第13話 覚悟を決める

「はぁ」


 エルヴァンクロー公爵城、会合の間では、家門の話し合いが行われていた。

 間には、陰鬱いんうつさと緊張感が混じり合うというなんとも気味の悪い空気が立ち込めている。その空気を生み出しているのは、会合の席の上座に腰掛けたエルヴァンクロー公爵、アルベルクだ。


「はぁ」


 本日二十四回目の溜息。会合の席に座る貴族たちは皆、笑顔の裏側、「勘弁かんべんしてくれ!!!」という心境であった。

 アルベルクの傍らに控える執事長のハルクは、主人の陰気な背中を眺めていた。思い返せば、二日前、リリアンナとレオンが帰ってから、アルベルクはこんな状態だ。何がそんなに彼を悩ませているのか。それは、幼い頃から共に彼を知るハルクにも難題であった。


「本日の会合は以上だ」


 アルベルクは一言で会合を切り上げて、席を立つ。


「ちょ、お待ちください! ご当主様!!!」


 そそくさと間を立ち去ろうとするアルベルクを引き止めたのは、エルヴァンクロー公爵家の家門の中でも最も古い貴族、トリンプラ侯爵家こうしゃくけだった。

 ハーベル・ダ・トリンプラ。くせひとつないブロンズレッドの長髪を緩くくくった男性だ。アメジスト色の瞳が美しい。


「我々は、三ヶ月に一度行われる会合のためにわざわざ公爵城へやって来たのです。毎度、家門にとって重要な報告や取り決めを行っているにもかかわらず、今回は……ご当主様の私有地に住み着いている動物たちにえさをやりたいというよく分からない宣言だけだとは……。そんな宣言を聞くために我々はここに来たのではございません!」


 トリンプラ侯爵の悲痛な訴えに、ほかの貴族たちは何度も頷いた。

 先程、会合が始まった早々、アルベルクは「私有地の森に住み着いた小動物たちに餌をやりたいのだが、これに反対する者は?」とよく分からない質問を投げかけたのだ。もちろん全員が頭上に疑問符を飛ばし、間全体を「?」で埋もれさせていた。重要な会合で決まったことがそれだけとは、各々の家の代表として参加している人々の面目めんぼく丸潰まるつぶれである。


「確かにそうだな」


 アルベルクは再び席に戻り、両肘をテーブルにつく。


「続けてくれ」


 澄んだ声が通る。トリンプラ侯爵の額に青筋が浮かぶ。「この若造わかぞうが!」と今にも殴りかかろうとする彼を、隣に座っていた貴族が必死に止めたのであった。

 数秒後、冷静さを取り戻したトリンプラ侯爵が口を開く。


「では、まずは恒例こうれいの報告から行います……! 我がトリンプラ侯爵家は……」


 トリンプラ侯爵の声をよそに、アルベルクはサナのことを考えていた。

 二日前、リリアンナとレオンを見送った際、リリアンナが発した「デート」という単語について、サナに問いかけた。しかし彼女は、明らかに誤魔化そうとしていたし、挙動きょどう不審ふしんだった。もしかして、彼女は誰かをデートに誘うつもりなのではないか。誤魔化したということは、後ろめたい気持ちがある、つまり誘う相手はアルベルクではないということ。ひとつの予測を立てたアルベルクは、酷く気分が沈んでいた。


「はぁぁぁ…………」


 アルベルクとて、恋愛経験が豊富ほうふなわけではない。告白や求婚を受けた過去は数知れずだが、女性とお付き合いしたこともなければ、キスやハグ、それ以上の行為も経験がないのだ。何をすれば女性が喜ぶのか、そんな知識もない。いかんせん、喜ばせたい、振り向かせたいと心から思う女性がこれまでひとりもいなかったのだ。もちろん、サナを除けば、の話だが。

 サナからしたら、自分との結婚は迷惑極まりなかったはずだ。きっと今でも、取りつくろっているだけで乗り気ではない。未だにレオンに想いを寄せていたらと思うが、先日のふたりの殺伐さつばつとした様子を見る限りあまり問題なさそうだ。それより、レオン以外にデートに誘いたいと思う男が彼女に現れたことが問題だ。そんな彼女にアルベルクがしてやれるのは、恋路こいじを応援することだろうか。

 胸が痛むのと同時に、爪が手のひらに食い込むほど強く拳を握る。


(妻がほかの男と恋に落ちるのを応援する男などどこにいる)


 アルベルクの全身から殺気が漏れ出す。

 これまでは、サナは自分との結婚を嫌がっているはずだと思い、なかなか彼女に近づけずにいた。だが彼女が後頭部を打ちつけ意識を失ったあと自分と離婚したがっていると知り絶望的な感情を味わってからは、ハルクの後押しもあって徐々に積極的になれている、と思う。彼女と離婚したくないし、彼女にデートに誘いたい男ができたからといってその様子を指をくわえて見ていたくない。

 アルベルクがさらに成長するしかないのだ――。


「ご当主様。この件に関して、ご当主様の知恵をお借りしたいのですが」

「……あぁ。サナは俺以外の男をデートに誘うつもりかもしれない。今のうちに対策を打っておくべきだろう」

「………………???」


 アルベルクに意見を求めた貴族は目を点にする。彼だけでなく、ほかの貴族たちも同様の目でアルベルクを見つめていた。ただひとり、トリンプラ侯爵だけが怒りに震えていたが。

 こうして会合は、特になんの成果を生むこともなく、虚しく閉じられたのであった。

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