第47話 夜の誘い

 夕食を終え、ホールケーキをふたりで完食したあと、エルヴァンクロー公爵城へと戻った。

 出迎えたハルクとエリルナをはじめ、使用人たちは、出発した頃とは明らかにアルベルクとサナの雰囲気が違うため、不思議と勘づいたようであった。

 部屋まで送るというアルベルクの言葉に甘え、サナは彼と一緒に廊下を歩いていた。


「………………」

「………………」


 ふたりの間に、沈黙が流れる。サナの心臓は、今にも破裂はれつしそうな速さで動いていた。

 サナの計画も終盤を迎えるが、最大の山場はむしろここからだ。そう、初夜だ――。アルベルクと初夜を過ごすためにはまず、彼にその気持ちを伝えなければならない。無駄に紳士な彼のことだ。気持ちが通じ合ったからと言って、すぐに体を求めてはいけないとか、どうでもいいことを考えているのだろう。確かに一理あるかもしれないが、アルベルクとサナは既に夫婦であるのだから、そんなことは気にしなくていい。サナはそう考えていた。

 あれこれと考えているうちに、サナの部屋に到着してしまった。アルベルクの手がそっと放れていくが、彼の手をすかさず掴んだ。


「アルベルク様」


(言うんだ。言うのよ。サナ・ド・エルヴァンクロー)


 火が出そうなほど火照った顔を上げ、アルベルクをまっすぐに見つめる。ルビー色の瞳が燦然さんぜんと光る。



「今夜、一緒に過ごしてください」



 月明かりが射し込むふたりきりの廊下に、澄んだ声が響き渡る。アルベルクは目を見開いた。

 「今夜、一緒に過ごしてください」。その誘いが可愛らしいものではないということは、彼も分かっているだろう。


「………………」


 何も答えないアルベルク。不安に陥ったサナは、怖がりながら彼の相貌を見上げる。アルベルクは、目を見開いた状態で石像のように固まっていた。見事な硬直ぶりに、無自覚のうちに人体を固まらせる魔法でも唱えてしまっただろうかと煩悶する。


「サナ」


 アルベルクはようやく声を発した。固まっていたわけではないのだとひと安心して、手を放す。すると両肩を強く掴まれた。


「それはつまり……だと解釈していいんだな?」


 間近で問われ、サナはゆっくりと頷く。

 まさか、アルベルクは夜の誘いを断るつもりなのか。もちろん誰しも気分が乗らない時や体調が悪い時はある。伴侶や恋人からの誘いを断ってはいけないという決まりはない。だがしかし、今は状況が違う。サナとアルベルクは、結婚してかなりの月日が経っているのに、夜を共にしたことがないのだ。何回も夜を一緒にした過去がある上で誘いを断られるのと、初夜を断られるのとでは重さが違う。サナは既に一度、アルベルクから「無理をしてまで体を交えなければならないわけではない」と言われている。まぁそれは、アルベルクなりの気遣いだったわけだが……。


「サナ」

「はい」


 至近距離で見つめ合う。


「俺はお前を大事にしたい。だが、その気持ちと同じくらい……」


 アルベルクとの距離がさらに縮まり、唇に彼の息がかかる。


「お前と一緒にいたい」


 欲に呑まれる。

 アルベルクも。

 サナも。

 もう、逃げられない。

 逃げる気もない。

 互いに身をゆだね、熱く溶け合うその瞬間に向けて、ふたりは深いキスを交わした。




 エルヴァンクロー公爵夫妻の寝室に備え付けられた浴室にて。サナは、エリルナと数名の侍女の力を借りながら入浴を済ませた。指先まで完璧に磨き上げられ、オイルを塗りたくられた体は、未だかつてないほど艶がかっていた。リリアンナとのショッピングで入手したランジェリーを身に纏い、その上からバスローブを羽織る。意を決して浴室を出ると、寝室には既にアルベルクがいた。ソファーに座り、何かをまじまじと見つめている。こちらに背を向けているため何を見ているかは分からないが、僅かに紙を捲る音がしたため、仕事をしているか、本を読んでいるか、そのどちらかだろう。


「ありがとう。下がっていいわよ」


 サナの命令を受けた侍女たちは、頭を下げて寝室を出ていった。パタン、と閉まる扉。同時にサナは歩き出した。一向に振り向かないアルベルクを後ろから抱きしめ、彼の手に握られた書類を回収する。


「妻を待つ間に、お仕事ですか? 随分余裕ですね」

「………………」


 アルベルクの耳が林檎りんご色に染まるのが見える。サナは彼から離れ、書類をテーブルの上に置く。未だ呑気のんきに座っているアルベルクを立たせようと彼に手を伸ばすと、その手を掴まれてしまった。


「ほかごとでもしていないと、緊張でどうにかなりそうだった」


 今にも消え入りそうな声。「え、」と顔を上げると、体が宙に浮く。俗に言うお姫様抱っこをされている。あまりにも一瞬の出来事に、サナは困惑していた。アルベルクは彼女の困惑などよそに、すたすたとベッドまで歩き、彼女をゆっくりとベッドに下ろした。

 臀部でんぶを包み込む柔らかなベッド。ほんのりとオレンジ色の光を放つベッドサイドランプ。その隣に置かれたアロマ。そして、目の前には愛しい人――。

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