第7話 密談

「あのおじさん、なんか嫌だ」

 連れて行かれる最中さなか、後ろ手に縛られたままカロンは呟いた。

 腑に落ちないといった表情の彼女から伸びる縄を握りながら、ショーンは少なからず同情する。

「君がいうことも分からなくない。ただ、君は余計なことに首を突っ込んでしまったようだな」

「だって……!」

「好奇心は探求者の大きな原動力となるが、時に自分の身を滅ぼしかねないのだよ。覚えておきたまえ」

 哀れむように、そして諭すように告げるショーンに、カロンはぐっと口を噤んだ。

(だって、聞こえたんだ……)

 今はもう遠くなってしまったせいか、聞こえてしまわなくなった泡の弾ける音。きっとあれは、声を失ったあの子が、何か特別な方法で出していた救命信号に違いない。

 自分もいわゆる『特別な力』を持つといわれてきた身だから、ごく自然に納得できてしまう。

 助けられなかったあの子はどうなるのであろうか? 檻に入れられたまま、馬車に運ばれて、どこか遠くに行ってしまうのだろうか?

「……おい?」

 関所――あの橋を渡りきってしまえば、間違いなくそうなるのである。

「どうしたんだね、君」

「……ショーンさん、でしたっけ?」

「ああ、そうだが」

「どうしても、あの馬車の中身を見ることはできないんですか?」

 今度は、ショーンが口を噤む番であった。悲しそうな瞳で見上げてくる少女を前に、望む答えを返して上げられないやるせなさが込み上げてくる。

「私、嘘なんかついて無いよ。あの馬車に、私と同じくらいの子が乗せられていたんです!」

「……君が嘘を吐いているとは思わない」

「じゃあ……」

「だが、すまない。私では見ることができないのだ」

 案の定、目の前の少女はすっかり肩を落としてしまった。

「……すまないな。こちらも、私と、私の家族の生活がかかっているんだ。上司の機嫌を損ねて、職を失う訳にはいかないのだよ」

「……ショーンさん、大変なんだね」

「同情してくれて嬉しいよ。君も大変だな」

「あの、おじさんのせいだね」

 聞いて、ショーンは小さく笑った。カロンもつられるように笑みを零す。

「……こう言ってはなんだがね。君が彼に遠慮の無い発言をした時、内心すっきりしていたのだ」

「よかった。だって、あのおじさんの髭、虫の触角みたいだったんだもん」

 これまた遠慮の無い発言である。しかし、ショーンはこれにも笑った。

「もっとも、本人は気に入っているらしいから、大きな声では言えないがな」

 そして、自分が握る縄の先の華奢な手を見やり、カロンに小さな声で囁くのであった。

「……君をすぐに地下牢から出してあげられるように努めよう。まだ子供だし、未遂扱いだから、そう難しくは無いはずだ。相手が相手だから、手間取ってしまう可能性もあるがね。とにかく、出れたら真っ直ぐ家に帰るんだよ。いいね?」

「それはできないよ!」

 間髪入れず、きっぱりと跳ね退けたカロン。思わずショーンは面食らってしまう。

「君、仮にも今はそんなことが言える立場では無いのだぞ」

「だって、私、探し物をする為に集落を出てきたから。ここで帰ったら、出てきた意味が無くなっちゃう」

「そうは言ってもな」

 気持ちは分かるのだが、あの男が関所にいる限り、この少女が通してもらえないのは目に見えていた。意外にも頑固な少女に、内心参ってしまう。

 できれば、少女には家に帰ってもらいたいと思っていた。彼自身、一人の娘の父親であるからだ。

 自分の娘はこの少女よりも幼いが、どうも重なって見えてしまって、他人ごとにはしておけない。

 つまりは、少女の一人旅が心配でならなかったのだ。

「そんなに大事な物なのか?」

「う、うん……」

「探しに行くときに、君のご両親は何か言わなかったのか?」

 カロンは少し口ごもった。

 何も言われていない、というか、両親は反対する余地が無かったのである。別れ際に祖父等と一緒に見送ってくれただけだ。

「……お父さんもお母さんも、みんなからのお願いだから」

 怪しい。やや間を置いてそう返したカロンに、ショーンは初めて彼女の言葉を疑った。

 子供を持つ親の勘である。きっとこの子は、『旅に出たこと』に関しては、何か隠し事をしているのだ。おそらく、口ごもったところから見て、両親の承諾もろくに得ぬまま家を飛び出してきたか。

