氷雨と月との昼食 下段
「お嬢様、そろそろお昼ですよ」
何十本分かは覚えてないが、反復動作を繰り返していると、お兄様が遠くから話しかけた。
涙の熱は、全体に広がり、代わりに汗が流れている。
ドレスで身体を動かすのは結構大変だ。
「もう、そんなに経ってたんだ」
「一時間半くらいですかね。とりあえず、休憩も兼ねて昼食でもどうですか?」
いつの間にか、お兄様と空さんが座る椅子の近くには、クロスが敷かれたテーブルと、空いた椅子が二人と等間隔で、一つ置かれていた。
くぅ。
昼という意識が頭の中に入った瞬間、身体の方も応えてくる。
少し乱れた呼吸を深呼吸で戻していると、床に折りたたまれたタオルが置かれている。
これなら、べたべたした感覚でご飯を食べなくて済みそうだ。
「お疲れー。フィルちゃん」
「うん。おかげで魔力の使い方が分かった気がする」
椅子を引いて……あれ、この椅子高くて座りにくい。
「んっ……しょっと」
少しはしたないが、椅子のクッションを後ろ手に飛んで、ようやく掛けることが出来た。
座高の高い長椅子だ。多分ドレスで座ることを想定していないのだろう。明日からは、スカートの横幅がもう少し狭いものでも着ておこうかな。
「私、何か変な事をした?」
……前を向くと、なんだか二人にすごいほのぼのとした笑顔を向けられていた。
「ううん、何にもー。とりあえず、今日は三人で一緒に食べよっかー」
かちりと空さんが指を鳴らすと、白く敷かれたテーブルの上に、同じ色合いのティースタンドが置かれた。
「……昼食っていうより、アフタヌーンティーみたいだね」
「え?アフタヌーンティーって昼食の事じゃないんですか?」
お兄様が、よくある勘違いを口にした。
「違うよ。一般的には四時、五時あたりの茶会を指すの。夜ご飯前のちょっとした小腹を抑えるために、下段からサンドイッチと……ケーキと、あと……スコーンと一緒に紅茶を嗜む感じ。でも、ここまで大型のティーラックなら、三人でもいっぱい食べられそうだね」
「へー。可愛いけど、やっぱりフィルちゃんもお嬢様なんだねー」
「可愛いは余計……まぁ、昔お姉様が自慢げに教えてたから」
「……そうなんですか。ルッカ様が……教えたんですね」
「……なんでそこに噛みつくの、お兄様は」
「なんとなく、嫉妬しちゃっただけです」
「たまにめんどくさいよね……お兄様」
「あはー。二人共若いねー」
『いや、空(氷雨)さん(さん)も大して変わらない歳でしょ』
思わずシンクロして妙齢の彼女に突っ込んでしまった。
「仲いいねー、眼福、眼福」
『……ありがとうございます』
「あはー。何見せられてるのかな、私。殺すよー」
「……氷雨さんさんも大概面倒くさいですね」
余計な一言だと思うが、半分くらいは同意できる。
日常会話はこのくらいとして、肝心の昼食の方でも……
「……美味しい」
とりあえず、適当につまんだサンドイッチの中身は、キャベツとハムのミックスサンドだった。
「……そうですね。野菜のサンドイッチなのに、ちゃんと新鮮だ」
お兄様も一口食べた後、意外そうに口にした。
……私よりも、一口の食べる量小さいんだ。
「いつの間に作ってたんだね」
「ううん?これは昨日につくったやつだよ?」
『え?』
「そんな同時に困惑されても……」
困惑するに決まっている。
どれだけ高性能な刻印を施した、真空に近い状態を作る冷蔵庫でも、時間経過による劣化は必ず起こってしまう。
ましてや新鮮な生野菜なんて、二、三時間もしたらすぐに野菜自身の水分、で多少は味が悪くなるのに、これはまるで採れたての野菜で作ったかのような瑞々しさだ。
「どうやってここまで新鮮な料理を何日も持たせたんですか⁉教えてくださいよ!」
案の定、執事である彼にとって、気になって仕方がない案件だった。
空さんの方を、身体を乗り出しながらお兄様が聞こうとすると、空さんが仕方ないとでも言いたげな仕草をして彼の知識欲を満たすヒントを与えた。
「ほら、フィルちゃんの朝食の為に渡した鮭、あるでしょ?」
「はい」
「あれ、一週間近く『転移魔術』で収納してたんだよねー」
「……あー。なるほど、そういうことですか」
……どういう事?
「そういう事ー。相変わらず理解が早いねー」
ちょっと待って、今、物凄く置いて行かれてる気がする。というか置いて行かれてる。
「『転移魔術』の謎がまた一つ解けた気がしますよ」
「ふふー。奥深いでしょー」
二人は満足したようにサンドイッチを食べ始めた。
「技術の進歩って凄いですね。はむ……いつかは全ての謎も解明されそうですね」
「これから超加速的に魔術は……ふむ、進歩していっても、解決したことによって生まれる新たな謎が……ふむはむ、増えるけどねー。うん、キュウリも意外とサンドイッチに合うね」
いや、現在進行形で謎がこっちは増えているのだけど?
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