第9話 内大臣賞

 最終予選で三浦厩舎の『サケカンプウ』は残念ながら四着に敗北。

一方の戸川厩舎は『セキフウ』と『タイセイ』が決勝に残った。


 月曜日、戸川厩舎の要請で喜入騎手が皇都にやってきた。


 喜入孝久は紅花会の騎手の中でもかなり特異な経歴の持ち主である。

現在年齢は三十代中盤。

松下騎手よりも少し上の年齢である。

喜入が開業した時の専属厩舎の調教師は呂級の三浦勝義の長男だった。

だが、残念ながら仁級で芽が出ずに数年で廃業。


 喜入は騎乗技術には定評があり、東国の紅花会の仁級調教師全員に頼み込んで騎乗をもらい、自由騎手として八級に昇格。

その経歴に目を付けた三浦勝義は八級の調教師たちに連絡をしまくって、喜入を何とか呂級に上げて欲しいと頼み込んだ。

呂級調教師から見どころのある騎手と言われ、八級の調教師たちは自厩舎の成績の為に奪い合うようにして喜入に騎乗を依頼。

喜入もその期待によく応え、いくつかの重賞を制覇して呂級に昇格。

晴れて三浦厩舎と契約したのだった。



 火曜日の調教が終ると会議が開かれる事になった。


「いつもは高城君だけで追切り大丈夫かなって思ってこっち来てるけど、今回は牧君がいるから安心ですよ」


 喜入は池田から珈琲を受け取ると笑顔で話し始めた。


「牧は向こうで元気にやっとるん?」


 池田が全員に珈琲を配り終えると、席に付いて喜入に尋ねた。


「元気ですよ。ほんとに助かってます。醤油がしょっぱいのが耐えられないって、よくぼやいてますけどね」


「こっちの人間が向こうに行くと必ず言うお約束の話やね」


「俺たちは俺たちで、こっちは味がしないって言うから、お約束ですよね」


 喜入と池田が笑い合うと岡部や櫛橋たちも笑い出した。


「向こうは何人くらい騎乗練習しとんの?」


「今三人やってます。早く若いのに乗れるようになってもらわないとね。先生も体制を変える準備してるみたいだし」


 調整調教みたいな軽めの調教は厩務員たちにやらせようと思っていると三浦は言ってるらしい。

厩務員の知識の底上げがあると厩舎に活気が生まれると事ある毎に言ってるそうだ。


 喜入は櫛橋に、中里の研修はどうなってるか尋ねた。


「今は私がやってますよ。所々、付いて来れへんようで生返事してますよ」


 櫛橋の返答に喜入は眉をひそめた。


「そんなんで、あいつ、大丈夫なの?」


「わからへんとこがあったらその場で聞けって何遍も言うんですけどね。復習してからや言うて聞かへんのですよ」


 真面目というか頑固というか。

櫛橋が困り顔をすると、喜入も少し困った顔をした。


「来月いっぱいだけど、何とかなりそうなの?」


「今の状態やと、補習でも何でもしてビシバシやらなあかんと思うてますよ」


 櫛橋の手応えからすると大きく遅れ気味。

喜入はそう受け取った。


「今年の秋から、中里に新竜の調教計画やらせたいらしいからね。みっちりやってもらって」


「それまでに泣いて逃げ帰らな良えけど」


 櫛橋が困り顔で言うと、喜入はそれを鼻で笑った。


「あいつはそんな根性無しじゃないよ。あいつが新人の頃から見てるからわかるよ」


 櫛橋は顔がほころびそうになるのを必死に抑えた。




 水曜の午後、竜柱が発表になった。

『サケタイセイ』は二枠三番、予想人気は一番人気。

『サケセキフウ』は一枠一番、予想人気は四番人気。

『クレナイアスカ』は七枠十三番、予想人気は二番人気。

予想三番人気は八枠十五番『イチヒキヤマセ』。


 竜柱を見た戸川厩舎の面々は逃げ竜の多さが気になった。

逃げ一本で結果を出してきた『エイユウナガト』の他にも、逃げで勝ち上がってきた『ハナビシナズナ』も出ている。

それを聞いた松下は今回はちょっと仕掛けてみようと思うと言って不敵な笑顔を浮かべた。



 夕方、戸川厩舎の面々は会長に皇都の大宿に呼ばれ激励会に参加した。

