第11話 夏越の祓え 壱

 ――水無月の夏越の祓えをするあやかしは千とせの命延ぶといなふ。


「本日の茶門は夏越の祓い使用ぞ。大きな茅の輪が今宵の門。花ちゃんは茅の輪をくぐるのは初めてか?」

「分かりきったことだろ。どうせ浮世絵で知った、だろ」

 さすが何事も解釈が素早い白虎様。私の口を閉じさせた。

「白虎の口には饅頭でも詰めておこうぞ」

 私の腕に手を絡ませた白梅ちゃんは口を尖らせる白虎様に言った。

「仰るとおりです。本物は今日が初めてですね」

 二方の間に入る私は真正面の丸い輪を指さした。

「あれは茅で作られておる。夏越の祓えには必要な輪での、茅をくぐれば厄が落ち身が清められる。三度の唱えも忘れてはならいぞえ」

 私の呪いは祓えなが教えどおり潜った。


 ――水無月の夏越の祓えをするあやかしは千とせの命延ぶといなふ。


 稽古場に向かう白梅ちゃんを見送ってから白虎様が顔を覗き込んできた。

「恐れ多く近寄れず四神に、あやかしは永劫ひれ伏せるが、お前はいつも平然としておるよな。初対面の頃は頭すら上がらなかったくせに。そろそろ己を弁える頃合いでは」

 槍が突き刺すような視線に私は眼尻を下げて頬を緩めた。

「頑丈に鍵を掛けた心にすっと入って下さったのが白梅ちゃんです。私は白虎様を避けた方が宜しいですか?」

 少し距離を縮める。

「ななななんだ急に」

「白虎様ときちんとお話した試しがありませんよね。少しでも白虎様を知りたいのです」

「うつけ。俺は話す気も距離を縮めるつもりはない」

「声は投げられて拾う、次は投げ返して拾ってもらえるそうです」

「要するにお前と楽しく会話しろと。知ったこっちゃねえ、俺と朱雀を一緒にするな。自意識過剰に終止符打ってやらねばな。そもそも朱雀がお前を慕うのは幻を見るためだ」

「幻?」

「知らないのか。朱雀は黙っておるのだな」

 不吉な笑みを見てしまった。

「教えて下さいませんか。その笑みの意味を」

「神使いとお前を重ねておるのだ。ついでに言っておくが俺の憎き者は妖魔とお前だけだ」

 鈍い音が地面で唸った。白虎様の拳が畳に埋もれた。

「黒羽は朱雀の神使いだった。切っては切れぬ糸で繋がれておった。されど、それを糸も簡単に切ったのが妖魔だ」

「何かあったのですね」

 白虎様は息を止めた。息を吐いたと同時に出る言葉が想像できてしまう。きっと悪くを招いたのだ。私の心が構えた。

「黒羽は穢れた」

 白虎様の眼は畳に練り込んだ拳よりも赫怒を放っていた。

 私はその場に根を下ろした。謝罪とは違う。突き付けられた真実は白虎様の心で煮だっているが、私は聞いてあげることしかできない。安易に言葉できない。頭を低くして頷いた。

「私を恨んでいる理由ですね。だから私を遠くへ行かせたかった」

「そうだ。お前は……おまえは」

 視界に白虎様。それから、白虎様の後ろに表情を引き攣る色めく白梅ちゃんが立っていた。

「当たりようがない怒りを花ちゃんに放つのか! それで黒羽は帰ってくるのか? 昔が戻ってくるのか。幻覚を見ているのは白虎の方ぞ」

「朱雀、俺はお前のために」

 白虎様は後ろを振り返った途端、声が止まった。

 白梅ちゃんの袂を調節する桃乃月様が手を鳴らす。

「晴れ舞台に痴話喧嘩はおよし。ささ見てやって、白梅の艶美な立姿。眼玉が零れ落ちそうだねぇ。立方の着物は引き着。留袖の裾が長く艶やかでなければならないの。普通の着物の三倍の反物で拵えるから重いがねぇ、とくに足に絡まらないように裾に綿を多く詰めてあるから体力も要るのよ」

 息が止まりそうだった。いや、止めていたかもしれない。

「とても色っぽいです白梅ちゃん。お似合いです」

 勇ましい立ち姿に私は膝の誇りを叩いた。

「白塗りは蝋燭の灯りでもっとも艶冶にさせるの。帯の締め方にも拘りがあるってねぇ、今にも解けそうで解けない柳結びに、細く美しい脚の線が出れば、腰が締まって見える裾つぼまりは艶ある柳腰になるのさ。灰汁抜けした芸者のようでしょ」

