第33話 怒り狂う公爵

「ご当主様! 我が娘マリアンヌをまずはご当主様の側妻に、そしていずれは本妻としてお迎えください!」



 トリンプラ侯爵の訴えに、サナとリリアンナ、ハルクは喫驚きっきょうする。

 トリンプラ侯爵は今、アルベルクに対して、マリアンヌを愛人に、そしていずれは公爵夫人として迎えてほしいと言ったのだ。


『この間お話した件、もう一度お考え直しを!』

『先日お話させていただいた件を、今すぐにでも推し進めましょう』


 トリンプラ侯爵の過去の発言が蘇る。もしかしたらそれらの発言は全て、マリアンヌを側妻として迎える件に関するものだったのではないか。彼は、だいぶ前からアルベルクに今の話をしていたのかもしれない。


「ご当主様が公爵夫人を迎え入れられる前は、マリアンヌが公爵夫人の最有力候補でした……。どうか、受け入れてください、ご当主様」


 トリンプラ侯爵が深々と頭を下げる。父親の隣で密かに泣いていたマリアンヌが涙を拭い、顔を上げる。


「エルヴァンクロー公爵……いいえ、アルベルク! も伝えたように、私は幼い頃から、あなたの妻になることが、あなたと結婚することが、夢だったの」


 マリアンヌは微笑みながら、アルベルクを一心に見つめる。家門の主への礼儀を欠いているが、彼女は今、アルベルクに幼馴染として向き合っているため、名前を呼ぶのも敬語を使わないのも故意的だろう。


「あなたがほかの令嬢……それもバルテル伯爵家のご令嬢を妻に迎えると聞いた時は、何日も寝込むくらいショックを受けたわ……。でも、私の気持ちは変わらない」


 エメラルドグリーンの目が輝く。

 マリアンヌは、本当に幼い頃からアルベルクを想っていたのだろう。彼の妻になる日を、彼の家族になる日を夢見て、毎日を過ごしてきたはず。アルベルクが両親を亡くした時だって、自分こそが彼の支えになるのだと決意したはずだ。そんな十数年にも及ぶマリアンヌの純情は、アルベルクと一度も会ったことがないというぽっと出のサナに木端こっぱ微塵に打ち砕かれてしまったのだ。マリアンヌがサナを恨むのも頷ける。


(だからって、アルベルク様のことは譲らないわよ)


 同情はするが、そこまで。マリアンヌの悲恋を助けてあげることはしない。サナにも、譲れないものがあるから。


「あの夜、共に過ごした時間を忘れたわけじゃないでしょう?」


 マリアンヌが座ったままのアルベルクに近寄る。



「私の純潔を奪った責任を取ってほしいの」



 赤い唇から紡がれた言の葉に、その場の誰しもが慄然とした。

 数日前の夜、エリルナと共に、アルベルクのもとに向かった時、寝間着姿のマリアンヌがアルベルクの部屋に入っていくという衝撃的な光景を目の当たりにした。やはりあのあと、マリアンヌとアルベルクは忘れられないような熱い一晩を過ごしたのだろうか。

 ひとり無表情を貫いていたサナだが、何者かの視線を感じる。一瞥すると、こちらを見ていやらしく笑うマリアンヌが……。すぐに彼女の視線は、アルベルクに戻った。

 先程、マリアンヌが余裕さを感じさせる立ち居振る舞いをしていたのも、そして今、サナを見て笑っていたのも、勘違いではない。マリアンヌはあの夜、サナが衝撃的な場面を目撃したことを知っている。サナの目に入るよう、わざとあの時間帯を選んだのか。マリアンヌの傍には常に侍女がいるため、その侍女と協力して悪事を働いたのか。

 怒ってしまってはマリアンヌの思うつぼだと考えたサナは、なんとか憤懣を殺し、冷静さを取り戻す。その時、黙り込んでいたアルベルクが席を立つ。そして壁に飾られた一本の美しい剣を手に取ると、漆黒のさやから迷いなく剣を引き抜く。極限まで磨き上げられた刀身に、マリアンヌとトリンプラ侯爵が映る。


「だ、旦那様! なりません!」


 アルベルクの意図に気づいたハルクが悲痛に叫んだ。


「家門を統制するために部下を粛清しゅくせいすることも、公爵としての勤めだ。最近随分と思い上がっているようだからな、二度とそんなことが言えないようにしてやろう」


 アルベルクがマリアンヌとトリンプラ侯爵に向かって歩いていく。


「利き腕を出せ」


 アルベルクは、マリアンヌとトリンプラ侯爵の手首を切り落とそうとしているのだ。ハルクに遅れて、彼の意図に気がついたサナが一歩前に出る。そしてマリアンヌとトリンプラ侯爵を背にかばった。


「そこを退け、サナ」


 普段の物静かなアルベルクとは違う。明らかに、怒っている。本物の殺気を前に、足が震えてしまうが、ここで引いてはいけない。


「アルベルク様。調子に乗った方々に処罰を下す前に、まずは妻である私の誤解を解くべきではありませんか?」

「っ……」

「実はあの夜、私は見たのです。トリンプラ侯爵令嬢がアルベルク様の部屋に入っていくところを」


 サナが素直に打ち明けると、アルベルクは目を見開く。


「あの夜から、私は気が気ではありませんでした。本当のことを聞こうにも、怖くて聞けなかったのです……。ですがこうなった以上、逃げも隠れもしません。ここではっきりさせてください、アルベルク様」


 サナは腕を組み、アルベルクと対峙たいじした。

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