第25話 裏の世

 吟は私を遠ざけるようになった。

 朝のお仕度、お側役、今では鬼火助くんの役目。呪いうつしを断じて禁じる。とのおさたが出ただけで毎夜のお香作りにも吟は現れない。

 空いた時間を埋めるために私は妖都に赴いては紫月を売り歩くようになった。門限付きは変わらず。

「本日も町ぞえか?」

「はい、沢山売ってきます」

「そうか。気をつけて」

「行って参ります」

「行ってらっしゃい」

 白梅ちゃんの見送りに手を振った。


「ささ茶でも飲まんか」 

 売茶翁に声を掛けられた。歩き疲れた私には甘言に聞こえてしまいお茶を口に運んだ。

 夕刻前でも妖都の夏は蒸し暑い。皆が涼む定番は瀑布の滝。涼を取りに来るあやかしに茶を売るのが売茶翁。浮世絵にもよく登場した。

「お前さん見たところ栴檀師様かい?」

 売茶翁が訪ねてきた。

「様だなんて。玉藻前 花純と申します」

「ほうう名があったのかい。それは失礼した。住まいは鬼頭の屋敷と聞いた。今日は非番かい?」

「はい。鬼屋敷は近いうちに出るかもしれませんが、もう少しお世話になるかと」

「独立なさいますか。ご立派でございます。住まいの目星は付けておられるのか?」

「まだです。早急に探さなければなりません」

 売茶翁に指摘されるまで身の回りの世話を考えもしなかった。

「知り合いに空き家持ちがおりましてな、訊いてみましょうか」

「え、会ったばかりなのに宜しいのですか?」

「今では栴檀師様のお香は必需品。手に職を持つ方ならば家賃を支払える見込みもあるでしょうから即決でしょうな」

 私はその場に起立した。

「はい! 勿論でございます。お支払いは滞りません。ご迷惑もお掛けしません」

 逃してはならない待遇だわ。

 売茶翁は私を大家さんの住まいへ案内してくれた。

「雨が降ると足場が悪くて、梅雨時は石や竹を敷くのですよ」

 舗装された道ではなく、雰囲気も暗く空気が薄い。

「表と違って建物が少し変わっていますね」

 浮世絵や御伽噺でさえ出てこなかった初物ばかりは興味深い。

「そりゃ珍しいでしょうな。表あやかしにとっては。しかしわしらにはこれが日常だ」

「表のあやかし?」

 売茶翁の声が若がった気がした。

「少しばかし痛いがな」

「痛み?」


 お酒の香りがする……吟を起こさなければ!


「やっと起きたか?」

「あな、たは?」

 面識がないあやかしを斜めに捉えた。

「騒がなければ縄を解いてやる。噂の栴檀師様」

 男が草煙をふかして言った。

 直ぐに状況を理解できた。要するに私は囚われの恰好で眠っていたらしい。

 座敷行灯が照らした端切れだらけの身なりに、平たい頭が特徴的なあやかしが悪そうな笑みを貼り付けていた。

「あなた達はぬらりひょん一族」

 薄い髪に瓢箪型の顔、分厚い眉毛は町の野次馬の中で見た覚えがある。

「はっは、種族なんぞ心の声で発言する。さすが世間知らずの栴檀師様や」

 失笑の間も私の眼線は機敏に察知した。

 漁師の道具が囲炉裏の周りを囲み、天井には虫の巣と複雑に編み込まれた縄網が吊られてある。この家に高価な物は見当たらないが、あるとしたらぬらりひょんが咥える煙草ぐらい。

「寝床の心配か? 安心したまえ」

 私の両腕を二方のぬらりひょんに掴まれた。 

 連れて来られたのは蔵。その中に見慣れた物があった。

「格子……私を閉じ込めるのですね」

 前足に力を入れて抵抗したが両脇の二方は私を宙に浮かせた。

「ある物を作ってもらわねぇとな。わし等のために」

「紫月ですね。それなら格子がなくとも、たんまり作って差し上げます」

 紫月を売った金子を自分達の儲けにする気だ。魂胆は見え据えている。

 蝋燭の明かりが、ぬらりひょんを照らした。

「わしはぬらりひょん本家の当主、はがねだ。わしの名を聞いても無知であろうが、あやかしは皆知っておる。鬼が妖都を占拠する前はわしらぬらりひょん一族があやかしの頭だったからな。表も裏らも、我らが妖都を牛耳っておった」

