第31話 さすがはヒロイン

「謝罪はまだですか?」


 リリアンナの問いかけに、マリアンヌは愕然とする。エメラルドグリーンの瞳の光が小刻みに揺れていた。


「トリンプラ侯爵令嬢? 聞こえていらっしゃいますか? 謝罪はまだかと聞いているのですが」

「……一体何を仰っているのですか?」


 マリアンヌは鼻で笑いながら、気まずそうな表情を浮かべる。


「皆まで言わないと理解できませんか? エルヴァンクロー公爵夫人に失礼な言葉遣いや態度を取った謝罪を要求しているのです」


 リリアンナはさも当然かのように、そうのたまう。終始笑顔を貫いているにも拘わらず、彼女の全身からは正体不明の負のオーラが溢れ出ていた。マリアンヌが明瞭めいりょう気圧けおされている。サナはリリアンナの強さを前にして、恐れおののいていた。

 サナがリリアンナに嫌がらせをしていた時も、リリアンナはそれを軽く受け流していた。相手にされていない現実にますます苛立ちを募らせたサナは、めげずに彼女を虐め続けたが、結局最後まで、これといった反応や反抗が返ってくることはなかった。今だから断言できるが、彼女がサナと同じ土俵に立っていたら、サナは完膚かんぷなきまでに叩きのめされていたことだろう。まともに相手にされたが最後、サナは一生レベルのトラウマを抱えることになっていたかもしれない。

 リリアンナがサナのことをその辺の石ころ、小さく可憐な花にもなれない雑草程度と認識してくれていたため、サナは九死に一生を得たのだ。


「まさか、謝罪なさらないおつもりですか?」


 リリアンナの声のトーンが一段と低くなる。彼女の機嫌に合わせ、木々がざわめき始め、周囲の気温が低下した。


「エルヴァンクロー公爵夫人……。先程は、無礼な言葉遣いや態度を取ってしまい、申し訳ございません……」


 マリアンヌは今にも消え入りそうな声で謝罪した。そして、唖然としている侍女を連れて、そそくさとその場を立ち去った。去り際、こちらを一瞥して口端を吊り上げたことだけが気がかりだが、追い払うことに成功したため、ひとまずは良しとしたいところだ。


「リリアンナ様、助けてくださりありがとうございます」

「いいえ、私とサナ様の仲ですもの。私でよければ、いくらでもお助けいたします」


 リリアンヌは両手を合わせながら、花が綻ぶように笑った。マリアンヌに向けていた笑顔とは打って変わって、心からの笑顔だった。

 まだそこまで仲良くなった覚えはないが、リリアンナの言葉を否定し彼女の逆鱗げきりんに触れでもしたら、トラウマ級のイベントが発生してしまうかもしれない。そう考えたサナは、柔和な雰囲気を纏いながら一笑する。


「ところで、リリアンナ様。公爵城をご訪問されるというお話は伺っておりませんが、一体なんのご用でしょうか?」

「エルヴァンクロー公爵を訪ねに来たのです。私の旦那様が公爵と事業に関する契約を結んだようなのですが、先日お送りした契約書に不備が見つかり、新たな契約書を持って参りましたの」

「そうだったのですね……。しかし、伯爵夫人であるリリアンナ様が、リーユニアの地までわざわざお越しになることでは……」


 そこまで言ったところで、リリアンナの表情の変化に気がつく。突如無表情になったリリアンナは、俯いてしまった。機嫌をそこねてはいけないと察知したサナが口を開こうとすると、リリアンナがパッと顔を上げた。彼女の顔を見て、サナはギョッとする。


「サナ様にお会いしたかったのです……!」


 リリアンナは涙目になりながら、胸の内を明かした。サナとの距離を詰めて、彼女の手を強く握る。


「私が直接公爵城をお訪ねすれば、サナ様とまた面と向かってお話しできると思ったのです……。エルヴァンクロー公爵との進展の件もお聞きしたかったですし……」


 リリアンナの言葉にサナはハッとする。

 以前、リリアンナがレオンと共に、エルヴァンクロー公爵城を訪ねて来た際、サナはリリアンナにとある相談をした。そう、夜の誘いに関してだ。リリアンナは、サナから誘ってみてはどうか、無理そうならデートからではどうか、と的確なアドバイスをしてくれた。彼女のおかげで、サナはアルベルクとデートすることに成功したのだ。


「サナ様にお会いしたかったですし、たくさんお話ししたいこともありますし、思い切ってお訪ねしたのですが、もしかしてご迷惑でしたか?」

「そんな……。迷惑だなんてことはありません。訪ねてくださりありがとうございます」


 そう言うと、リリアンナの顔が晴れる。


「ですがまずは、アルベルク様とのお仕事を終わらせませんか? 個人的なお話はそれからにしましょう」

「はい! 一瞬で終わらせて参ります!!!」


 リリアンナは目を輝かせながら、宣言する。これでは、仕事を片付けに来たのか、サナに会いに来たのか分からない。しかし不思議と嫌な感じはしない。むしろ、自分を慕ってくれていることに関しては、大変嬉しく思う。サナは微笑を浮かべながら、リリアンナをアルベルクのもとまで案内しようと歩き出したのであった。

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