第17話 夕日と海

 デートをしめ括る最後の場所は、リーユニアの海だ。まさか浜辺まで貸し切ったのか、と危惧したが、大勢のカップルがいることから、心配は杞憂きゆうに終わった。


「綺麗……」


 サナは、目の前に広がる海を見つめて呟いた。

 沈みゆく太陽の光に照らされた海は、キラキラと輝いている。地平線が美しい。リーユニアの海が世界一美しいと言われる理由がよく分かる。

 ヒールを脱ぎ、ドレスをたくし上げて、足先を海にひたす。夏の暑さをやわらげる、ひんやりとした冷たさが全身に広がっていく。振り向きながら、アルベルクに笑いかけた。


「アルベルク様も一緒にいかがですか?」


 サナの誘いに対してか、太陽と海をバックに微笑む彼女の美しさのせいか、アルベルクは愕然とし、暫しその場から動けなかった。

 ローズブロンドの髪が光を吸収して淡くきらめく。ルビー色の瞳は、本物の宝石よりも何倍も何十倍も、価値のあるものに見えた。

 周囲のカップルたちが、一枚の絵画かいがのようなサナの美しさに見惚れる中、アルベルクはようやく我に返る。靴を脱いで海に入るという、貴婦人としてあるまじき行為をするサナは、彼の目に新鮮に映った。


「妻の誘いを断るわけにはいかない」


 冗談交じりそう言ったアルベルクも靴を脱いで、すそまくると、躊躇ためらわず海に入る。


(アルベルク様と海の豪華コラボレーション!!!)


 サナは内心興奮しながら、アルベルクを注視した。アルベルクは彼女に手を差し出す。


「転ぶと危険だ。掴まっていろ」

「あ、ありがとうございます」


 アルベルクの手に触れると、強く握られる。無意識のうちにスパダリぶりを発揮する夫に、サナは心を激しく揺さぶられた。


「ふふふ」

「……どうした」

「アルベルク様と子供のように楽しむことができて……本当に嬉しいのです」


 サナの言葉を聞いたアルベルクは、小さく瞬きした。


「デートして、一緒にこの美しい景色を見ることができるなんて、以前の私たちでは考えられなかったことですよね」

「……そうだな」


 アルベルクは頷き、地平線を眺める。その横顔に、サナは惚れ惚れとした。彼女だけではない、周囲の女性は皆、アルベルクの美貌に釘付けだった。


「アルベルク様。私たちは、前より深い関係性になれたのでしょうか?」


 サナはドレスを握る手を離し、アルベルクの手を両手で握る。ドレスの裾が海に浸かってしまったが、その光景さえも美しく見えた。


「あぁ。深い関係性になれただろう。前よりも、ずっと」

「っ!」


 アルベルクの返事を受けて、サナは勢いよく顔を上げる。アルベルクの顔は、ほんの少しだけ赤く染まっていた。夕日のせいだろうか。それとも、サナのせいだろうか。彼の頬に手を添えて、指先で髪を払い除ける。

 視線が、かち合う――。

 無音の時間が訪れた。周囲の人々の黄色い歓声も、さざなみの音も、日暮れを知らせる鳥の声も聞こえない、ふたりだけの空間だ。



(好きです、アルベルク様)



 今はまだ、口には出せない想い。

 いつか、面と向かって伝えられる日が来るだろうか。

 その時は、アルベルクもこの想いを受け入れてくれるといい。あわよくば、「俺も好きだ」と答えてほしい。

 好きな人と両思いになる、愛し合うということがどれほど奇跡的なものなのか。大きな失恋を一度経験したサナは、それが痛いくらい分かる。

 片思いするのは、これで最後にしよう。奇跡を、アルベルクとの間に起こそう。


「サナ……」


 波の音よりも爽涼そうりょうな声で名を呼ばれると同時に、とてつもない破壊力を誇る整った顔面が近づいてくる。


(き、キス!?)


 額と首筋、背中と両手にじんわりと汗が滲んだ。手汗をかいてしまった、と焦るサナはアルベルクの手を咄嗟に放す。距離を取ろうと後退ると、水中で足が縺れ、転びそうになってしまう。激しくりながら、次に来る衝撃に身構えた。刹那、腕を強く引かれ抱き寄せられる。水飛沫みずしぶきが上がる中、目の前にアルベルクの顔が広がった。


「大丈夫か?」

「……ありがとう、ございます」


 呆然としながら礼を言う。

 転びそうになったサナを助けてくれたのは、アルベルクだった。いとも簡単に引き寄せて、全身が濡れるのを防いでくれたのだ。


「ドレスがだいぶ濡れてしまったな」

「あ……」


 サナは自身のドレスを見下ろす。スカート部分の裾だけでなく、至る所が濡れてしまっている。アルベルクとのデートのために新調したばかりのドレスだが、エリルナに何かと小言を言われてしまいそうだ。


「風邪を引いたらまずい。そろそろ行こう」


 腕を引かれ、慎重に海から出る。足裏に纏わりつく砂の感触を感じながら、潮風に揺られる黒髪と大きな背中を見つめて、サナは小さく微笑んだのであった。

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