第46話 愛しい人
涙と熱を孕む目に見つめられ、全身から汗が噴き出すのを感じる。
「顔も合わせたことのない男のもとに、それも少しも好きではない男に嫁ぐなんて普通は苦痛だろう。だからこそ、距離を取れば、サナの心も穏やかになると思っていたが、それはただ、俺がお前を無理に娶ったという罪悪感から逃れたかっただけなのかもしれない……」
アルベルクとサナの指が絡み合う。
「サナは俺と必死に向き合おうとしてくれた。今では俺の誕生日も祝ってくれて、結婚してよかったとも言ってくれた……」
強く、力が込められる。
「間違えてばかりの……妻のひとりもろくに気遣えない俺と、結婚してよかったと、そう言ってくれた」
淡く色づいた唇が緩やかな弧を描く。夜空色に満ちる瞳の奥、世界に目覚めを促す
アルベルクは風貌や性格も相まって、夜や月のような人なのに、
「太陽みたい」
そう、太陽みたいな人でもある。
思わず口に出したその単語に、アルベルクは過剰に反応した。瞠目し、サナを一心に見つめている。
「アルベルク様。暗闇にいた私を救ってくれたのは、ほかでもないあなたです。あなたは、夜明けを告げる太陽みたいな方です」
サナにとってアルベルクとは、夜明けを告げる太陽であり、夜のように優しく包み込んでくれる存在でもある。
サナは、莞爾として笑う。彼女の笑顔に、そして彼女が告げた言の葉に、アルベルクは意識が朦朧とするのを感じた。夢でなければいい、現実であってくれ、とろくに信じていない神に向かって祈る。サナの太陽になりたいと思っていたが、まさかもう既にその願いが叶っていたとは、アルベルクも想像できていなかった。
「アルベルク様にとって、私はどんな人間ですか?」
アルベルクの手を握り返して、問いかける。
アルベルクにとって、サナはどんな存在だろうか。ただの妻か、思いがけぬ縁で巡り会った人か、それとも――。
(愛しい人とか?)
気分が良いサナは、心の中で調子に乗ってみる。
「愛しい人」
直後、アルベルクの唇から紡がれた音は、サナが心の中でおどけた言葉と同じだった。サナは弾かれたように顔を上げる。
「愛してる、サナ」
世界が無音に包まれる。
サナの目には、アルベルクしか映らない。
アルベルクの目にも、サナしか映らない。
互いを見つめ合うその時間は、間違いなく世界のふたりきりだった。
(アルベルク様が、私を、愛してる?)
サナの頭は、酷く混乱していた。
アルベルクは、そんな彼女を置いてきぼりにして喋り続ける。
「お前に婚姻を申し込む一年前、皇城で開催されたパーティーで、お前を初めて見かけた瞬間から、惚れている」
エルヴァンクロー公爵であるアルベルクから結婚を申し込まれる一年前、皇城で開催されたパーティーでのこと。アルベルクはサナを一方的に見かけており、その時に見初めていたと言う。一体どの場面のサナを見て、惚れたのだろうか。リリアンナに幼稚な嫌がらせをする場面か、レオンに
「お前を想い続けながら一年が経って……バルテル伯爵が娘の嫁ぎ先を探していることを知った」
アルベルクは汗が滲んだサナの手を掬い上げ、その手の甲にキスを落とした。漆黒の睫毛が上がる。
「逃がしたくない」
獲物を狙うかのような目に射抜かれる。
「俺がお前を幸せにしたい。そう思った」
あぁ、自分はなんて幸せ者なんだろうか。
南部のリーユニアを統治するエルヴァンクロー公爵家の当主であり、多くの女性から想いを寄せられているはずのアルベルク・ド・エルヴァンクローの妻というだけでなく、彼に愛されているなんて。都合のいい夢ならばさっさと覚めてほしいし、現実ならばこの先もずっと続いてほしい――。
「私も、アルベルク様を愛しています」
心の中で育んできた想いを伝えると同時に、涙が溢れた。アルベルクに感じることはたくさんあるけれど、「愛している」という一言だけで全てが伝わる気がした。
触れ合う手が、
絡み合う視線が、
通じ合う心が、
「あなたを愛している」と訴える。
「随分と遠回りをしてしまったようだ」
「ですが遠回りしたからこそ、お互いのことをもっと深く知れたではありませんか」
「そうだな……」
アルベルクは瞑目して微笑んだ。
夜の海。
ほんのりと明るい部屋。
眠気を誘う穏やかな音楽。
目の前には、愛しい人が、いた。
アルベルクの21歳の誕生日。サナとアルベルクは、一生忘れられない時間を過ごしたのであった。
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