第2話 科学者のお仕事

 日が天頂に到達する頃、先生は外出しました。

 メルフィーはそれに着いていきます。


 「先生、今日はどうするので?」

 「まずは仕事だな、依頼を受けている」


 『ウィズダムアトリエ』はいわゆるなんでも屋であります。

 先生ことウィズダムは、日々科学の邁進まいしんに勤しむかたわら、日銭を稼ぐ必要もありました。

 今日の仕事は、貧民街に住むおばあちゃんの家です。


 「ごめんなさいねぇ、雨漏あまもり工事なんて……」


 深いしわも目立つ白髪の老婆は、夫に先立たれ息子も独り立ちして、寂しい一人暮らしでした。

 メルフィーは笑顔で話し相手に応対する一方、先生は工事に集中します。

 古い民家では、やはり様々な問題も起こるのでしょう。

 トンテンカンと、屋根裏からは小気味いい音がテンポ良く室内に響きます。


 「気にしないでください、これもお仕事ですから」


 そう言うとメルフィーは笑顔を浮かべます。

 とはいえ……内心ではちょっと不満もあるのですが。

 屋根裏をそっとのぞけば、黙々と屋根裏工事をする先生。

 これって、科学者の仕事なの?


 「メルフィーちゃんはどう? お仕事大変じゃない?」

 「あっ、いいえ! これでも楽しくお仕事させてもらっていますから」


 本音いえば、科学のお勉強をしたいんですけどね。

 先生も生活が掛かっているからか、小口の仕事を頻繁ひんぱんに受けており、講義は一日数回というのがいつもの日常でした。

 はぁ、心の中で溜息ためいきくと、屋根裏で動きがあります。


 「ついでに、防水処理もしておいた。なにか問題があれば追加で依頼を出せ」

 「あらあら、もう終わったの? それじゃあ、これ少ないけど」


 先生は屋根裏の工事を終えますと梯子はしごを降りて来ました。老婆は硬貨の入った麻袋を差し出します。

 代理してメルフィーは受け取ると、先生はダルそうにさっさと家を出ようとしました。


 「あぁ、ちょっと待って、良かったらクッキーはいかが?」

 「…………いただこう」


 先生は足を止めると、じろりと老婆を見ました。

 如何いかにも何か良からぬ事を考えていそうな悪い顔に見えますが、なんてことはありません。

 先生はぶっきらぼうですが、無慈悲むじひではないのです。

 大した稼ぎにもならない、家の雨漏り工事だの、おかど違いの家出した猫探しだの、ロクな仕事は受けていません。

 老婆は先生が戻って来ますと、喜んで紅茶まで差し出してきます。

 先生は黙して座ると、老婆は楽しそうに話しだしました。


 「でね、隣のメイさんがね?」

 「あ、あはは……なるほど」

 「……ずず」


 先生は聞き上手に時折うなずき、紅茶を飲みます。

 この年齢の女性はただ話し相手が欲しいのでしょう。

 メルフィーは苦笑い混じりに、相槌あいづちを打ちました。


 老婆から解放されるには二時間も掛かってしまいました。

 先生は苦にもしません、それは先生の思想、科学は人民の為にあるに通じるからではないか、とメルフィーは想像しますが、肝心の先生は答えません。


 「はぁぁ、疲れました」

 「面倒なら、アトリエに待機していればいいだろうに」

 「うぅ、先生に着いていった方が沢山学べると思って」

 「学ぶのは良い、学問は探求してこそだ」


 かくいうおれも学びは終わっていない、と付け加えます。

 メルフィーはちょっとこのお仕事には慣れませんでした。人懐っこい性格ではあるつもりですが、お喋りでもありませんし。

 あれ、絶対科学ではないと思うのですけど。


 「あっ、兄ちゃん! 今度はウチ来てよ! トイレが詰まって困ってんだ!」

 「ウィズダムお兄ちゃん、今度はお星さまの話ししてー!」

 「あら、先生ちゃん、お菓子食べるかい?」


 街を歩いていると、先生を目当てに人集ひとだかりが集まり始めました。

 メルフィーも最初は驚きましたが、これは先生に人望がある証拠のような物です。

 風変わりで自堕落じだらくな性格ですのに、どうしてか人を集める。

 先生は適当に返事をしていましたが、皆先生に笑顔を向けていました。


