第45話 あなたと、結婚してよかった

 ホールケーキが運ばれてくる。ケーキの上には、蝋燭ろうそくが立てられている。その蝋燭に火がつけられると、突如店内が暗くなる。ケーキの上で揺らぐ何本かの蝋燭と月光だけが輝く中、穏やかな音楽が流れ始めた。

 目の前に座るアルベルクは、目を見張り、ケーキの上の蝋燭を凝視していた。

 この世界には、サナが前世生きていた世界とは違い、誕生日のケーキに蝋燭を立てその炎を吹き消して祝うという習慣はない。しかしせっかくの誕生日だから、何か特別なことをしてあげたかったのだ。


「アルベルク様。ふうって消してみてください」


 サナは呆然とするアルベルクにそう促した。アルベルクは彼女に即されるまま、少しだけ口をすぼめて蝋燭の炎に息を吹きかける。見事に炎が消されたと同時に、店内が明るくなる。食事していた時よりもほんのりと暗いが、それがまた雰囲気が出ていて良い感じであった。

 サナの合図により、ウェイターがナイフでケーキを取り分ける。その間に、ほかのウェイターが何やらプレゼントらしき箱を持ってくる。サナはそれを受け取ると、ふたりのウェイターに礼を告げたのであった。


「こちらは私からのプレゼントです」


 アルベルクにプレゼントを差し出す。


「プレゼント……」

「どうぞ開けてください」


 アルベルクは丁寧にリボンを解き、箱を開けた。中からは、男性用のネクタイが現れる。青色と紫色を混ぜた夜空のような美しい色味。デザインはシンプルだが、一目見て上質で高級な物だと分かる代物だった。


「気に入ってくださるかは分かりませんが、心を込めて選びました」

「………………」

「アルベルク様?」


 アルベルクはただただ無言でネクタイを見つめていた。その目が見開かれていることから、未だ現実か夢かを理解できていないのかもしれない。

 サナは優しい笑みを浮かべると、アルベルクに手を伸ばす。彼の手の甲に自身の手を重ねて、そっと包み込んだ。


「アルベルク様。21歳のお誕生日、おめでとうございます」


 サナの祝いの言葉は、アルベルクの心を激しく揺さぶる。ケーキとプレゼント、そしてサナの言葉で、今日が自分の誕生日だとようやく気がついたのだ。

 もう、長らく忘れていた気持ちが蘇る。親しい誰かに誕生日を祝われるという久々の感覚に、アルベルクは思いがけず泣きそうになった。


「あなたと出会い、結婚したのは最近のこと。まだ一年も経っていません。ですが私は、あなたとの出会いは運命だったと、そう思っています」


 アルベルクとの出会いと結婚は、大失恋で傷心したサナにとって運命だった。間違いなく人生のドン底にいたサナを救い上げてくれたのだ。初夜を拒絶された過去があっても、結婚当初は冷たかった彼がいたとしても、それでも、アルベルクに感謝している。そして今では、レオン以上に彼に惚れ込んでいるし、不器用で可愛らしい彼を愛している。


「私と結婚してくださり、ありがとうございます」


 タンザナイト色の双眸が光り輝く。夜空を駆ける流星の如く眩い光を放った瞳が、潤む。アルベルクの目を見て感極まったサナは、衝動的に本音を曝け出した。



「あなたと、結婚してよかった」



 小さい声。だけど閑静な空間に反響する美しい声。

 アルベルクの瞳から、一滴の涙が溢れた。それを皮切りに、なん滴もの雫がこぼれ落ちていく。黝簾石ゆうれんせきの色をした目から生み出される涙は、全て純粋なものだった。

 触れ合った手から、アルベルクの震えが伝わってくる。


「俺は……お前を半ば無理やり娶ったも同然のことをした……。それなのに、」

「それなのに、です。それに無理やりではありません。結婚式の日、初めてアルベルク様を見て、この人が私の旦那様なんだってに落ちました。この人となら、この先の人生を一緒に過ごせると思いました」


 もしかしたらアルベルクには、サナを無理やり妻に迎えたという後ろめたい気持ちがあったのかもしれない。

 しかしサナは、アルベルクを一目見た時から、「この人となら……」という思いがあった。だからこそ初夜も楽しみにしていたのだ。それなのに彼に初夜を拒絶され、挙句の果てには距離を取られて……。


『無理をしてまで体を交えなければならないわけではない』


 アルベルクは、確かにそう言った。その時の衝撃を思い出すと同時に、サナの中にとある考えが芽生える。

 アルベルクにサナを無理に娶ってしまったという後ろめたい気持ちがあったのなら、彼が放った言葉は自分のことではなく、サナに向けたものだったのではないか。


(もしかして、アルベルク様は、私のことを考えてそう言ってくれたの……?)


 アルベルクは、バルテル伯爵の意向で無理に嫁がされたサナのことを気遣ってくれたのかもしれない。

 そのひとつの可能性に気がついたサナは、恐る恐るアルベルクの顔を見遣る。涙と熱を孕んだ目と視線がかち合う――。

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