を軽く叩いて、気を入れます。


 「大体高度300kmキロメートル位で人間は浮くはずだ。無論生きてはいないがな」

 「重力が薄くなるとどうなるんだい?」

 「簡単だ、人間は大気を浴びてヽヽヽいるんだぞ? 大気のない場所なんぞ行けば全身が膨張して、最悪破裂だ」

 「ヒッ!?」


 ぶくぶくに膨らんで破裂する想像をしたメルフィーは小さな悲鳴を上げました。

 ちょっと想像しない残酷ざんこくな答えに怯えると同時に、神様地上をお与えくださってありがとうございます、と信仰心が芽生えます。


 「因みに水中でも近い現象は起きるからな」

 「確か、海の底から浮上する時、息を吐くって言っていたな」

 「うむ、体内の空気が膨張するのが原因だ、最悪死ぬ」

 「こっちもですか!? ブラック先生です!」


 こっちも想像するメルフィー、もう泣き喚いている始末です。

 先生の少し怖い講義はこうして今日も進んでいくのでした。

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