 呆気に取られている間に蝋燭の灯が増えた。

 鮮明になる視界にはぬらりひょん一族が並んでいた。その表情は憎しみを孕む引き攣る笑みばかりが揃っていた。

「鬼一族が代々、君臨したと私は知っています」

「酒吞吟、あ奴が招いたこの地獄。わしら一族は地に落ちた。異能を持つせいだ。民は鬼を畏れひれ伏したのじゃ。気が付けばこの有様よ。なあ、お前さんなら鬼が持つ三つの異能を知っておるか?」

「無作法な方達には知っていたとしても教えるつもりはありません。さぞ昔の妖都は朽ちていたのでしょうね」

「口答えはそこまで。部落に鬼が参ろうとて数なら上だ。鬼の勝利は地に堕ちよう」

 高笑いの背に瞼が見開いた。

 ぬらりひょんが身に纏う半被の背面には。


「追儺招福」


 鬼は外、福は内。鬼を厭う者の合言葉が書かれていた。

 家の口に柊の枝に焼いた鰯の頭を飾った門は鬼除けの象徴。私には所縁ない場所だと思い込んでいたが、柊鰯の門を潜ってしまった。これでは吟が、鬼は、入って来られない。

「ぐだぐだと口を濁しよって。こ奴が地獄行きでもかまわんのだな?」

 蔵の扉が開いた。背負っていた荷物のような物を地面に転がした。

「布を外せ」

 白地の布が剥がされた。

「黒羽様!」

 眼を瞑ったままの黒羽様は羽を畳んで眠っているかのようだった。頬には傷が。

「凄まじい顔もできるじゃねぇか。こいつを再び妖魔にしてやっても構わんがな。お前の行動が左右するぞ」

 黒羽様の顔に歯先が向けられた。

「やめて! 黒羽様に手を出さないで」

「ならばさっさと紫月を作れ!」

 黒羽様の傍らにて私は香を練り上げた。普段よりも素早く普段よりも数多く。


「やればできるじゃねえか。褒美をくれてやる。望む物を口にせよ」

 褒美も礼も思いつかないのが私。眼を細めたところで何も浮かばない。

「花純殿の首が……如何なされましたか」

 声に振り返ると黒羽様が上半身を起こし、見開かれた瞳孔は左右に揺れていた。

 吟を治療した際にできた痣を見ているのだろうか? 黒羽様の眼線が教える。

「念のため私には近寄らないで下さい」

 私は一歩下がった。黒羽様の眼がぎょろりと私の背後に睨みつけた。

「神使いを狙うとはなんたる不埒者。花純殿、こ奴らに耳を貸してはなりません」

「それは困る。今こいつに褒美を与えると言ったところだ。無かったことにする気か? なんたる卑劣者」

「では褒美は傷の手当薬を下さい」

「わたくしめの手当てに褒美を使うのでしたら花純殿のお香とやらを嗅ぐわせてほしく存じまする。香具を用意下さい」

「香具を選んでしまえば傷の手当てができません」

 突然片目を瞑った黒羽様。

「神使いは明敏な頭脳かと思いきや香具だと。それでいいのだな、栴檀師」

「はい。香具をご用意下さい」

 嘲る笑いは蔵を去ったあと、黒羽様の気配を察知しながら距離を取った。

「申し訳ございませんが今お香を持ち合わせておりません」

「こちらをお使い下さいませ」

 受け取ったのは練り香。

 褒美の香具を受け取り、さっそく焚く準備を始めた。

「この香り」

 鼻腔から脳に充満させる安堵の香りは不安を和らげた。

「黒羽様が、なぜこのお香をお持ちなのですか?」

「あるべき日に備えてほしいと、金木犀のお香を鬼頭よりお預かりしました。鬼の眼は誠に方々にあるようでする。これを使う日が来るとは」

「大旦那様自らがこれをお持ちになられたのですか?」

「はい、鬼に懇願されるのは初めて、それは驚きました」

 もみじ様の忠告どおりになっている。私は吟の足を引っ張り危険と隣り合わせにさせている。

