第8話 再試験

 瑞穂の競竜は『瑞穂競竜協会』『瑞穂竜主会』『瑞穂競竜労働組合』『競竜生産監査会』『瑞穂競竜執行会』の五つの組織によって運営されている。


 『瑞穂競竜協会(競竜協会)』は、国内法の中での競竜競走を統括する組織となっている。

運営委員は政治家を中心に識者として報道の代表、竜主、文化人などが参加している。

国際競竜協会との窓口役が基本の仕事となっている。

競竜場の移転や用地買収といった競竜に伴う施設の建設なんかも行っている。

ただ競竜競走についての実質的な権力は有しておらず、名目上の監督という事になっている。


 実質的な最高権力は『瑞穂竜主会(竜主会)』が有している。

運営者は全二三の会派の会長となっており、現在会長は雷雲会会長の武田善信が務めているのだが、基本は元老院制である。

競走規約の改定、競走番組の改定と言った規定の管理から、競竜場運営に伴い発生した問題の対処のような事まで行っている。

昨今の出来事としては『サケセキラン暴行事件』の対処が有名であろう。


 『瑞穂競竜労働組合(労働組合)』は調教師や厩務員、騎手、牧夫といった競竜に関わる全ての労働者に対して、労働基準法の順守を啓蒙、監督している組織。

保険や年金の管理運営も労働組合の下部組織で行っている。

地味に皆が嫌がっている定期健康診断のような健康管理関係も労働組合が行っている。


 『競竜生産監査会(生産監査会)』は、種竜の所有管理から、生産竜の血統管理、預託管理、引退竜の監視に至るまで、競走以外での竜の管理を行っている組織。

竜の輸入、輸出の管理、検疫も生産監査会が行っている。

現役の競竜関連としては竜の能力検定を行っている。

一般人が竜の情報を追おうと思えば簡単に追えるのは、ここが一元管理しているからである。


 五つの組織の中で最も巨大な組織なのが『瑞穂競竜執行会(執行会)』である。

競竜場の運営、竜券の発売、競走における事故防止、免許や資格の交付などを行っている。

競竜学校もこの執行会の下部組織となっている。




 月曜日、戸川厩舎に生産監査会から通告書が届いた。

内容は『サケカンゼオン』の競争能力の再試験というものだった。

先日の『サケカンゼオン』の新竜戦を見た生産監査会は、この竜を放置するといづれ大事故を誘発すると判断したらしい。

戸川は通告書を見る前から多分こうなると予想していた。

内容を確認し強制引退じゃなかっただけ助かったと胸を撫で下ろした。



 午前の調教が終わると戸川厩舎では緊急会議が開かれる事になった。


 池田は通告書を見ると、そりゃあそうなりますよねと笑った。

その池田の態度に松下は強い憤りを感じた。


「笑いごとやないですよ! 外柵に突っ込んでった時は、もうアカンって思いましたもん。生きた心地がせんかったんやで!」


 おまけに過怠金かたいきん(=罰金)取られるし、踏んだり蹴ったりだと松下は不貞腐れた。

池田は、すまんすまんと松下を宥めた。

長井も机に伏している松下の背中を撫でている。


 岡部は通告書を読みながら戸川に感想を漏らした。


「こんなに気性の悪い仔も珍しいですね。うちの牧場って人懐っこい気性の良い仔が多い印象ですけど」


 あの仔もいつもは人懐っこい良い仔だよと櫛橋が指摘。

池田も、たまに変な行動するだけで、普段はちょっとやんちゃなだけだと指摘した。


「僕は血統は疎いんやが、血が濃すぎたんかもな。タルサ系とタルサ系の配合の肌竜に、タルサ系の種竜を付けとるからな」


「それで『セキラン』みたいな短距離竜じゃなく、こんなしっかりとした長距離竜なんですもんね。よくわからないですね、血統って」


「血統だけじゃ計れへんもんがあるんやろうな。おもろいもんやな」


 血が濃い薄いの前にタルサ系の種牡竜はその血に悍竜かんりゅう(=気性難の竜)で有名な竜が混ざってるから、その狂気の血が出ちゃってるのかもと櫛橋は指摘した。

思い起こせば『セキラン』も自分で速度の調整のできない仔だった。

もしかしたら、それがタルサ系の良い竜の特徴なのかもしれない。


 櫛橋の解説に戸川と岡部がなるほどねえと言って頷いた。

その光景を見た池田が、これじゃあどっちが調教師かわからんと笑い出した。



 岡部は再度通告書に目を通すと戸川に尋ねた。


「競走能力試験って基本的には北国で済ませてくるんですよね? 再試験って何をやるんですか?」


「北国のと変わらへんよ。同じ試験をこっちでもう一回やるんや」


 岡部は嬉しそうな顔をして、自分を指差して戸川に訴えた。


「後学の為に僕が行っても構いませんか?」


「それは構へんのやけど、チクチクやられるだけやから面白くはないよ?」


「まあ、それも含めて後学という事で」




 翌週の月曜日、午後の追い切り終了後、『カンゼオン』の再試験が行われる事になった。


 再試験の参加者は、調教師、調教助手、騎手、厩務員一名の計四名とされている。

荒木が『カンゼオン』を引いて、岡部、松下、長井と共に調教場へと向かった。

試験官は事務棟の事務員、福屋ふくやだった。


「おお、岡部先生が戸川先生の代理なんや」


「研修中ですからね。後学の為と思いまして。試験官って福屋さんだったんですね。てっきり別のとこから誰か来るもんだと」


 福屋は書類に著名をしてくれと言って岡部に手渡した。


「僕は他の事務の人と違うて生産監査会からの出向やから。まあ普段は執行会の人たちの手伝いしてるからそう思われてもしゃあないけどね」


「今日は、よろしくお願いします」


 そう言って岡部が頭を下げると、福屋は頭を下げても判定は甘くはならないと言って笑い出した。