松下は木曜日にも騎乗があり調整室に入っているが、喜入は出席した。


 最上は乾杯を済ませると、こんな頻度で激励会がやれるようになるなんて夢のようだと遠い目をして喜んだ。

戸川がまるで遺言のようだと笑うと、最上は、お前が現役の間はくたばってはやらんと何回言ったらわかるんだと怒り出した。

それを聞いた参加者は大爆笑であった。



 『カンプウ』は今回はダメだったんですねと岡部が残念そうな顔で喜入に言った。


「そうだね。『大賞典』の時もう山超えてたからね。先週で引退しちゃったよ」


 最終戦を飾ってあげられなくて本当に申し訳なかったと思うと喜入は少し悲しい顔をした。


「『セキフウ』は乗ってみてどうでした?」


「正直言って、何でこの竜がこれまで重賞でずっと四着なのか不思議でしょうがないよ」


 追走も早いし、体力もある、ちょっと末脚は遅いが、それでも追えば切れる。

展開がハマれば確実に突き抜けられるはずなのに。


「石野さんも『重陽賞』の時全く同じ事言っていたんですけどね。結果はあの通りでして」


「えっ、そうなんだ。でも何とか複勝圏には入れてあげたいなあ」


 『セキフウ』はこれが最終戦だから、そのつもりでやってくれと戸川が言うと、喜入は静かに頷いた。


「まだ全然やれそうなのに残念な話だ」


「あれだけの成績ですからね、次には大いに期待できるでしょう」


 そう言って岡部が微笑むと、喜入は初仔に跨ってみたいと嬉しそうに言った。



 最上は戸川の顔を見ると、赤毛の仔は三浦の方に預けるらしいと報告した。


「まあ、しゃあないですね。向こうが先輩やし。こっちはこっちで良え仔が来るんやし」


 最上は黙って戸川をじっと見ている。

戸川はそんな最上の態度に小首を傾げた。


「……『優駿』は取れるかな?」


「どうやろうか。うちに来る方のは『上巳賞』は出れそうな気はしますけどね、後は距離がどこまで伸びるもんか」


 向こうは逆に『重陽賞』は出れそうだがどこまで距離が縮められるのか。

戸川の見解を聞くと最上は、逆に言えば『優駿』で激突するかもしれんと言う事かと微笑んだ。


「もう何年竜主やっとるか忘れたが、『優駿』がまだ取れないんだよ」


「そないな事言われても……こればっかりは」


 そもそもどの牧場も『優駿』を勝てる竜を生産しているのだから、最も取り難い重賞なのだ。

それは最上もわかってはいる。


「長年の夢だった『大賞典』が取れてしまったもんだから、ちょっと際限なく欲が出てしまってな」


「今の状態を続けられたら、いつかはいけるんと違いますか?」


 戸川は岡部をちらりと見て最上に言った。


「そうか。期待しているよ!」


 三浦さんもさることながら綱一郎くんの見立てに負けるわけにはいかないと、戸川は変な対抗心を燃やした。




 金曜日の夜八時が近づいてきた。

日中は多少ぽかぽか陽気の日も出てきているが、夜になるとまだまだ外套が手放せない。

そんな皇都競竜場である。


 今回下見所で竜を曳くのは櫛橋と中里。

櫛橋が『タイセイ』、中里が『セキフウ』を曳いている。

中継で観ているであろう三浦厩舎に中里の姿を見せてやろうという戸川の粋なはからい……と思われる。

花房と庄は見せ付けだと笑っていたが。


 係員の合図で松下と喜入が乗り込むと、そのまま競技場へと向かって行った。

暫くして発走者が旗を振ると、競竜場に発走曲が響き渡った。

それと共に実況の音声が流れてきた。



――

東で『上巳賞』が終わり、今度は西の主競走、長距離の春の大一番『内大臣賞』の発走が近づいてまいりました。

果たして事前の人気の通り、『サケタイセイ』と『クレナイアスカ』の一騎打ちとなるのか。

はたまた伏兵の激走が見られるのか。

各竜、順調に枠入りをしています。


最後に大外イチヒキヤマセが入り体制完了。

発走しました!