「何事も備えの危機回避は大切でする。わたくしも四神を護ことに徹しておる。ただ致すのではなく、生きていてほしいと願いを込めておりまする」

 金木犀の香りが蔵を充満させた。

「このままでは空気が薄くなりませんか?」

 香りが強くなり過ぎていた。

「事前に蔵床下の喚起口は開閉致しておりまする」

「事前とゆうと?」

 黒羽様に訪ねたが返事は無い。代わりに匂いが変わった。

「ん? 焦げ臭くありませんか」

 私の声に続いて強く叩く鐘の音が鳴った。

「半鐘知ではありませんか? 黒羽様、近くで火事が起きています」

「いかにも。こちらが火事でするから」

 全身のうぶ毛が立った。最悪の事態が起きてしまった。右往左往の動きが止まらない。蔵を焼かれては黒羽様が危険。

「心配はご無用。火事と喧嘩は妖都の花と云いまする。蔵職妖の蔵ぼっこが施す技法は、漆喰塗を三十尺も重ねており耐火性に優れた蔵でございまする」

「本当に燃え移らないのでしょうか?」

「姿は小さいですが蔵を作らせれば右に出る者はおりません。さあ、いよいよ本番でございまする」

 黒羽様は手を鳴らした。

「喚起口を事前にと、まるで火事を予想していたように聞こえるのですが?」

「ええ、全ては鬼の計画通りでござります」

「計画があったのですか? もしや大旦那様が関わっているのでは?」

 鐘が一段と騒がしくなると怒号が入ってきた。

「よくも騙してくれたな。この醜女がああああ」

 蔵の扉が開くと、はがねさんが血相をかいて立っていた。

「教えて差し上げまする。金木犀のお香は鬼頭以外誰も保持しませんゆえ、外で焚かれるとなれば、救難信号。その慌てた顔、鬼一族がお見えでございまするな」

「やりよったな、くっそめが」


「玉藻前!」

「花……」

 鬼火丸さんと鬼火助くんが現れた。鬼火助くんの声が震えている。私は咄嗟に首元を隠した。鬼火丸さんの視線の先が顎より下。私の痣を確認したに違いない。私は笑みを設えた。

「先に黒羽様をお助け下さい」 

 身なりがどうであれ、私より黒羽様を。

「今しがた鬼頭はこちらに向かっておる。それまで持ち堪えろ」

 足音に意識を集中させた。

 近づく吟の足音を捉えると吸った息を整えてから手を前につき頭を下げた。

 しかし泥を含んだ衣は重く誰かが操っているかのように躰が傾いてしまった。

「すまない、花純」

 吟の声が耳を撫でた。

「はがね、花純を狙っておることは初めから承知だ。お前は眼が腐っておるようだ。花純を捕らえたとて、我ら鬼一族は滅びるものか」

「ふん、異能を盾に成り上がりの鬼めが偉そうに。お前こそ何も分かっておらぬ」

 吊り上がった笑みが手を鳴らした。ぬらりひょん一同の頭が下がると鳳笙が鳴った。


「お待ちしておりました。万事計画どりでございます」


 龍笛に切り替わると羽衣から龍の旗を持つ青龍様の一族が整列。

「神御一行か。説明しろ、ぬらりひょんども」

 鬼火丸さんが怒号を響かせた。

「やはり鬼は何もかも抜けておるな。わし等裏あやかし共々は四神様の味方であり鬼の謀反者である。初めから栴檀師を狙っておるのは、青龍様の方。わしはその手助けをしたまで。どうだ、鬼頭の吟さんよ。お手上げかい?」

「昔と変わらぬ横暴さは健在のようだな。鬼を舐められては困るのだがな。侮るな。どちらが魂胆を隠しきれておるのやら」

 吟は冷静だった。はがねさんの眼は吟を睨み歯軋りを鳴らしている。

「さっさと認めろ。鬼が負けだ」

 旗持ちの二方の頭が下がり始めた。

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