福屋が『カンゼオン』の首筋を撫でると『カンゼオン』は嬉しそうな鳴き声をあげた。


「あんなおもろい状況、僕久々に見たわ。見てる間は爆笑やったんやけどな。終わった後、これ試験するんか思たら胃痛なったよ」


「普段は、ちょっとやんちゃ程度なんですけどね。初出走で嬉しくなっちゃたみたいで」


「嬉しうなっちゃったで済む問題と違うんやで」


 福屋が笑いながら指摘すると、岡部も、お手数おかけしますと頭を下げ、書類を福屋に返却した。



 福屋は、試験項目として本部から指示されている内容を事前に説明していった。

北国の試験を問題なく合格しているという事は、他に竜がいるとダメという事だと思うから、全て試験用の竜と共に行うと通達した。

項目としては発走機試験と並走試験の両方。

並走試験は長距離で一杯となっている。


「竜具付けても良えんやけど、裸顔で大丈夫なん?」


「こう言ってはなんですけど、普段は暴れたりとかしないんですよ。言う事もちゃんと聞くし」


 岡部から指摘されると福屋は、確かに調教場でおかしな行動をする竜がいるという報告は受けてないなと呟いた。


「ほなあれか、歓声に驚く感じなんか」


「驚くっていうより、喜んで興奮しちゃったんじゃないかと」


「そっか、そやから観客に向こうてったんか!」


 そう言うと、福屋は先日の競争を思い出したようでゲラゲラと笑い出した。


「そしたらこの試験、あんま意味無いかもしれへんな」


「次もあんな状況なら、遮眼帽しゃがんぼう(=ブリンカー)を被せるしかないでしょうね」



 結局、福屋が予想したように『カンゼオン』は試験を何事も無く合格していった。


「再試験は合格で報告しておくけども、せめて次走だけでもちゃんと走ってくれへんと。僕の試験監督が疑われてまうからさ。戸川先生にもそう言うておいてよ」


「わかりました。何かしら対処を検討するように言っておきます」


 頼んだよと言い残すと福屋は事務棟に帰っていった。




 三月に入ってから『内大臣賞』の『サケタイセイ』の取材が激しくなり、戸川が厩舎業務に全く手出しができなくなっている。

岡部が代行してしまっても良いのだが、戸川からなるべく岡部は手を出さず、監督にとどまって欲しいと言い含められている。

そこで岡部は業務を櫛橋、池田、長井にやらせ、相談や質問を受けるだけにしていた。


 とはいうものの……特にやることも無く新聞やら会報やらを読みふけるしかなかった。

そこに荒木と垣屋がからかいにやってきた。


 荒木は事務室に入ると、岡部の露骨に暇そうにしている姿を見て笑い出した。


「岡部先生、ずいぶん暇そうで何よりやね。外では戸川先生、取材で大変や言うに」


「だって、先生から監督だけやってろって言われてるんだもん」


 露骨につまらなそうな声を出す岡部に、櫛橋と長井が笑い出した。

荒木も垣谷と顔を見合わせて大笑いした。


「そら、岡部先生、一人で全部パパッとやってまうからやろ」


「僕、研修中なんですけどねえ」


 それを聞いた垣屋が、岡部先生に今さらここで研修する事なんてあるのかよと大笑いした。


「ここにどっかと座ってるのも研修だって言われちゃって」


 櫛橋もケタケタ笑いながら、戸川先生もうちらに仕事やらせて、よくそこに座って新聞読んでると言って岡部をからかった。



 垣屋と荒木は、せめて暇そうな岡部の話し相手になってやろうと努めてくれた。

現状で二人が持っている話題といえば、岡部の開業準備の事くらいである。


「そういえば、厩舎の開業ってどうやって人集めるん」


 垣屋が興味深そうに聞いてきた。


「一月に求人は出してて、五月に向こうに行ってから募集見る感じですね」


「五月なんて中途半端な時期に人なん集まるもんなん?」


 瑞穂皇国では年度初めは四月ではなく一月である。

学生も一月に入学し十二月に卒業する。

五月に厩務員の募集と言う事は、新卒はとっくに会社の駒になっている時期なのである。


「八級以上では難しいでしょうけど、仁級は年中行事ですからね。それなりに集まるんだそうですよ」


「そしたら集まらへんかったらどうなるん?」


「集まった人だけでやるしかないんじゃないですかね。入厩時期をずらすとかして。どっちにしても競走出れるようになるのは六月からですし。じっくり腰据えてやるつもりです」


 本当に集まるのと荒木が聞くと、岡部では無く長井が、戸川先生の時はちゃんと集まったよと答えた。


「そしたら竜もそれに合わせて来る感じなんやね」


「竜はこっちの受け入れ整ったらお願いする感じですね。今は南国の牧場で放牧中で」


 櫛橋も作業の手を止め、へえと聞き入っている。


 荒木もかなり興味深そうに聞いている。

垣屋はだんだんと話が面白くなってきて質問をさらに続けた。


「厩務員の応募状況って今の段階でわからへんもんなん?」


「普通だったら向こうの同じ会派の調教師から聞けるんでしょうけどね。久留米は無理でしょうね」


 その岡部の回答に事務室の全員が眉をひそめる。

全員を代表して荒木が尋ねた。


「久留米、何か問題があんの?」


「会長からそれを探ってくれって極秘任務を帯びてるんですよ」


 荒木は垣屋と顔を見合わせた。


「それ今言うてしまって良えもんなん? 極秘なんやろ?」


「あっ、言ったらまずかったかも。まあいっか。ここだけの内緒って事で」


 そう言うと岡部はカラカラと笑い出した。

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