第10話 未来

 翌日、皇都の大宿で祝賀会が開催された。

 

 北国の牧場長の氏家も飛行機で駆け付けてくれていた。

その氏家から戸川に残念な知らせが報告された。

『金杯』に優勝した『サケサイヒョウ』だが、先日歩様がおかしいので精密検査を行ったところ、剥離骨折が判明したらしい。

夏の間には回復するだろうが、『天狼賞』に間に合わせられるかは微妙なところだろうということだった。


「『サイヒョウ』どうします? 引退させますか?」


 戸川は腕を組むと、うむと唸りながらじっくりと考え込んだ。


「ここで引退させたら、さすがに今年の新竜世代が多くなりすぎやね」


「じゃあ来年の復帰にかけましょうか?」


 元々『サイヒョウ』は来年の『金杯』で引退の予定だった。

そう考えればこのまま引退でも悪くないかもしれない。

だが戸川としては少し思惑があるのだった。

今櫛橋が岡部から調教計画を学んでいる。

その櫛橋に『サイヒョウ』で重賞に挑戦させてやりたいのだ。


「そうやね。もう一回、使うてみたい」


「じゃあ来年の『金杯』に合うように、こっちで調整しますね」


 戸川は岡部の顔を見ると、やはり無理させすぎだったかと痛恨の表情をした。



 自分の竜が重賞を優勝できて最上はかなり興奮気味である。

最上は乾杯をすると戸川に、今年こそは伊級の準備をしないといけないと囃し立てた。


 三月の時点で早くも重賞二勝している戸川は、東西合わせて賞金一位となっている。


「生産再開するんですか? 中野夫妻がさぞ喜びはるでしょうね」


「まずは放牧場と厩舎の建設からだな。そこから徐々にって事になるんだが、とはいえ早々に試験生産はしたいな」


 その為には肌竜を購入しないといけないし、その為の資金も捻出しないといけない。

何かと物入りだと最上は嬉しい悲鳴をあげた。


「南国、仕事が手一杯になってもうたりしませんかね? 止級もやろうとしてはんのに」


「そういえば言ってなかったな。止級の例の件は、義悦に南国から切り離させた」


 『止級研究所』という名前で南国の牧場から独立させ、社長には義悦が就任している。

また会計も南国牧場とは切り離し、本社の経理を転属させた。

それまでは人員の採用も南国牧場で行ってもらっていたが、『止級研究所』で採用する事になったのだそうだ。


「そやかて、止級の生産もしたいんでしょ?」


「そうだな。そっちもそろそろ試験生産したいところだな」


 うちから応援出しましょうかと氏家が言うと、最上は、それとなく中野を支援してやってほしいとお願いした。


 戸川はどうにも乗り気では無いらしく、暫くは伊級も止級も購入で良いじゃないかと言い出した。

最上はそれでは後手後手に回ってしまうと指摘。


「仁級が疎かになるような事が無いと良えんやけど……」


「それは先日、岡部君に遠回しに釘を刺されたよ」


 そう言うと最上は氏家の顔を見た。


「氏家も、呂級に力を入れ過ぎて、くれぐれも八級の生産が疎かになる事のないようにな」


「戸川先生以降、呂級への昇格がありませんからね。呂級の経験を活かして次は八級に鉈を振るっていく予定ですよ」


 自信に満ちた氏家の顔を見て、うんうんと最上は頷いた。


「施設、人、竜、どれが欠けてもダメだが、一番時間がかかるのは人だからな」


「肝に銘じておきます」


 きっと呂級でもやれるのに八級で燻っている調教師も多くいるはず。

そういう者を呂級に押し上げられるくらい、八級の良い竜を生産して見せるとあすかが鼻息を荒くしているらしい。

それを聞いた最上はそうかそうかと言って笑い出した。



「そういえば戸川、止級が大きく変わるそうだぞ」


「以前、国際三冠が設置されるいう話が報道されてましたね」


 戸川は最近少し止級に対して興味を失っているフシがある。

以前は止級に参加できれば伊級昇格できそうなのにと思っていた。

だが呂級だけで昇格できそうという状況になると止級は二の次になってきているのだ。


 そんな戸川を最上はもっと興味を示せという目で見ている。


「国内の重賞が全部一つづつ昇格するそうだぞ」


「……え? 全部? ほんまですかそれ? いつからなんですか?」


 戸川は軽い世間話程度の話だと思っていたので、思わず麦酒を零しそうになってしまった。


「三年後だそうだ。それに合わせて太宰府競竜場は移転するそうだぞ」


「移転ってどこに? あの辺りは人もぎょうさん住んでて、移転できるとこなんて無いでしょ?」


 最上は得意げな顔で人差し指を横に振った。


「それがあるんだよ。今は那珂川の河口付近なんだがな、そこだと厩舎が取りづらいって事でな、十郎川河口に移って今津湾東部を利用するのだそうだ」


「……行った事ないもんやから、その……地理が」


 戸川の反応に出席者が大爆笑だった。

岡部も櫛橋も笑っているが、実は二人とも最上の説明はさっぱりであった。

最上は苛っとしたようで机をパンと叩いた。


「ええい、不勉強なやつだな。お前の仕事に直接関わる事なんだぞ? ようはかなり西に移るという事だよ」


「帰ったら地図見てみます」


 戸川が引きつった顔で愛想笑いを浮かべると、最上は軽くため息をついた。


「地図見るんじゃなく、来月早々に直接太宰府に見に行ってこい。岡部君も連れて。月初なら余裕あるだろ? 宿なら私が取ってやるから」


 戸川は岡部をちらりと見ると、研修中なのにやる事が無くて暇そうだったから丁度良かったと笑い出した。