各竜出遅れも無く綺麗な発走となりました。

先頭争いは予想通りサケタイセイ、エイユウナガト、ハナビシナズナが競い合っています。

そのすぐ後ろにサケセキフウ、ジョウレッカ。

『斉天』サケタイセイ、今回は先陣を譲らず全竜を率いるようです。

ジョウレッカから少し離れてロクモンワキザシ、ジョウハヤテ、クレナイタイサイ、クレナイアスカ、マンジュシャゲ。

人気の一角『竜王』クレナイアスカはこの位置。

現在先頭のサケタイセイは正面直線を過ぎ一角に差し掛かっています。

おっと、先頭サケタイセイ、徐々に二番手を引き離しています。

これは作戦なのか、それともかかってしまって(=騎手の制御をきかない状況)いるのか。

マンジュシャゲから少し離れキキョウヒノキ、タケノショウキ、リガンリュウ。

そこから離れてイナホデンゲキオー。

さらに離れてイチヒキヤマセ。

全十五頭、現在二角を過ぎ向正面に入っています。

先頭サケタイセイ、軽快に飛ばし二番手以下を引き離しています。

二番手エイユウナガトまでおよそ五竜身程度、サケタイセイ大逃げをうっています。

エイユウナガトが単独二番手、単独三番手にハナビシナズナ

そこから差が無く先行集団が固まっているという展開。

前半の時計は、かなり早い時計となっています。

先行集団後方に位置取ったクレナイアスカ、じっくりと逃げ竜たちを見ながら追走。

先頭サケタイセイは今日は完全な大逃げです。

その差は縮まるどころかさらに開いているようにも見えます。

サケタイセイから二番手エイユウナガトまで現在約七竜身といった感じでしょうか。

四番手以下はかなり縦長の展開。

サケタイセイ、早くも三角に入ろうというところ。

おっとサケセキフウとジョウレッカ、ハナビシナズナを抜いて三番手に浮上!

マンジュシャゲも位置取りを上げて行く!

三角を過ぎ、各竜一斉に手綱が動いている!

クレナイアスカも動いた!

全竜いつもより仕掛けが早いが最後まで持つのでしょうか?

サケタイセイ早くも四角に差し掛かっています。

まだその差は五竜身以上!

果たしてこれで後続が届くのかどうか!

後続猛烈に追走。

一団となって四角を回りました!

すでにサケタイセイは直線に入っている!

この差は果たしてどうなのか!

サケセキフウとジョウレッカが必至にサケタイセイとの差を詰めようとする!

サケタイセイはさすがに一杯か、後続との差がどんどん縮まっていく!

外からクレナイアスカ、猛加速で追い上げる!

さらに外からはキキョウヒノキとリガンリュウが猛加速。

最内一気にイナホデンゲキオー!

直線残り半分。

サケセキフウとジョウレッカ、徐々に差を詰める!

おっと、サケタイセイ二の足か?

ジョウレッカとの差が縮まられない!

大外からクレナイアスカ!

キキョウヒノキの脚色も良い!

最内イナホデンゲキオー!

クレナイアスカ、サケセキフウを捕えた!

サケタイセイはもう安全圏か!

大外クレナイアスカ猛追!

その外キキョウヒノキも必死に脚を伸ばす!

クレナイアスカ、サケタイセイとの差が縮まらない!

残りわずか!

もう後続は誰もやって来ない!

サケタイセイ一人旅!

サケタイセイ終着!

サケタイセイ圧勝!

長距離重賞三連勝!

――



 松下は『サケタイセイ』をゆっくりと競技場を一周させた。

観客からは『タイセイ』『タイセイ』と歓声があがっている。

長距離の見事な逃走劇に観客席は大興奮である。


 検量所に戻ると松下は、一回やってみたかったんだよと力強く言った。

戸川は今回は逃げ竜が多いから目を瞑るが、さすがに今後は止めてくれと松下にチクリと釘を刺した。


 松下は鞍を櫛橋から受け取ると、弾むような足取りで検量に向かった。

検量を終えた喜入が戻ってくると、岡部に、あの重陽賞竜の『ジョウレッカ』に先着してるのに、なんで四着なんだと言って憤った。

掲示板を見ると一着に『サケタイセイ』の三、二着に『クレナイアスカ』の十三、三着に『キキョウヒノキ』の五、四着が『サケセキフウ』の一、五着に『ジョウレッカ』の九が記載されている。


 中里は櫛橋と二人で『タイセイ』の勝利を喜んでいる。

最上は戸川と握手をすると、とんでもない強さだと興奮した。

岡部と戸川は顔を見合わすと、二人で肩を叩いて笑いあった。

一同が勝利の余韻に浸っている中、報道の人が来て松下が連れて行かれた。




――放送席、放送席、『サケタイセイ』松下騎手に来ていただきました。

『内大臣賞』の勝利おめでとうございます。


「ありがとうございます!」


――今回、最初から大逃げで行きましたね。


「逃げ勝負なら他の竜には絶対負けないという自信がありましたから!」


――長距離をあのような逃げ切りは、あまり例がないと思うのですが。


「逃げ竜が多いので、他の竜が控えてくれれば、競技場の状態が良い分、十分逃げ切れると思いました」


――次回も、あのような逃げ足を見せてもらえるのでしょうか?


「さすがに先生に怒られましたから。でも必要とあれば選択肢には入れます!」


――次は年末の『大賞典』の連覇だと思いますが自信のほどは。


「次回も関係者一同頑張りたいと思いますので、応援よろしくお願いします!」


――おめでとうございました。

以上、松下騎手でした。

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