旅立ち編
第1話 霧深い森の冒険
夜の森の中を、ディーン族の子どもたちは身を寄せ合って歩いていた。
エルタニオン大陸西部に位置する、深く黒いシンセロの森。
その近くを流れる大河から霧が運ばれ、淡く怪しく漂っていた。
きょろ、きょろ、と。
6つの赤紫色の瞳が、せわしなく辺りを見渡している。
木々を縫って、森の奥からは冷たい風が吹き抜け、その風に乗って、寂し気な女の声が聞こえてきた。
ふぅっと、重いため息をつくように。あぁ……と、涙を流すように。
遠くから、近くから。時には耳元を掠めるように。悲嘆の声に合わせて霧は揺らぐ。
子供たちはそのたびに、しかと抱き合った。視界を覆う霧が、まるで女たちの裳裾のように見えてしまう。
ついに、とびきり背の低い少年は駆け出し、先頭を行く年長の少女の服を強く引っ張った。
「カロン、いつまで歩くの? いつになったら着くの?」
カロンと呼ばれた少女は、高く1つにくくった亜麻色の髪を揺らして振り返った。幼さの残るふっくらとした頬を、松明の明かりが橙に染めている。
太めの眉の間は緩く開かれ、丸く垂れ気味の目は、彼女の穏やかな人柄をありありと映し出している。人懐っこく、いかにも人好きする顔をしていた。
「もうすぐだよ」
声色は明るく、先導としてのやる気に満ちている。
14歳の彼女は、10歳になった子供たちをある場所まで導くという重要な役目があった。
「このまままっすぐ行けば、先に行った語り部さまが迎えてくれるから。怖くないよ」
「でも……」
口ごもる少年を察して、カロンは子供たちの視線の先を追った。
ゆらりゆらりと霧が揺れている。まるで誰か、そこにいるかのように。
だが、カロンがそれにおびえる様子はなかった。諭すように優しく、子供たちと視線を同じ高さにあわせて囁く。
「あれはシーピース。森の精だよ。寂し気に聞こえるのは、帰れない、帰れないって泣いているから」
「……帰れない?」
「自分たちの世界に――」
言いかけて、カロンは自分の口を抑える。
「……続きは、語り部様から!」
松明の灯りが高く掲げられる。霧がふんわり橙色に染まる。
「さあ、出発しよう! 冒険はこれからなんだから!」
ひときわ明るい声でカロンは呼びかけた。驚いた動物たちが葉音を立てて逃げ出していく。
驚いたのは動物だけではない。子供たちもまた、目を丸くしてカロンを見つめていた。
「おいで、面白いものを教えてあげる!」
カロンは端に立つ少年に松明を持たせると、自分は両手でほかの二人と手をつないだ。不安げに見上げる子供たちへ、血色のよい頬を持ち上げて笑いかける。
手と手を取り横一列になって、一歩を踏み出す。優しく手を引いて進む道を示す。
霧の中をすいすいと進んでカロンが案内をしたのは、幾重にも蔦が絡まる大樹だった。しかしその蔦の中に、淡く翡翠色に輝くものがある。爪を立てて蔦を割くと、中からぬめりのある種子が零れてきた。
蛍蔦。夜にのみ発光をするそれを子供たちが目にするのは、これが初めてだった。
「きれい……」
子供たちはぼんやりと光る種子を布でくるむと、腰の巾着に入れて、宝物のように扱った。
細い道を奥へ奥へと進んでいくと、背が低く、大ぶりの葉をつける木を見つけた。
その葉の下に隠れた赤紫色の実を探り当て、カロンがナイフで切り取る。
『目玉の木』だ。自分たちディーン族の目の色と同じ色の実をつけるので、そう呼ばれている。葉は薬味に、目の覚めるような酸味がする実は気付けとして親しまれている。
見つけたついでと皆で食べたが、唾液がこんこんとあふれ出て、しゃぶるのが精いっぱいだった。分かっていたはずなのに、と、顔をしかめるお互いの顔を見合わせて笑う。
葉の擦れる音が、普段よりも大きく聴こえる。
足の裏の感覚が研ぎ澄まされる。草の生えた場所、苔の蒸した場所、そして地面で、ずいぶん踏み心地が違う。なめし皮の靴ごしに、それはよく感じられた。
月明かりが切り出した枝葉の影。獣たちの足音。夜にしか咲かない花の甘い香り――
端々に潜む不思議な夜の森の煌めきに、次第に心奪われていった。カロンの言うとおり、恐ろしいばかりの暗闇ではなかったのだ。
「ね、楽しいでしょ?」
松明に照らされるカロンの顔は、生き生きと夜の森を見つめていた。
「目の前は霧だけど、見上げれば晴れてる。集落よりも良く星が見えるんだよ!」
子供たちは言われたとおりに、空を見る。
夜を生きる鳥の声が涼やかに空へ響いた。最初は怖かったそれですら、今の子供たちは興奮して聞き入っている。
そのとき、ぽつ、ぽつと。
暖かい雨が降ってきた。
頬を、肩を、柔らかく大粒の雨が濡らしていく。カロンは慌てて松明を受け取り庇おうとしたが、炎はすでに心もとない。
「急ごう、語り部様のところまで走るからついてきて!」
わあっ、と歓声をあげながら子供たちは駆けだした。シーピースの嘆きの声もかき消すほど、にぎにぎしく、ぬかるみを跳ねあげて。
うるんだ鹿の瞳がそれを見ていた。
あまりの賑やかさに、フクロウがため息を吐くように鳴いた。
小さなの冒険の目的地は、すぐそこだった。
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