 もしや、家出では無いだろうか。

 そうであったなら、有無を言わさず家に帰すべきである。

「……とにかく、君は家に帰るべきだ。どちらにせよ、関所を通るのはもう難しいだろうしな」

「そんな……!」

 味方とみていたショーンから出された望まない意見に、カロンは肩を落とさずにはいられない。しかし、結局ショーンは、地下牢に着いてもこの言葉を撤回してくれることは無かった。

 ただ、「大人しく待っているんだぞ」とだけ言い残して、足早にどこかへと消えてしまったのである。

「……そんなぁ……」

 雨に打たれて鼻を鳴らす子犬の様に、カロンは小さくうずくまりながら呟いた。頭を地下牢の冷たい壁に預け、長々と溜め息を吐く。

 去り際の、ショーンのこちらを気遣うような視線に気付かなかった訳では無いが、彼なら関所をこっそり通してくれるのでは、と淡い期待を抱いていただけに裏切られてしまったような気分が大きい。

(……帰れ、無いんだよ……)

 寂しい地下牢の中で、カロンは心の中でそう呟き、膝頭に額を乗せるのであった。


 所変わって、こちらは髭役人ことハープギーリヒの屋敷である。いそいそと、例の御者を自室に連れ込んで、部屋の中心にある椅子に座らせた。テーブルを挟んで、自分も向かい合うように座る。

「あのぅ」

 おもむろに口を開いた御者の言葉を、手で遮って、ハープギーリヒは答えた。

「分かっている、馬車は私専用の馬車倉庫に隠したし、見張りもバッチリつけているのだよ」

「は、はぁ! それは有り難いことで……」

「ふふん、冴え渡る私の気配りに感謝するがよいぞ」

 いちいち癪に触る男である。

 しかし御者は「はぁ」と答えただけで、それ以上何か言おうとはしなかった。この御者も、適当に流すことに決めたのであろう。

「……それでだね、御者よ」

「何で御座いましょう、旦那」

「馬車に積んでいた『アレ』はなんだね? ただの奴隷ではないな? ううん?」

 確認をするように、ハープギーリヒは細めた目で御者にそう問いかけた。肘を立てて組んだ手の指を虫の足のように回し、催促するような雰囲気を醸し出す。

「ええ、まぁ……」

 御者は歯切れ悪くそう切り出すと、身を乗り出し、ハープギーリヒに声を潜めて耳打ちした。

「旦那……、ありゃ『混ざりもの』です」

「なに、混ざりものだと?」

「はぁ」

 途端にハープギーリヒは顔をしかめ、何か強烈な臭いものを嗅いだかのように鼻に皺を寄せる。耳の周りをパタパタと手で扇ぎ、まるで話された言葉そのものを汚物として扱っているようだ。

「穢らわしい! 様子が変だと思ったら、あのガキは混ざりものか!」

「はぁ、高値での買い取り先がありまして。『一匹』捕獲してきたところで……」

 それを聞くと、彼は冷め切った表情で

「はっ、酔狂な奴もいたものよ!」と、吐き捨てた。

「あんなのでも、捕まえるのは結構苦労したんです。なにせ、あいつの出す声は厄介で仕方が無かったものですからね……依頼主が『生きていればそれで良い』って言うものだから、ちょっと喉を傷つけさせてもらったんですよ」