「これもお姉さんの賜ぞえ」

「いいや、稽古に励んだ白梅が手に入れた立ち姿だねぇ。自分を褒めてやって」

「白虎、今日の麻呂はどう映っておる?」

 そっぽ向く白虎様の前に移動した白梅ちゃんは、顔を傾けてにっこり口元を上げた。

「……き、きれいだ」

「ほおう、雨が降りそうな褒め言葉ぞえ。白虎、麻呂は其方が愛おしい。花ちゃんも愛おしい。二方の心に糸が繋がるまで麻呂は待っておるしかできんぞ。白虎よ、憎む相手を間違えておる。花ちゃんは麻呂の大切な友、同じ屋根の下に住まう家族ぞえ」 

「単調な一本の糸より結び目がある糸の方が頑丈と思わない? 見栄えは結び目だらけでも結び直した意志が毅然たる糸にさせる。始めの糸に失敗したなら結び直せばいい。花純ちゃん、白虎様、白梅の願いを聞いておやりな」

 桃乃月様に背を押された。

 白虎様は視線を逸らして外に行かれてしまった。白虎様に避けられている気がして、私も避けていたかもしれない。気づかない間に溝を深めていたなら私はその溝を埋めたい。


 私の着替えは桃乃月様が整えて下さった。

「花純ちゃんは半玉さんだから、ちょいと面に色付けておいたよ」

「ありがとうございます。えっと、これは鏡ですよね?」

 鏡の前に座ったはずだけれど?

「偽物の鏡なんか金華楼どこ探してもありやしないよ。鏡に映るのは花純ちゃんだよ」

 振り袖の着物に桃割れの髪型に花簪をつけて赤い紅を差してもらった私。顎をあげて悠々と着飾る私が鏡の中にいた。気恥ずかしくて鏡に会釈してしまった。

「これが、わ、た、し。こんなに艶やかな着物に腕を通すのも初めてです」

 何度も姿見を上下に見た。生意気と吟に笑われてしまいそう。

「この着物の文様は花青海波。今宵の宴は雅であっても花純ちゃんの役目は危険を伴うでしょ。あたしなりに祈りを文様に込めたのさ。あたいも花純ちゃんと共に戦うからねぇ。無限に広がる穏やかな波のように後来の永劫と安寧を願うわ」

「はい、桃乃月様が側にいると思うだけで心強いです。白梅ちゃんとまた違う着物ですね」

 所々に裏紫色の花青海波があった。

「着方も着物それぞれあってねぇ、白梅は黒の下地に赤い帯を締めて、金の刺繍なぞる帯を締めてあるの。艶を出す着方は、露わにした首元も浅く着せるのがお決まり。夏越の祓いの神様も艶美な白梅を観ればご機嫌でしょうねぇ。これがあたし流の神楽さ。さあ、夏越の祓いは天界の神々を四神様が接待する日でもあるのよ。緊張は要らない。淫靡な視線はありやせんし、そこのところは神にも秩序があるわ」


 花筵宴。桃の華の下で始まるしらべ。私の憧憬する本物を眼に入れるときがきた。


 夕刻の鐘が鳴り終えると船を漕ぐ音が混雑する。門で迎える芸者衆を私は遠くから見届けてから、島の四方に紫月を焚き始めた。今夜の紫月は普段以上の大きさに練った。時間を稼ぐためにも長く焚く必要がある。