 人集りを抜けると、メルフィーは先生に話しかけます。


 「先生、人気にんきですね」

 「仕事関係だ」

 「本当にそうでしょうか?」


 なんだか先生をほかの人に取られたようでモヤモヤする一方、貧民街の住民に慕われるのは誇らしくもある。

 助手ながら複雑な感情が渦巻いてしまいます。


 「おや、タナカ、仕事かい?」


 蠱惑こわく的な魅力を放つダークエルフの女性に正面から声をかけられました。

 浅黒い肌を黒い魔女のドレスに身を包み、月の輝きのような黄色い瞳、メルフィーでさえ息を呑むたわわな双丘そうきゅう、大きなお尻が卑猥ひわいとさえ思えます。

 メルフィーはこのダークエルフを少しだけ敵意を持ってにらみつけました。


 「タナカじゃないウィズダムだ。貴様こそ外に出るとは珍しいな」


 彼女の名前は『レイシィ・コルネリア』。

 メルフィーが少しだけ嫉妬する、貧民街に拠点を構える錬金術師アルケミストでした。


 「なんの用ですかレイシィさん」

 「話しかけるのに理由がいるのかい? メルフィー君?」


 むむ、ああ言えばこう言う。レイシィは学問こそ異なりますが、【錬金術アルケミー】と【科学サイエンス】は近しいとして、先生と親しくするのは、ちょっとずるいと思います。

 しかも、しかもですよ。レイシィはメルフィーの知らない先生の顔をいくつも知っているのですよ?

 先生はというと、レイシィにも興味はなさそうなのが、ちょっぴり救いになるのが、なんとも情けない。


 「俺は仕事だ、それももう終わったが」

 「ほう、なら私のアトリエに来ないかい? 久々ひさびさに談義しようじゃないか?」

 「それも悪くない――」

 「いいえっ! 先生はこれから私とヽヽ実験するんです!」


 メルフィーは咄嗟とっさに先生の腕を引っ張った。

 先生は「おい」と、極めて珍しく声を荒げるが、悲しいかな腕力はメルフィー以下なのです。


 「と、言うわけで早く帰りましょう、先生!」

 「おい、あんまり引っ張るな」

 「やれやれ……嫌われたものだね」


 メルフィーは頬を赤くして先生を引っ張りました。

 先生が人気者なのは喜ばしいけれど、自分よりも美人に鼻の下を伸ばすのは、やっぱり悔しいじゃないですか。

 そりゃあさ、先生が誰と付き合おうと、それは先生の勝手だと思うけれど、自分の前で、人生でも女の魅力でも上回る女性に奪われたら、手も足も出ないじゃない。

 ほとんどロクにわがままなんてしたこともない、メルフィーにとって、これは無自覚な反逆でした。


 「タナカ、実はな希少な素材が手に入ったんだ、良かったら家に来ない?」

 「ウィズダムだ。興味はある、どういう性質だ?」

 「炎に強い反応があってね、炎の水って言うんだよ」

 「石油……のようなものだろうか?」

 「ククッ、君の知らない物質かも?」

 「興味は尽きんな、それは」

 「せ・ん・せ・い!」


 自分の前で、他の女性と楽しそうに会話しないで!

 なんて、そんな浅ましい事、言えるわけないじゃないですか……。

 先生の女でもあるまいし、それでもその嫉妬の感情に対してメルフィーははっきりとした答えはありません。

 ただ悔しい、自分が先生から関心を引く事が如何いかに難しいか知っている。

 レイシィは学問こそ違うが、メルフィーを遥かに上回る広範こうはんな知識を持っている。

 先生もそりゃ半熟タマゴの助手より、レイシィの方が魅力的だと思うだろう。

 敵わないなんて、認めたくないっ。


 「大体、なんで着いてくるんですかっ!」

 「別に構わないだろう? 今は彼と話しているんだ」

 「ううーっ!」

 「何を怒っているんだ……?」


 先生っ、どうして気付いてくれないんですか!

 段々メルフィーは鈍感どんかんな先生に苛立いらだってしまう。

 冷静になれば、先生が女性になびく姿なんて、想像も出来ないっていうのに。

 気がつけば冷静ささえ欠けていく、メルフィーはこのダークエルフ女史が苦手であった。

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