 酷い話である。カロンが見た傷というのは、これのことだったのだ。御者はそれに心を痛める様子もなく、言葉を続ける。

「あいつはまさに、バケモノですよ。この一週間弱、食べ物はおろか、水も全く与えていないのに、死ぬ気配が無いんですから」

「ふぅむ、流石は穢らわしき混ざりもの。しぶとさだけはゴキブリ並みだな」

 そう言って、ゴキブリの触覚を太くしたような髭を鼻息で揺らすハープギーリヒ。

「……で? いくらで売れるのだ?」

 結局、興味があることといえばそれくらいのものである。御者はニヤリと笑みを浮かべて、こそこそとハープギーリヒに耳打ちした。

 その桁外れの金額に、思わず目を剥く。

「な、なにぃっ?! あ、あああの混ざり者如きに、そんな大金を注ぎ込むのかっ?!」

「そう、約束して下さいましたけどねぇ」

「お、おい、お前。当然、その金は我がハープギーリヒ家にも回ってくるのよなぁ……?」

 目をギラギラとさせながら興奮気味に尋ねる彼に、御者の男も手を摺り合わせながら大きく頷いた。

「もちのろんで御座います、旦那!」

「そ、そうか! むふふ、そうかそうか!」

 ハープギーリヒは口を複雑に動かしたあと、満足そうに、弾む心を全面に出した笑みを浮かべる。

「ぬふっ、むふ……それだけの大金が回ってくれば、また新たな地位を買うことも可能だ、うぅん。そうしたら、あんな関所になんていてやるものか。もっと私に相応しい仕事場で、楽にガッポリ稼いでやるんだ。んふふふふ……」

 考えていることを全て外に垂れ流しながら、ハープギーリヒは小躍りする。特にこれと言った特技を持たないこの男にとって、上へ昇るには金だけが頼りであった。

 金さえあれば何でもできる。

 地位も買えるし、名誉も買える。豪邸に住むこともできるし、庶民では味わえない素晴らしい生活を送ることもできるのだ。金で出来ないことなど無い。

 悲しいことに、この男は本気でそう思い込んでいた。

 すると当然のことだが、ハープギーリヒの捕らわれた子供に対する価値観が変わった。

「おい、お前!」

「何で御座いましょう、旦那」

「いいか、あの子供を決して逃がすでないぞ。無事に依頼主に届けて、ガッツリ、ガッポリ金をもらってくるのだ!」

 勢い良く人差し指で指差しながら、命令口調でそう言いつける。金の亡者は、実に生き生きとしていた。

「……ところで、君は何時までそこにいるのだね? ううん?」

 突然、それまでとは打って変わって、ハープギーリヒは冷ややかな声を扉の向こうの相手に投げかけた。どこか挑発するようなその声に、扉の向こうに立ち尽くしていた人物はびくりと肩を跳ね上げる。

「なぁにを遠慮しているのだね? 入って来たまえよ、ショーン君?」

 声をかけられた人物――ショーンはなお、動けずにいた。なんてタイミングで、自分は来てしまったのだろう。冷や汗が後を絶たないでいるショーンに、ハープギーリヒ自ら歩み寄って行く。

 そして、扉を少しだけ開くと、その肩に手を乗せ、猫なで声で囁いたのだ。

「……君は、なぁにも知らない。そう、今も昔も知らないでいいのだよ。余計な正義感を働かせないでおきたまえ?」

 ――家族が、いるのだろう?

 ショーンは何も言えなかった。遠回しでありながら、核心を突く脅しに。

「さぁ、帰りたまえよ。私に用は無いだろう? ううん?」

「……あの子を」

「無いだろう?」

 言葉に上乗せされた言葉は、もっと深いところでショーンに告げている。立ち去らなかったら、どうなっても知らないぞ、と。

 ショーンは唇を噛み締めて、やや乱暴に一礼すると大股で屋敷を去っていった。部屋の前までショーンを案内してきた召使は、主人と客人であった男の顔を、困りきった顔で見比べている。

「うむ、君も去りたまえ」

「は、はい……」

 ショーンの後を追うように、召使もまたその場から立ち去ったのであった。

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