 次は海辺の確認にへ行く。

 着いたそばから不審な動きで俯く男性のような女性のような風貌が片足を庇っていた。

 よく凝らしてみると脚を引っ張っている? 岩場に挟まったようにも見える。

 見ず知らずの私が近寄って声を掛けてもいいのかな? 手を貸したいけれど。

「其処のお方。手を拝借下さいませんか?」

「わ、私ですか?」

 周囲には自然があるだけで意志を持つ生き物は私だけ。間違いなく私が呼ばれたのだ。

「嵌っていますね」

 屈んだ私は中ぐらいの岩を動かした。腰まで伸びたその方の長髪が私の頭を撫でる。

「助かりました。あり難き救いの手でございました」

 その声はか細いながら男性の声。見上げた先に私と眼が合った。


 あっっ。


 なんてお綺麗な方なの。あやかし? とは違うお顔の造りは眼線を停止させる美貌がある。

「如何されましたかな」

「申し訳ございません。限られた方としかお会いしないもので、まだ慣れておらず」

「奇遇ですね。わたしも同じです。限られた方と限られた場所にしか足を運べません」

 会話一つに笑みを施されるそのお方は陽だまりに包まれた安堵を私に齎す。まるで白梅ちゃんに似ている。

 丁寧な話し方に身が締まる中、私は会釈をしてこの場を立ち去る準備をした。

 私の行動を読み取るように、そのお方は帰路が同じと言わんばかりに私を誘導する。

「わたしもこちらに用があります。途中まで同行しても宜しいか?」

「はい」

「つかぬことをお伺いしても?」

 そのお方の動きが止まった。

「はい、私にご要望がおありでしょうか?」

「ようやくこの日を迎えました」

「はい、夏越の祓えですね。私も楽しみです」

「ずっと楽しみに、 この日を待っておりましたよ。花純さん」

「えっ」

 名を呼ばれて顔に力が入った。

「わたし達は昔にお会いしました。少しながらのお時間でしたが、わたしの心に残っております。いつかまたお会いすると願っておりました」

 眼球があちらこちらと迷子になった。思い出せないのだ。記憶が無い。貴方様にお会いした絵が頭に描かれない。なのに私の名を知っていた。

「私には見覚えがなくて。申し訳ございませんがいつ頃でしょうか?」

「花純さんが十の頃です」

「それはどこでお会いされたのですか?」

「私の宮にて」

 始めからその話はおかしい。だって私は格子から出た記憶はない。絶対に出られなかった。

「恐れ入りますが、勘違いをされていませんか? 私は訳がありまして家から出たことがありません。もしも出られていたならば、それは大層な夢でございます」

 私に眼尻を下げて微笑みを下さるその方に首を振った。

「無理もありません。花純さんの記憶は封じられていますから。鬼の力によって」

 

 鬼?


「えっ……私は記憶を失っている」

 眠り薬を飲んだ後のように頭が呆然となった。

「幼少期の記憶を知りたいあらば封印を解かなければならない。しかし、その解き方は」

 その先を知っている。妖力を掛けた相手がその妖力を解くことができる。

「鬼とは、どの鬼なのでしょうか?」

「詳しくは分かりません」

 私の知る鬼はただ独り。吟の一族。その中でも私の記憶を消せる力の持ち主と言えば、吟の父様! いや、鬼にはそのような力は無い。ならば誰が、そもそも記憶を消す妖力は存在しない。

「わたしの中で鮮明に昔が残っておりますゆえ、お口添えしましょうか?」

 声が遠のくは、そのお方は空気に馴染むように消えたからだ。探す余力もなく私はその場で打ちひしがれた。それでも脚に力を込めて心を鬼にし私は金華楼の最上階へ向った。


「おかえり花純ちゃん。さっそく酒呑様の側へおゆき」

「ただいま戻りました」

 

 ふぅ――


 複雑な気持ちのせいで深呼吸が浅い。

 胸元の貝殻を握りしめて、枝垂れ桃の暖簾を潜った。

 枝垂れの中は笑い声で賑わっていた。白虎様だ。魚採りの真似を妖艶な動きとおかしな表情で盛り上げていた。

 温まる笑い声の横を歩み、吟の側に付いた。

「か……花純か?」

 吟の眼を一度見てから頷いた。

「すまないねぇ酒呑様。今宵は手が足りなくてねぇ、花純ちゃんに手伝ってもらっておるの」

「聞いておらんぞ」

「ええ、今申しましたから。さあ、どこの席に付かせようかしら」

 桃乃月様の態とらしい素振りに心臓が口から飛び出しそう。

「どこにも行くな。ここに座れ」

 吟の手はすかさず私の手首を掴んでいた。

「花純ちゃんは酒呑様の席ねぇ。あーあ、忙しいたら忙しい」

 嵐のように去った桃乃月様。私と吟だけに。気まずい。謝って許してもらうのも違う気がするし、とにかくお酒の力を借りて吟を大虎にする。記憶を飛ばしてこの風景を消すのだ。