「新しい場所いうんは太宰府の駅から近いんですか?」


「今もそこまで近いわけじゃないんだがね、最寄りが小戸という所になるから、かなり遠くなるな。だが駿府から浜名湖よりは全然近いよ」


 東国の浜名湖競竜場は、幕府や常府から来ると東海道高速鉄道で駿府駅まで来て、そこから在来線に乗り換えとなる。

特急で駿府駅を出ると藤枝駅、掛川駅、見附駅を経て、浜松駅まで来たらさらに各駅停車に乗り換えて弁天島駅が最寄り駅となっている。

夏の競竜開催中は特急列車も弁天島駅に停まるとはいえ、それでも駿府駅からはかなり遠い。



 もしかして所有頭数も変更になるのかと岡部が尋ねた。


「なる予定だよ。今ちょうどその辺りの事で竜主会で揉めてるところだがね。まあ、せいぜい呂級も二頭になる程度だろうな」


「参加調教師が増えて、所有も二頭に増えれば市場は一気に膨らみますね」


 岡部が何が言いたいか最上にもすぐにわかった。


「三年後はどうあがいても間に合わないが、そこまでに生産体制は作っておきたいな」


「例の計画もですね」


 最上は岡部の言葉にニヤリと笑った。




 月が替わり、すっかり戸川厩舎も平常を取り戻している。

引退する三頭の牝竜と、秋に向けて多くの竜を放牧に出した。

今残っているのは条件戦に出走予定の『ケンレン』と他数頭だけである。


 厩舎もかなり仕事が薄くなり、各厩務員に長期休暇を取らせている。


 その中で、長期休暇から明けた荒木が少し相談があると、戸川の下に一人でやってきた。

戸川は二人で会議室に行こうとしたのだが、荒木が岡部にも来て欲しいと希望を出した。


「何や、カミさんと派手に喧嘩でもしたんか?」


「先生んとこやあるまいし。うちはそんなん超えて、ちゃんと粗大ごみ扱いされとりますわ」


 戸川はうちはカミさんが強すぎて喧嘩にならんと笑い出した。


「そしたら何や、ついに借金がバレたんか?」


「ついにて。先生、僕の顔見ると銭、銭て、ほんまやらしいわ」


 二人は長年の連れ合いのような掛け合いをして笑い出した。


 一通り笑うと荒木は急に真面目な顔をした。


「僕、今月一杯で転厩しよう思うてるんですわ」


 岡部は驚いて声も出なかった。

戸川も酷く動揺した。


「何でや! あの一件で一度は拗れたけども、その後、上手い事やっとったやないか」


「ええ。おかげさんで、これまで楽しうやらせていただきました」


 荒木が転厩したいというのは厩舎の雰囲気が嫌というわけではないらしい。

とりあえず、それだけでも戸川は胸を撫で下ろした。


「他から引き抜きでもあったんか?」


「そんなん無いですよ。僕が相手の厩舎に魅力を感じたんですわ」


 つまりは戸川厩舎より魅力的な厩舎を見つけたという事である。

戸川はがっかりした顔で、そうかと一言呟いた。


「同じ呂級なん? それとも別の級なん?」


「仁級です。久留米で開業する先生のとこに行こう思いまして」


 それってもしかしてと、岡部はさらに驚いた顔をした。

戸川は岡部の顔をちらりと見ると小さくため息をついた。


「それ、家族は納得しとんのか?」


「家族に言うたら、一人で行ってこい言われましたわ」


 荒木は、わははと笑い出したが、岡部と戸川は顔を見合わせて困った顔をした。


「仁級は金が全然違うねんぞ? それを承知で言うとんのか?」


「基本給は変わらへんのでしょ。賞与が違うだけで」


「その賞与が、でかいんやないかい!」


 荒木は心配する戸川に承知の上だと言って微笑んだ。


「岡部先生やったら、すぐに良い賞与出せるようになるでしょ」


 荒木は楽観的な顔をしているが、仁級の雰囲気がどんなものか知っている戸川にとっては、とてもではないが賛同できる話ではなかった。


「綱一郎君の厩舎は、僕とことは比べ物にならへんほど問題山積やぞ?」


「それを岡部先生一人に背負わすわけにはいかへん思うたんです」


 荒木の真っ直ぐな目を見ると戸川はそれ以上の説得を諦めた。


「そこまで覚悟しとるんやったら、僕は止めへん。むしろ綱一郎君をよろしう頼む」


 そう言うと戸川は深々と頭を下げた。



 だが岡部は複雑な顔で、ずっと荒木を見続けていた。


「岡部先生、あきまへんか?」


「正直、久留米で起る事を考えると、巻き込みたくないという気持ちが大きいんですよね」


 水臭い事をいいなさんなと荒木は岡部の懸念を笑い飛ばした。


「僕やのうても巻き込まれる人はおるんやろ、それやったら僕でも良えやないですか」


「その、どうしてそこまで……」


「単純な話ですわ。先生が出世していく姿を、すぐ横で見たいんです」


 岡部はかなり困り顔をして戸川の顔をちらりと見た。

だが戸川は優しい顔をして見守るような目で岡部を見るだけだった。


「口だけで出世できないかもしれませんよ?」


「無い、無い。そう思たら、こないな事、言わへんですよ!」


 岡部は俯き少し考えた。

戸川と荒木は黙ってじっと岡部を見つ続ける。

悩む岡部に戸川は、部下の希望はなるべく叶えてあげようとするのが上司の器量だぞと助言した。

それを聞くと岡部はパンと手を叩いた。


「荒木さん。僕の厩舎は茨の道を行く厩舎になるでしょう。だけど、最後まで付いてきてくれると嬉しいです」


 そう言うと岡部は右手を差し出した。

荒木は大喜びでその手を取った。

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