第15話 恋を自覚する

「アルベルク様。今度、私と、デートしませんか?」 サナの美しい声が反響する。柔らかな夜風がふたりの髪をもてあそぶ。


(お、おお! 言ってやったわ!!!)


 サナはアルベルクから顔を背けて、内心ガッツポーズを掲げる。


「………………」

「………………」


 アルベルクから返事がないことを不審に思ったサナは、怖々こわごわと彼の顔を見る。呆気あっけに取られていたアルベルクは、そっと口元を手で覆う。長く角張った指の隙間から見える頬は、ほんのり暗い部屋の中でも分かるほど、赤らんでいた。


「あぁ……」


 小さな声が聞こえる。常に、アルベルクの一言一言に注目しているサナでなければ聞き逃してしまうくらい、小さな声。サナは思わずその場で飛び上がってしまった。


「ほ、本当ですか? 言質げんちは取りましたよ!」

「あぁ、本当だ。一緒にどこか行こう」


 アルベルクに手を握られる。温もりがじわりと広がり、徐々に熱くなっていく。熱帯夜ということもあり、気がついたらサナは全身に汗をかいていた。


「俺の、考えすぎだったみたいだな……。お前がほかの男を遊びに誘うものかと思い込んでいたが、まさか俺のことだったとは。勘違いしてしまって悪かった」

「い、いいえ。こちらこそ、勘違いさせてしまうことを言って、ごめんなさい」


 互いに謝罪する。

 無言でこちらを見つめてくるアルベルク。南部のリーユニアを見下ろす夜空の如く、美しい目に呑まれる感覚に陥ったサナ。どっと額から汗が溢れた。

 アルベルクが頬を緩める。小さな花がほころぶような優しい笑みに、サナの心臓が爆発的に跳ねた。119にアクセスして救急車を呼びたい衝動に駆られるが、この世界には救急車という概念がないことを悟り、ひとり胸の痛みに悶え苦しむ。



(好き。どうしようもなく、好き……)



 サナは、はっきりと自覚した。

 自分自身が抱く感情の意味を、鮮明に理解した。

 これは間違いなく、恋だ。

 サナ・ド・エルヴァンクローは、アルベルク・ド・エルヴァンクローのことが好き――。

 レオンを一途に想い続けたサナだが、今度はレオンではなく、アルベルクを想い続けることになりそうだ。だが、前回の恋とは違うことがひとつだけ。それは、成就じょうじゅする可能性が高いということ。そう、ふたりは既に夫婦なのだから。


(アルベルク様はどうして私と結婚したのか未だによく分からないけれど……恋心を向けられたら離婚とか、そういうのはないわよね……?)


 サナはちらりとアルベルクの美貌を見上げる。先程の笑顔は消えていたが、美しさは変わらず健在けんざいだ。

 妻から愛情を向けられて嫌がる夫など、この世にいるのだろうか。いたとしても、アルベルクが彼らの部類に入るとは考えられらない。少なくとも嫌ということはないはずだ。


「行きたい場所はあるか?」

「え?」

「デートで行きたい場所はあるかと聞いている」


 サナは座り直す。


「……正直に申し上げますと、アルベルク様と出かけられるのであれば、どこでも嬉しいです」


 可愛らしく微笑むと、アルベルクは瞠目どうもくする。思った返事ではなかっただろうか、と不安になったサナは、両手の指先を擦り合わせもじもじと体を動かす。


「そう、か……」


 喜悦と困惑が混じった表情を浮かべるアルベルク。

 「なんでもいい」、「なんでも嬉しい」という言葉は、一見相手のことを考えているように見えて、そうではない時もある。今みたいに、逆に相手を困らせてしまったり悩ませてしまう場合だ。それを瞬時に察知したサナは、口火を切る。


「まずは街のレストランで昼食を取ってから、劇場や美術館に参りませんか? 劇場では最近公開されたばかりの新作の演劇が楽しめますし、美術館ではちょうどリーユニア出身の画家や彫刻家たちの展覧会が開かれていますよ。夕刻頃は浜辺に行きましょう」


 サナは、白い歯を見せて笑う。


「リーユニアの海を、あなたと一緒に見たいです」


 その一言に、アルベルクは息を呑んだ。真顔で固まる彼を前に、一方的に提案しすぎたかとサナは冷や汗を流す。


「も、もちろん、アルベルク様が嫌でなければですが……」


 すぐさま保険をかけると、アルベルクはかぶりを振った。


「お前のしたいようにしよう」


 了承を得ることに成功したサナは、心の底から安堵した。

 アルベルクを好きだと自覚した矢先に、彼から嫌われるのは耐えられない。好きだからこそ、愛しているからこそ空回からまわりしてしまうのは、レオンを好きだった頃からのサナの必殺技とも言える。アルベルクと良好な夫婦関係を築くためには、決して空回りしまくってはいけない。

 いずれはサナからアルベルクを夜の関係へと誘い、あわよくば……彼にも、自分という人間を好きになってもらいたい。

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