「いつ栴檀師として役目を果たす」

「具合を測っております」

「はああ」

 吟はげっそりしたため息を吐いた。

「変ですか、私」

「変だ」

 きっぱり答えが返ってきた。今日の姿を気に入っていたのに。

「お酌しましょうか?」

 袂を押さえながら徳利を取る。

「やけに色づいておるな」

「桃乃月様の教えの成果が出ているのですね。特訓のおかげです」

「ふん、最初で最後だな。このような格好にこのような場は」

 一献口含む吟の飲みは周りに比べて早い。徳利が糸も簡単に空になってしまう。

 酔いが回り始まったのか吟の眼が座りだした。

「私は席を外しましょうか。せっかくのお酒の席なので大旦那様のお眼鏡に適う妓を探してきます」

 立ち上がる私の腕を吟が掴んだ。

「不要だ」

「お酒が不味くなるのでは?」

「味など初っぱなから無味。ただの水だ」

 徳利の香りはお酒。吟の頬も赤くなっている。飲ませすぎてしまった。

「お水をお持ちしましょうか?」

「どこかにゆくのだろ。花純の魂胆は見えておる」

 吟が駄々をこねている。話題を変えなければ。

「四神様がお見えになると聞きました。いつ頃ですかね」

 辺りを見渡すが以前と変わらない。

「すでに御簾の中にいる。あまり眼を散らすな」

 正面にある舞台の右横に御簾があった。

「あちらにおいでなのですね」

 四神様、神々様は、顔を晒さないのが掟。あやかしが覗いてしまえば打ち首の刑。

 気のせいか、吟の席に付いた辺りから御簾の方向から誰かの気配を感じていた。

「どのような神々なのですか?」

「朱雀は稀の性格だ。その他は冷酷悍ましい」

 白虎様が申されたとおり神の驕慢を纏っている。白梅ちゃんを破門するぐらいだもの薄情者かもしれない。

「そのような着物が好きか」

「着物ですか? そうですね、私はかか様のお下がりでしたので真新しいと特別感があります。今回桃乃月様に新調していただきました」

「新調? 随分前から今宵が決まっておるかのような言い分だな」

 しまった。口が滑った。

「言い間違えです。誰かの新調された着物をお借りしているだけです」

 吟だけ徳利が二倍の大きさに変わった頃、旬の食材の先付けから始まり椀物、向付、焼物が折敷に並ぶ。白梅ちゃんの神楽は焼物が出頃に始まった。

「今宵、神楽を捧げるのは白梅。寒風のなか凜と気品ある白い花を咲かせる濃艶な舞をご堪能下さいませ」

 桃乃月様の壇上が終え、三味線が鳴る。白梅ちゃんの準備が整ったようだ。

「いよいよ始まりますね」

 艶っぽい足裁きは腰へ上半身へ手先に流れるように舞い、効かせた流し眼に誰もが声を漏らした。

 舞台下から見張るあやかしの表情はうっとりしている。眼から後光を放っているかのような優しい眼差し。

「綺麗ですね、白梅ちゃん」

「ああ」

 右手にお猪口、片手に氷、吟の視線は忙しい。

 盛大な拍手の変わりに桃の花びらが蒔かれると、幇間の白虎様が剽軽な踊りで皆の笑いを誘った。表情は怒っているが切れた動きに磨きがかかっていた。

 神楽の終わりは桃乃月様が締めくくるさわぎ。天功の扇子を持ち、くだけた踊りを見せた。これは料理出しの順番と舞を合わせている。くだけた踊りが始まる頃には料理の後半となり、煮物、天ぷらを〆に料理も締めくくられた。

 白梅ちゃん白虎様それぞれ御簾前の被毛線に手先を重ねた。二方の表情は硬い。張りつめた緊張感は離れた場所でも伝わる。

 壇上では桃乃月様の声が響く。どうやらお遊戯に入るようで場が賑わぎだした。

 お遊戯は桃乃月様が指南下さった愉しげなものばかりだが今回は艶めくお遊戯でないことに安堵している。

「じゃ、花純ちゃんは女役ね。男役は酒呑様にしましょうか」

 賑やかな側で私は聞いてはいけない言葉を聞き取ってしまった。

「女役って、そのお遊戯は始めに指南下さった、あれではありませんか?」

「ええ、涼しくなったからよ。いいじゃない。相手は酒呑様なのだから」

「よくありません!」

 桃乃月様は一体何を考えているの? 吟に耳打ちする桃乃月様はお遊戯の説明をしたのだろう。吟の眼が見開いた。

「断る。見世物みたいなお遊戯できるものか」

 よかった。吟が断ってくれた。桃乃月様は何度か頷く。諦めた様子が垣間見られ胸を撫で下ろした。

「もし、宜しければわたくしに男役を拝借願いませんか。桃乃月殿」

 大波が引いたような静けさが耳を痛くさせた。異様な方向に眼を向けた。

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