第34話 あなたを信じる

 数秒の無音状態が続く。アルベルクは小さく嘆息して、華麗に剣を鞘に収めた。流れるような完璧で美しいその動作に、魅了されてしまう。


「嘘偽りなく、真実のみを述べるが……俺は断じて、そこの女、トリンプラ侯爵令嬢と不貞行為はしていない」


 タンザナイト色の目が、サナの後ろにいるマリアンヌを捉える。一瞬だがアルベルクにとって「そこの女」に成り下がったマリアンヌは、たまれない気持ちになり急いで顔を背けた。


「俺は、生涯妻であるサナ以外とそういった行為をするつもりはない」


 アルベルクは、マリアンヌにさらに追い討ちをかけた。彼の胸の内を聞いたサナは、涙腺が緩むのを感じる。

 アルベルクがマリアンヌと熱い一晩を過ごしていたらどうしようと、あんなに不安で仕方がなかったのに、彼の今の言葉で不安な気持ちは一気に吹き飛んだ。

 単純な人間かもしれないが、それでいいと思った。普段無口で無愛想、不器用な夫のアルベルクが、サナが欲しかった言葉を口にしてくれたのだから。彼の妻として、その言葉を信じたい――。


『無理をしてまで体を交えなければならないわけではない』


 アルベルクは初夜の後日、確かにそう言っていた。しかしお互いの努力により関係性が変化しつつある今、サナが彼に惚れたように、彼の考え方も変わってきたのかもしれない。

 最悪だった夫婦仲が修復に向かっている現状に、サナはそっと、口元に微笑を浮かべた。


「嫁入り前の娘の純潔を奪っておいて、今さらしらばっくれるおつもりですか!?」


 トリンプラ侯爵はサナの前に出ると、アルベルクに訴えかける。彼の必死な横顔を見たサナは、僅かに同情を寄せた。

 アルベルクの言った通り、あの夜何もなかったのだとしたら、マリアンヌが嘘をついていることになる。愛する自分の父親をもあざむいて、アルベルクの側妻の座を手に入れようとしていることになるのだ。

 トリンプラ侯爵はマリアンヌの訴えを真実だと受け入れ、彼女を庇っているのだとしたら、あまりにも報われない。


「失礼ながら、トリンプラ侯爵様。あの晩、旦那様とご令嬢の間には、本当に何もございませんでした」

「なん、だと……」


 ハルクが口を挟むと、トリンプラ侯爵は愕然とする。


「ご令嬢が旦那様のお部屋に入られた直後、ご令嬢はすぐに旦那様により追い出されました」

「なぜ、お前がそれを知っているのだ……?」

「私とふたりの見習いの執事が、ご令嬢が追い出されたその場面を目撃したからにございます」


 ハルクの主張に、トリンプラ侯爵のみならず、マリアンヌも驚いていた。彼女の顔色が真っ青に染まり、絶望の表情へと早変わりする。彼女のおかしな様子に、サナは確信する。

 マリアンヌが嘘をついた、と。

 きっと彼女は、アルベルクに追い出されたところを、自身が信頼する侍女以外に目撃されたとは思ってもいなかったのだろう。


「ご令嬢と侍女の方が去ったあと、私とふたりの見習いの執事は、旦那様のもとに向かい事情を伺いました。旦那様は、ご令嬢から奥様に関する大事な話があると言われ仕方なく部屋に招き入れたそうですが、突然告白され、挙句あげくの果てには体の関係を強要してきたそうです」


 ハルクは、あの夜にあったことを包み隠さず打ち明けた。

 マリアンヌはサナを利用して、アルベルクの部屋に入り、彼に告白して関係を迫ったのだ。なんと卑劣な行為だろうか。アルベルクはサナに関する話をしっかり聞きたかっただろうし、万が一耳をそばだてる不届き者がいた場合を考えて、本当に仕方なくマリアンヌを部屋に入れたのだろう。


「必要であれば、あの晩、私と共にいたふたりの見習い執事も、証人としてこの場にお呼びいたしましょう」


 ハルクはトリンプラ侯爵に対して、淡々とそう言った。


「サナ」


 アルベルクに名を呼ばれる。いつの間にか目の前まで来ていた彼が、優しく手を握ってきた。


「ハルクの言ったことは全て本当だ。お前に要らぬ心配や迷惑をかけたくないと思い、ハルクとほかの執事を口止めしていたのだが……令嬢が俺の部屋に入る場面をお前が見ていたのなら余計不安を煽ってしまっただろう。悪かった」


 マリアンヌに向けていた眼差しとはまっまく違う。許しを乞う眼差しだった。どことなく不安そうなアルベルクの顔に手を伸ばし、頬に触れる。


「こうして誤解が解けたのだから、それで良しとしましょう。私はあなたを信じます」


 アルベルクの瞳が揺れる。一気に緊張が解けたのか、彼は深い呼吸を繰り返した。


「マリアンヌ……一体どういうことだ……? お前は私に、嘘をついていたのか?」

「……お父様、違うのです! 私は本当にっ! アルベルク様と夜を共にして! ……それで……」


 トリンプラ侯爵に問い詰められたマリアンヌは、威勢よく声を上げたが、最後には俯いてしまった。


「嘘をつくのも大概にしてください、トリンプラ侯爵令嬢」


 サナはマリアンヌに厳しく警告した。


「どれだけ愛していても、返ってこない愛というものもあるのです。愛する人からの愛を求めれば求めるほど、躍起やっきになってしまう気持ちも分かります。私もそうでしたから……」


 過去の自分を哀れむ。


「ですが、どこかで諦めをつけなければ、惨めになりそして傷つくのは自分なのです。もっと、ご自身を愛してあげてください。幸せにしてあげてください」


 サナの、愛に溢れたむちの言葉に、マリアンヌの大きな目から涙がこぼれた。彼女は静かに下を向き、唇を強く噛む。


「申し訳、ございませんでした……」


 小さな声で紡がれた謝罪は、サナの圧倒的な勝利を、意味していたのであった。

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