第1話 欠伸の出る日常

 数秒の幸福を抱きしめあった後、私の専属執事である月詠夢は、ベッドから先に出て、私の起き上がりを手助けする為に手を差し伸べた。

 蝶の髪飾りを付けた銀色の髪に、翡翠ひすい色の瞳。

 少年にも少女にも見える彼は、私に向けて優しい笑顔を投げかけていた。

「……」

 ベッドから降りて、外の景色を確認する。

 屋敷の外の桜は、既に散っており、葉桜の緑がまた違う景色を彩り見せていた。

 地面は、まばらなピンク色のカーテンとなっている。

「スルーですか」

「だって私、そこまでお子様じゃないから」

「さっきまで甘えていたじゃないですか」

「それは、それ。これは、これ」

「……そうですね。着替えを用意しますので、少し待っていてください」

 一つの溜息を後にして、月詠夢はベッドの近くにあるクローゼットから、私の服を一枚取り出した。

 私も、姿見の前に行くくらいのことはやっておこう。

 ぽす。ぽす。

 やわらかく、床の硬さも感じられるカーペットを歩きながら、私は自分と対面した。

 私の青髪は……乱れていない、癖毛のウェーブもそこまで不自然ではないし、このくらいなら櫛で何とかなる。

「そのくらいなら、僕がしますよ」

「ん、大丈夫。自分でやった方が楽しいし」

「はーい」

 私のすぐ後ろで、彼は適当に答えた。いつでも着替えの準備は万端のようだ。

 ……こう見ると私の身体は、歳にしては幼めだ。

 お兄様も、元旅人にしては華奢きゃしゃだが、それと比べても瘦せている。

 これでも、一か月前よりはしっかり食べているつもりだが……

「……どうしましたか?」

「気にしないで。さ、お願い」

 ぼーっとしすぎちゃったな。ある程度髪も整えられたから、早速してもらおう。

 

 軽く押し引きされたり、指が体に触れたり。

 されるがままに、手際良く、衣服が肌に触れていった。

着替えを他人に任せる気分は、悪くない。

何もしなくても勝手に着飾られる優越感、自分の姿がオシャレに変わっていく喜び、理由はいろいろ挙げられるが……

「……失礼します」

 一番を挙げるとするなら、月詠夢の顔だろうか。

 私を美しく見せるために、衣服の青い飾りリボンの角度、結び方に至るまでを真剣に見つめて整えるその視線が、私の心を落ち着かせてくれる。

 そういえば、一週間前に言われたっけ。「僕の方を見ていますが、そんなに面白い顔ですか?」って。

 面白い……というよりは、視ていて飽きないっていう感じかな。

 「分からない」と返した答えが、なんとなく理解できた気がします。

「お待たせしました」

 胸元にある、私の瞳と同じくらい赤いリボンを結んで彼は満足そうに言った。

 私を、改めて確認してみる。

 いつも通り。

 くるりと回ったり、飛んだり、手を直角にして、片足でバランスを取ったりしてみた。

「うん。悪くないね」

 今日も、いい仕上がりだね。

「恐縮です」

 お兄様も、私を見てご満悦だ。


「そういえば、今日のメニューは?」

 衣服も着終わったので、朝食のメニューを聞くことにした。

「はい。今日はケイリュウシャケの塩焼きに、味噌汁。それと……コウヤセロリで作ったおひたしですね」

 パーテーションの向こう側から、お兄様は答えた。

 そういえば、まだお兄様の方は寝巻きだった。

 早起きして着替えておけばいいのにと、思ったがよくよく考えたら、私を起こしてしまうリスクがあるから、そんなことはできないか。

「……ミソシル?オヒタシ?」

「あぁ、東の方にある国の料理ですよ。煮込んだ大豆を潰して、発酵させた物をお湯で溶かして飲むスープです。おひたしは、茹でた野菜を特性のソースでひたした料理って感じですかね。本当はほうれん草で作りたかったんですが……氷雨さんも用意してなかったみたいなので、セロリで代用してみました」

 ……なんだか、急激にお腹が空いてきた。初めての料理は、いつも心が躍る。

「ということは、今日の料理担当はお兄様なんだね。後十五分くらいで朝食だけど……大丈夫?」

「大丈夫です。下ごしらえは済んでいますから。鮭や味噌汁の加熱はセッカさんに任せてありますし」

「そっか、じゃあ大丈夫だね」


からから。

お兄様が、コール用のペンダントを首に欠けながら、パーテーションを閉じた。

相変わらず、執事とは思えないような格好だ。

隙間から肌が見えるほど、肩から袖口までが広がった服の下に、紐リボンの付いたポロシャツ。フードのついた、リボンが少し被るほどの長さのポンチョを付けた執事など、目の前の彼以外に存在しない。

なんなら、ズボンすらもジーンズだ。普通の屋敷なら即クビ案件だろう。

「あ、毎度のこと言ってますが、この服装はしっかりとルッカ様に許可を貰っていますからね」

 呆れたような視線がバレたのか、彼は心を見透かすように言ってきた。

 まぁ、彼らしさを表わすには、これ以上の服装はないだろうが。

「分かってる。機能性は大事だからね。でも、左肩に結んだリボンの意図だけが全く分からないんだけど」

「それは……秘密ですっ」

 口元にバツを作りながら彼は答えた。

 そういう細かい動作が、女の子っぽく見える理由なんだけど。

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