第19話 カチンときたから
仲睦まじく話すアルベルクとマリアンヌを見つめていたサナは、小さく息を吐く。
「ご挨拶に伺いましょう」
エリルナが頷く。アルベルクとマリアンヌがいる場所に向かうべく、歩を進める。
サナは、トリンプラ侯爵の娘であるマリアンヌを知らなかった。結婚式には、トリンプラ侯爵と侯爵夫人も訪れていたし、挨拶もした。しかし、その時マリアンヌは不在だった。ほかの傘下の家は、令息や令嬢を連れていたのに、だ。体調が悪く出席できなかったのだろうか。それとも別の理由、例えば、アルベルクがほかの女と結婚するところを見たくないと出席を拒否したのだろうか。
なんとも言えない気持ちに
悶々とした気持ちに支配されるまま歩いていると、いつの間にか目的地に到着したらしい。長い階段を下り、正面の扉からトリンプラ侯爵とマリアンヌを笑顔で出迎えようと決意したその時、正面の扉が開かれる。そこから入ってきたのは、アルベルクとマリアンヌ、トリンプラ侯爵だ。
「アルベルク様」
アルベルクに声をかけると、僅かに驚いた様子の彼と目が合った。優雅に、そしてなけなしの気品をなんとかアピールしながら、階段を下りる。アルベルクの隣に立ち、マリアンヌとトリンプラ侯爵に微笑みかける。
「トリンプラ侯爵、お久しぶりですね」
「これはこれは……エルヴァンクロー公爵夫人。お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
トリンプラ侯爵は微笑みながら挨拶する。
「こちらは私の娘、マリアンヌです」
「お初にお目にかかります、エルヴァンクロー公爵夫人。私はマリアンヌ・ダ・トリンプラと申しますわ。以後、お見知り置きを」
トリンプラ侯爵の紹介を受け、優美に挨拶するマリアンヌ。見た目が麗しいだけでなく、声も美しいとは。サナは感心する。
「お会いできて光栄です、トリンプラ侯爵令嬢。サナ・ド・エルヴァンクローと申します。いつも夫がお世話になっております」
「………………」
マリアンヌはキラキラとした笑みを浮かべるだけで、何も言わない。その姿に恐怖を感じたサナは、そーっと目を逸らしたのであった。
「サナ。トリンプラ侯爵には、今日からこの城に一ヶ月ほど滞在してもらう予定だ」
「そうなのですね。大切なお仕事ですか?」
「リーユニアの新たな観光業についての話し合いのためだ。お前には極力苦労をかけないようにする。トリンプラ侯爵のことは空気とでも思ってくれ」
「……く、空気、ですか?」
アルベルクの言葉に、サナは小首を傾げた。明らかに怒っているトリンプラ侯爵が目に入るが、アルベルクはそれに気がついていない。彼は突然、距離をぐっと詰め、トリンプラ侯爵とマリアンヌには聞こえぬよう、小声で話しかけてきた。
「お前が気にかける必要はない。いつも通りに過ごしてくれたらいい」
「……分かりました」
小声で言うべきことは、空気
「あの、アルベルク」
マリアンヌの声が聞こえた。ふたりの親密な一時は、彼女の言葉のハンマーによって叩き割られた。
(今、アルベルクと、呼んだの?)
サナは驚いた面持ちでマリアンヌを見遣る。彼女だけでなく、アルベルクもトリンプラ侯爵も、そして空気と化していたエリルナさえも、マリアンヌを凝視していた。
同じ家門出身、昔馴染みの友人とはいえ、家門の主、貴族階級の中でもトップに
「マリアンヌ!」
トリンプラ侯爵に
「申し訳ございません……エルヴァンクロー公爵。昔の癖で名を呼んでしまいました……。
マリアンヌは、深く頭を下げて謝罪する。
「次からは気をつけてくれ」
アルベルクが冷々とした声色で告げると、マリアンヌは恐る恐る頭を上げる。
「エルヴァンクロー公爵。私も、お父様と一緒に、この城に滞在させていただけませんか?」
マリアンヌの突然の頼みにも、アルベルクは特に驚かなかった。そんな彼とは反対に、サナは心中でかなり焦っていた。
アルベルクに未だ気持ちがあるかもしれないマリアンヌが、父であるトリンプラ侯爵と共にエルヴァンクロー公爵城に滞在する。それがどれほど、危険なことか。アルベルクの妻であり彼に想いを寄せているサナは、その危険性を重々理解していた。
「ご当主様、娘の度重なる無礼をお許しください」
「……どういうことだ、侯爵」
「実は……家門の一員である娘にもリーユニアが誇る観光業を学ばせたいのです。女性ならではの
トリンプラ侯爵の真剣な表情に、アルベルクは考え込む仕草を見せる。
「
マリアンヌのどこか違和感の残る言葉に、サナの
「アルベルク様、私は構いません」
「サナ、俺は、」
「おふたりが幼馴染であることは事実でしょうけど、間違ってもおふたりの間に何かあるなんてことはございませんよね?」
サナは、アルベルクとマリアンヌを交互に見る。当たり前だと頷くアルベルクに笑いかけた。
「それでしたら構いませんよ。トリンプラ侯爵、侯爵令嬢、ようこそ、エルヴァンクロー公爵城へ。公爵夫人である私がおもてなしいたしますね」
悪女の時の血が騒ぐのを感じ、サナは笑みを深めたのであった。
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